Kanchiの日常 -31ページ目

Kanchiの日常

Muna-ko-mami(通称Kanchi)の日常を綴った日記。仕事から娘の学校、たわいない日々の出来事等。ストレス発散はこのブログのもう一つの目的かも。

手術室のヘルパーに、じゃあ病棟に移るのでストレッチャーに乗ってもらいます、と言われるが、下半身感覚無い状態なので自分で移れるわけ無い。そう言うと、乗せてあげるから心配いらないよ、と言って私を抱えてストレッチャーに移す。下半身だけまだ手術台に置いてきたままのような妙な感覚。

ゆっくりとPost Operative Roomに移動。ここでも抱えてベッドに移される。6つベッドがあるようだが70ぐらいのおじいさんが一人いるだけだ。おかげで静かで助かる。大家さんの奥さん(この病院の婦長の一人なのだ)来てくれ、手術は無事済んだから安心して少し眠るといい、と言う。この時点ではまだ麻酔が効いていて全然痛くなかったのでなんとなくほっとしたのもあってうとうとしたらしい。



その後どれくらいたったのかわからない。痛みと胸苦しさで目覚める。気分が悪い。おなか全体が痛み、特に胃の辺りが引っ張られるようななんともいえない不快感。息をするたびにそれがひどく痛むが息をしないわけにいかないし、本当に苦しい。足の方から麻酔が切れ始めていて、左足は完全に感覚が戻っている。右も足先がわずかに動かせた。やがて麻酔がすべて切れた時はどれだけ痛いのだろうかと怖くなる。



予想通り、痛みは増すばかりで、耐え切れずに痛み止めを打ってもらう。でもちっともましにならない。しばらくして再度、打ってもらうようナースに言うが、そんなに立て続けには打てないという。手術したんだから多少痛むのは当然だ等という。多少じゃないって、と抗議するが相手にされず。そのうち吐き気も出てきて、いっそうつらくなる。あとでこの吐き気はメトロニダゾールの点滴のせいなのだとわかるのだがその時は麻酔の後遺症かなんかだと思っていた。胃の中には何も入っていないのでカラ嘔吐ばかりを繰り返す。止めようにも止まらない。吐くと腹筋を使うせいで傷が絞られるように痛んで地獄の苦しみ。こんなにつらい経験をしたのは生まれて初めてだ。ナースに吐き気止めを打ってくれと懇願する。注射もあまり効かず、自然と声になって痛い、痛いと力弱く繰り返し言い続けていたので、向かいのベッドの付き添いさんまで心配して何度も覗き込んでくる。痛みに耐えているうち過換気気味になったのか、手や口の周りがしびれてきたので自分でビニール袋を口にあてがい呼吸する。この時はナースを呼んで説明するのも面倒だったので。



そうこうしているうちにDr.SKNが来る。ドクターを見るや否や私は、どうしようもない痛みでもう参ってしまっている事を告げる。すると彼は、お腹を開けて見たら中がひどい事になったいたので当然だろう、虫垂は破裂していたのだから、と言う。私はそれを聞くとまさかと思っていたがやっぱり、どうりでドレーンを入れられていたわけだ、と思った。それでは普通以上に痛むのは仕方が無いらしい。

またDr.SKNは、尿は自分で出せそうか、もしあと一時間以内に出なければカテーテルを入れて出さないといけなくなる、というのだ。私はこの上導尿されるのは極力避けたかったので、なんとか自分で出来ると思う、と言っておいた。



しかしベッドに寝たままで排尿するというのは今までやったことが無かったが想像するより難しい事を知る。便器をあてがっても仰向けのままでは出ないのである。その上痛みで腹筋を全く使えない。

付き添いの女の子に頼んで頭を少し起こして支えてもらい、自分でも腕を使って腰から上が30度くらい起きるような姿勢を取ってみた。そうしてようやく排尿できたのだった。



その夜は一晩中痛みでほとんど寝ずじまいであった。

翌朝起きてもまだ痛みはあまり治まらずだったが、声に出るほどではなくなっていた。少し考える余裕が出て、自分のオペについて振り返ってみる。オペ室ではドクターは一言もしゃべらずだったので私はただ単純に虫垂切除をして閉じて終わったものと思い込んでいた。ただオペ室を出る前にドレーンを留置されている事を知り、これはもしかしたらちょっと厄介なケースだったのかも、という疑いを持ち始めていた。結果は昨日の夜、Dr.SKNが言ったように穿孔していたのだ。ということは中の膿が腹腔内に出てしまっていわゆる腹膜炎を起こしていたことになる。そういえばこの間撮ったエコーでも虫垂周囲に膿瘍を思わせる液体貯留及び、腸管の間に少量の腹水がたまっているのが認められていたのだった。自覚症状が無いだけにこのエコーの所見が正しいのか半信半疑であったのだが、開腹してみてやはりそれは当たっていたと言わざるをえなかった。 



でも手術にかかった時間は45分くらいであった。日本で普通の虫垂炎のオペにかかる時間は30分から1時間、穿孔していると2時間以上はかかる、といわれていた。私の場合、穿孔していた上、大家さんの奥さんがオペの介助をしたナースに聞いた話だと癒着もしていたらしいので、癒着した虫垂を剥離した上、腹腔内を洗浄し、ドレーンを入れて閉じるという作業が行なわれたと思われる。それだけの作業を45分で終わるというのは余りに速過ぎはしないか?ちゃんと悪いところを切り取ってあるのか、洗浄は十分にできていたのか等、気にならずにはいられない。これまでいろいろな人から、Dr.SKNの腕は中西部のネパールでは随一と聞いていたが、不安はぬぐえなかった。後日コンピューター技師のA氏(県立病院のスタッフだがうちのオフィスにも来る)にも聞いたところ、Dr. SKNはオペが速い事で有名だという話。信じて良いのだろうか?







前々からわかっていた虫垂炎の待機手術を受けた。

カトマンズの病院でというのも考えたが、今生活の拠点がこちらにあること、カトマンズは水不足で、長兄の家や友人宅に世話になるのも気兼ねがあるなどの点でネパールガンジでする事に決めた。



県立病院、医大を回って、どこが良いか、どの医師が適当か,中央材料部、滅菌室の設備などに問題はないか等、前もって検索する。これにかなり日数がかかる。結局、巷の評判、病院関係者の意見、実際に病院の中へ入ってチェックをする等して確認する。



結論的には、県立病院のSKNという外科医が良いということでそこに決める。

医療関係者、特に県立病院のスタッフの間では、家族にもし手術をする必要が生じた場合はみんなDr. SNKにお願いしているのだという。当然のことながらDr.SKNのスケジュールはいつも一杯で今回も彼の手術日である日曜日は来月一杯まで詰まってしまっていた。でもDr. SKNの外来へ行くと、明日、しようか?と言われる。私は驚いて、7月7日以降でないと職場を休めない事を告げ、結局7月9日の木曜日に決まった。



D.SKNのオペ日でないので念のため手術室のナース達に会い、9日で良いか確認すると、案の条、木曜日は整形外科のオペ日だから駄目だという。ちょうどそこへ整形外科部長のDr. Tも来て、あんた一人の為にこの病院のシステムを狂わせられるのは困る、と文句を言う。



そこまで言われると私もそれ以上言えなくなり、7月8日にDr. SKNの外来へ行き、オペ室で言われた事を話すと、私がオペ室に言うから、と言ってくれた。



当日朝、朝食抜きでオペ室へ直接行くと、Dr.SKNがいて、私のオペをする旨をオペ室のナース達へ告げるとナース達は、この前Dr.Tがいる所でも言ったようにそれは困ると言い張る。かなりの剣幕だった。DR.SKNは悪びれる事も無くじゃあDR.Tに僕が電話するから、と言って携帯から電話をかける。なんだか私は悪い気がしてどうしようかと気が気では無かったが、Dr.SKNは、今日駄目なら明日、明日も駄目なら日曜日の僕の患者の一つをキャンセルしてやってあげるから、とまで言ってくれたのには驚いた。直前まで決まらないのは不安だったがドクターの好意はありがたかった。



ほどなくDr.Tが到着し、整形のオペが始まる。今日は4件あるのでそれが終わった後、時間が余れば私のオペをしてくれるとの事。絶食のまま一日中待たされたあげくオペは明日になったりしたらいやだが待つしかなさそうだ。Dr.SKNはバグワン(God)が何とかしてくれると思うから安心しているようにと言うような事を言った。こういうところはやっぱりネパールらしい。



オペ室前の廊下に置かれたベッドに座ったまま待っていると、Dr.SKNに手術で使う物品及び薬品を買って来るよう、書いた紙を渡される。主人が買ってきたものを見ると、点滴のセットやリンゲル液、麻酔に使う腰椎穿刺針、縫合に使う糸などが入っており、いよいよ手術されるという実感がする。腰椎穿刺針が25ゲージなのはいいことだと思う。太い針だと副作用の頭痛を起こしやすいと聞いていたので。



最初の整形のオペが終わってまもなく手術着に着替えるよう言われる。もちろん下には何も付けられない。これは手の手術の時にわかっていたので驚かない。着替えてから小一時間経った頃だろうか、メインOP室へ入るように言われる。すでにその前で待っていた私は自分でドアを開けて入る。



手術室の中は思ったより広く、手術台が2台あり、同時に2件の手術ができるようになっていた。

現在右手の台で整形のオペが進行中であり、二人の若い整形のDr.が執刀中だったのだが、Dr.Tは壁際の床に座り込んですでにオペ用の白衣に着替えたDr.SKNやナース達と無駄話をしていた。



私は左手の方の手術台に寝るように言われ、そうすると、Dr.Tが、君がどうしても今日して欲しいということで私のオぺ日だったがやらせてあげることにしたんだよ、とすごく恩着せがましく言う。私が、だからあなたにはダンネバードって言ってるでしょう、と言うと、一人のナースが、ダンネバードなんて言わなくていいんだよ、と言う。



隣のベッドの腕の骨折のオペはまる見えで、大きく切開した腕の両側から金属のプレートやボルトを入れたり、ドリルで骨に穴を開けたりしている。整形外科医の仕事と言うのはいわゆる大工仕事と同じだ、と知る。Dr.Tは二人の若手医者にまかせっきりで、雑談をし終わるとのろのろとオペ室から出て行ってしまった。



麻酔医が来るはずなのだがなぜか来ない。仕方がないのでDr.SKNが重い腰を上げ、みずから腰椎麻酔を行なう。麻酔医でないので不安だったがすぐに針が入ったらしく、下半身の感覚が無くなる。痛くはなかった。



目の前に針金のさくが置かれ、それに私の手術着が足の方からめくられてひっかけられたので術野のほうは見えなくなる。おなか全体を消毒綿で拭かれているのがわかるがそれも次第に感じなくなる。

いつ切開したのか、中をさぐっているのか、何をされているのかまったくわからない。Dr.SKNは無言のまま黙々とオペを行なうのみ。助手の外科医はいなく、オペ室のナース一人が左側に立って補助している。創を鉤で開いて保持しているのは彼女の仕事なのだろう。



術中は全く快適で痛くもなんとも無かった。やがて、ナースが、あなたのオペは終わりましたよ、と言う。私は思わずえっ?こんなに早く、と言った。時計を見ると一時。オペを始めたのが12時15分くらいだったから45分くらいしか経っていない。一時間は普通かかると日本では聞いていたので。

目の前のつい立てが除かれ、おなかを見ると、右半分が大きくガーゼと絆創膏で覆われている。

術着を着せられながら、ナースが、ここはドレーンを入れてるからとか何とか言うのをきいて、あ、ドレーン入れられたんだ!そんなにひどかったのか?と思う。

Bardiaへ行く日の朝、8時半、予定より遅れてRB来る。

全然遠慮する様子なく家に入って来てまとわりつく家の犬にも驚く事もなく、うちの娘と握手する。

遅くなっているからすぐ食事して、と促す私に従い、テーブルに着く。

黙々と食べる。まるで自分の家のように。これまで家に来る客はみんな多少遠慮が見られたものだったが、彼は全然そんな事はない。遠慮して欲しいとは思わないが、初めて食事をよばれる家での態度としてはあまりに余裕で、堂々としている為、そういう客は初めてだったのでいささか驚いたのだ。もちろんありがとうなどお礼の言葉もない。ご馳走になる、と自分で宣言して来たからかどうなのかわからないが。


その後、彼の新品のバイクでBardiaへ向かう。

すこぶる快適。私の体重が軽いせいか、揺られるうちにだんだん前へ前へずって行くのが気になるのか時折彼は立ち上がり、体勢を整え直したりしていた。でも私はRBの胴に手を回すような事は決してしていない。出来ない。帰り道はRBのバイクにHIVのR君も加わって3人乗りになったので私が一番後ろに乗ってR君のお腹に手を回してつかまり、R君がRBの胴につかまった。だから私は真ん中を避けたのである。最近太ってきたR君の脂肪のついたお腹に手を回すのは全然抵抗なかった。こうして超汗臭い男二人とバイクに相乗りで帰って来たのだ。

そういう私も汗でぐっしょりなのだから人の事言えたものではないが。40度を超える暑さの中ではそんな事いちいち気にしていられないのだった。


肝心の仕事だが、二つのうち一つは上手くいったのだがもう一つの方は散々であった。RBはその時は何もいわなかったくせに今日のリビューミーテイングで真正面から私をなじったのである。みんなの前で。ミーテイングで人にあんな言い方をされたのは初めてであり、著しく私はプライドを傷つけられた。

私は余りに急だったのと、そのような事を今までうちのスタッフの誰からも言われた事がなかった(上司Bにさえ)のでショックですぐに返答できず、沈黙してしまった。確かに私のやり方がまずかった点はあっただろう。でもそれを私があの場でどうするべきだったのか、今言うのはその時とっさにいうより容易いに違いないのだ。

RBが私のやり方に納得できないのなら、その時すぐに言えばよかったのではないのか。その時に黙っていながら、今になって私をなじるのは卑怯である。


私はなんともいえない怒りをRBに対して感じた。今日言われた事は後になっても絶対に忘れないし許せない。きっと仕返ししてやると思った。このままで済まさないぞと思う。後でRBの言い方を何度も思い出しては再び怒りがこみ上げるのを感じた。今日のところは反撃できなくて本当に残念である。






食後に出したマンゴー