時代の始まりと終わり | ひだまり 日常生活

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日記を書くことで考えを整理したり、気づいたことを記しています

                

萬葉集と小倉百人一首の始めと終わりの歌をみると、どうしても「時代」というものの始まりと終わりを感じます。

萬葉集の巻一は「籠もよ み籠持ち ふくしもよ・・・」雄略天皇の御製で幕開けします。舞台は早春の丘で、なんとも初々しい雰囲気です。

また、小倉百人一首の一番は「秋の田の 仮庵の庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」 天智天皇の御製(もともとは詠み人しらずの歌)で季節は秋ですが、稲を収穫し安堵した気持ちが伝わってきます。

どちらも穏やかな心が表現されています。

それとは対照的に最後の歌は、萬葉集、小倉百人一首共になんとも悲しげな嘆きに聞こえます。

〈萬葉集 巻二十 四五十六番〉

新(あらた)しき 年の始の 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事(よごと)


大伴家持の歌で、字面だけみれば初春の雪、雪は豊年のしるしでおめでたいようではありますが、その心境はどうか良い事があって欲しいという切なる思い、祈るような心が滲んでいます。


小倉百人一首は最後の百番とその前の九十九番です。

〈九十九番 後鳥羽院〉

人もをし 人も恨めし あぢきなく 世を思ふ故に もの思ふ身は


〈百番 順徳院〉

百敷や 古き軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり


後鳥羽院は第82代、順徳院は第84代の天皇で承久の乱に敗れ、後鳥羽院は隠岐島に順徳院は佐渡島に配流せられました。私がいうまでもなく、これらの歌には二人の悲哀が溢れ出しています。


今のこの時期にひとつの時代が終わったこと、時代の終焉を感じているのは私だけではないでしょう。

どうか新しい年には吉事が積もって欲しいと願って、今年最後のブログにしたいと思います。




新(あらた)しき 年の始の 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事(よごと)

右の一首は、守大伴宿祢家持の作りしものなり。
萬葉集巻二十 四五十六

※画像は令和二年万葉文化館のカレンダー11・12月「大原の雪」です。