ひだまり 日常生活

ひだまり 日常生活

日記を書くことで考えを整理したり、気づいたことを記しています

                

  事しあれば
    うれしかなしと時々に
      うごくこころぞ人のまごころ

昨日ダンテ著『神曲』を読み終えました。


それは偶然にも3月30日という日で、3という数字は基督教では聖なる数(聖数)とのことで、これに気がついた時、これは本当に偶然だろうかと不思議な感覚でした。


ダンテの『神曲』は地獄篇、煉獄篇、天国篇と3つの世界が主題となり、また地獄篇は34歌ですが、最初を序歌とすると全ての篇が33歌から構成されており、計100歌という完全数になります。


その100歌から少し引用します。


「……おお言の葉のなんと貧しく、我が意想に比べてなんと力弱き! その意想すら、わが見たものに比ぶれば、それを乏しと呼ぶことさえ烏滸の極み。 おお永遠の光よ、……」









古典の今に通じることの多きは私の言うに及びませんが、機会があれば『神曲』のその箇所を是非引用して遺しておきたいと考えています。




※画像はウェスタールンド2付近『138億光年 宇宙の旅』より



今の世の中を見ようとすればするほど如何ともし難いと思えてきます。

古典を読んでも当時は如何ともし難かったと思います。


そう思うひとつに民衆が賢明になれば、それ以上に世の中を支配しようとする人達はより狡猾に姑息になるからです。


これからますます厳しい生きづらい世の中になると予想しても、どうにかして安穏とした日を暮らしたいと思うのが正直な気持ちで、その「安穏とした日を暮らしたい」と思う我が心に「世の中如何ともし難いのだ」と諭すため近頃古典を読んでいるように思います。


私は時には古の人の心持ちに近づき浪曼派のように思い巡らして心の均衡を保つことも大切で、逆に古の美しい面ばかり見て陶酔してはいけないと、強いて歴史の残酷さに目を向ける必要性を感じたりします。


葛藤が大きくならないよう分相応にしておこうと思うのですが、やはりこれからの世の中がどうなるか気掛かり(言い換えれば自分の身の上が心配)で、つい自分の能力以上に考えてしまいます。まぁ、私が考えたところで「如何ともし難い」として、ここら辺りで考えを止めて江戸時代の滑稽本でも読むとしましょうか。














先月初めて田植えを経験しました。

今まで馬鈴薯、玉葱などいろいろな作物を植えましたが、やはり稲は特別な感じがしました。

まず裸足になり田んぼの中に入ることに少なからず抵抗を覚えます。いい年齢のおばさん(私)がキャーとかワァー、ギャーなど叫びながら水の中に恐る恐る足をつけ、少し慣れたところで小分けにした幼苗を手に持ち、泥の中へ植え付けました。ところが前日の雨でなかなか上手くいきません。悪戦苦闘しながら、どうにかこうにか植え終わるとほっとして、一緒に作業していた方々と和気あいあいとした雰囲気になりました。

昔の共同作業の良き一面を想いました。

足も手も泥だらけの感覚は子どもの頃に初めて海辺で遊んだときに似ています。

便利過ぎる世の中で失われる「労苦と喜びの関係」を心に留めて、自分が直に見ること触れることに、もう少し重きをおいて生きていけたらと思います。





ご近所の水田 7月9日現在




〽月やあらぬ 春やむかしの 春ならぬ
我身ひとつは もとの身にして

(伊勢物語 四段・古今集一五、七四七)

「よろづ こぞ(去年)に似るべくもあらず 覚ゆるまゝに、さては月やこぞの月にはあらぬとおもへば、こぞ見しまゝの おぼろ月夜なり。春やこぞの春ならぬとおもへば、それもかはらず。たゞ我身ひとつは猶うしと思ひつゝ有しまゝのもとの身にして とよめるにや。 又我身ひとつは猶うしと思ひつゝ有しまゝの身にて、月やはおもしろかりし こぞの月にあらぬ。春やはおもしろかりし こぞの春ならぬ。梅の花ざかり、おぼろ月夜、さながら有しまゝにてこぞに にるべくもあらぬ 其ゆゑ何ぞやと、深くとがめてよめるにや。これも心のあまれる歌と見えたり」

(勢語憶断上之上 契沖)


「今夜コゝヘ来テ居テ見レバ、月ガ モトノ去年ノ月デハナイカ。サア、月ハ ヤツパリ去年ノ トホリノ月ヂヤ。春ノ ケシキガ モトノ去年ノ 春ノケシキ デハナイカ。サア、春ノケシキモ梅ノ花サイタ ヤウスナドモ ヤツパリ モトノ去年ノ トホリデ、ソウタイ ナンニモ去年ト チガウタ事ハナイニ、タゞ オレガ身一ッ バツカリハ、去年ノ身デアリナガラ、去年逢タ人ニ アハレイデ、其時トハ 大キニ チガウタ事ワイノ。サテモ サテモ 去年ノ春ガ恋シイ」

(古今集遠鏡 本居宣長)



月も春もむかしのままに見えるとよむか、月も春も違って見えるとよむか……。両方の説を揚げる契沖は凄いなと思いました。


話は変わりますが、世の中は数年前とすっかり変わってしまいました。そのように見えるだけなのか、本当にすっかり変わってしまったのか、どうでしょう。

月も春も梅の咲く様子も少しも変わらないように見えるのに。




………