以前から南方熊楠の名前だけは知っていて、いつか彼の著述を読んでみたいと思っていました。あるとき、彼の代表作『十二支考』を読んだ方の書評を拝見したのをきっかけに、ひとまずどれか読んでみようという気持ちになりました。その書評の内容は、人々はネットで多くの情報を知ることが出来てAIがもてはやされる時代ではあるが、いかに熊楠という人がすごいかという主旨だったように思います。
熊楠の著作を調べてみて一番興味深いと思ったのは「神社合祀に関する意見(書簡)」でした。彼の随筆集を借りてこの書簡を読み始めたところ、あまり理解出来ず、私には難しかったかなと思いすぐに挫折しました。同じ本に収められた他の著作で龍の話やら彼の半生が語られた履歴書なるものを読むとこれがとても興味深い話なので引き込まれるように読みました。そうしてなんとなく彼の人となりや言葉の特徴を掴んで、改めて「神社合祀に関する意見(書簡)」を読むと、あんなにわかりづらかったのが不思議と自分の中入って来るようになりました。
当時小さな村の神社を廃止して近くの神社に合祀する政策がとられようとしていたのですが、小さな村の神社がなくなるとそこにしか棲息しない植物や生物が絶えてしまうこと、人々の生活は神社と共にあること(短文では言い尽くせませんが)、どうにかして合祀を食い止めようする切実な彼の熱意が伝わってきました。
そうして読み終わった次の日、日課の散歩で近くの神社の周りの植物を観ると、いつもと違って見えました。なんと様々な植物や生物が棲息しているのだろう、この植物の実を求めて様々な鳥がやってきて、その落とした糞によってまた微生物が繁殖して生命の循環がなされている、それは神社だけでなく神社を維持し参拝する人々とも繋がっていると思うと、植物の一葉一葉がしみじみと眼に写されるように感じました。
そうして本の終わりの解説を読んでいると、偶然にもずっと気になっていた『竹取物語』の燕の子安貝にも関連する「燕石考」という論文を熊楠が書いていたことを知りました。早速その本を図書館から借りて読もうとしました。
すると、またしても難しくて、とても頭に入って来ません。特に「燕の子安貝」の出典を知りたくて、それを見つけようと読んだので落ち着いて文章を理解しようという気持ちになれなかったのです。そこでこれまた他の著述を読んでみました。それは土宜法竜という方に宛てた書簡ですが、ここに熊楠の学問に対する姿勢というか、哲学というか、そういうものが語られていました。こちらも短文での説明はしがたいのですが、その中の重要な言葉に、理不思議、物不思議、事不思議、心不思議、大不思議というものがあります。大不思議は人智では推し量る事の出来ないものですが、その他の諸不思議はどうにかして知ることが出来る不思議だそうです。本当に手短にいうとその諸不思議を明らかにしよう追求しようというのが学問の姿勢なのだと、私なりに解釈しました。そうして「燕石考」を読むとなぜ80にも及ぶ多くの引用文献の記述を列挙してまで説明しているのかが解るような気がしました。
そして朝の散歩に燕を見るとこれまたいつもの燕と違って見えました。とても元気に喜んで飛んでいように見えました。燕は人や農作物に害になる虫を食べてくれる益鳥だそうです。そうして秋の社日を知って南に帰ってゆくと言われています。もうすぐお別れだね、また元気に帰って来てねと声をかけたくなりました。
本来私には読むことが難しかった書簡や論文がこのような過程を経ることによってどうにか読めたのは、“心不思議”ではなかろうかと思うのです。それはなんとなく他のものから読んだのですが、全くの偶然ではなく直感的にこの方を選んだ私がいるように思います。
“心不思議”は少し気をつければ、私たちの生活の身近なところにいろいろと存在するのかもしれませんね。