このところブログを更新できない日が続いていたが、脳塞栓で闘病中の主人の母の容態が一進一退を繰り返していた為だ。母は3ヶ月前、最初の発作を起こした後、計4回にわたりそれを繰り返すという状態であったのだ。母の場合、心原性(心臓に原因がある)で、もともとの疾患である心房細動が治らない限り、ワーファリンで血栓を防ぐしかないのだが、カトマンズの医者はこれをなぜか怠っていたのだ。ネパールでは高齢の患者は特に、ちゃんと治療されていない事が多い。年だから、ということで医者は必要な治療にも積極的でなかったりする。
ここ一ヶ月はICUに出たり入ったりの状態が続いていたが、6月に入ってから主人から何度もカトマンズへ行くように電話が入る。私の主な役目は、医者がちゃんと治療をするように働きかける、というものなのだが、要するにされている治療と、病状が矛盾していないかチェックし、医者の怠慢が認められればそれを指摘し、治療に不審な点があれば医者に問いただす、というものだ。
母を主に診ているのはまだそんなに経験があるとは思えない、研修医あがり位の心臓の専門医なのだが、やはり高齢者には積極的でないとは言え、こちらが指摘した事に対してはそれなりに説明をしてくれるし、そのための時間はいつでも割いてくれる。又、納得できない治療に対して文句を言った場合でもおおむね聞き入れてくれ、抗生剤の種類などにもこちらの希望に沿った対応をしてくれる点は良いと思うのだが。
6月3日に2度目に行った時は肺炎を併発しており、正直厳しいと思ったのだが2、3日するとやや持ち直したのだ。主に看ている長兄の家族は母がまだ回復する可能性があると思っており、私は彼らが希望を失わないよう、本当の事は言わない事にした。
それにしても驚くべき体力、生命力だった。77歳まで心房細動をかかえながら薬も飲まずに元気で過ごせて来れたというのも驚きだが、3ヶ月間に4回脳塞栓になり、CTを見ればきわめて危険な状態であるにも関わらず、酸素吸入などの他は有効な治療もされていないのにいままで生き延びて来れたのだ。
私は自分の体調のこともあって、一度ネパールガンジに戻る事にした。9日に戻ったが、その3日後の12日の夕方主人より又電話。意識がなくなったそうで、すぐカトマンズへ来いと言う。主人はすでに田舎から向かっている道中であった。しかし私は飛行機が明朝の便しか取れない事がわかった為、行けなかった。翌朝6時、カトマンズからの主人の電話で母が逝ったことを知る。
私も10時の飛行機でカトマンズに飛んだが着いた頃にはすでに母の亡骸はパシュパティナートに運ばれ、焼かれ、みんな戻って来た後だった。