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Kanchiの日常

Muna-ko-mami(通称Kanchi)の日常を綴った日記。仕事から娘の学校、たわいない日々の出来事等。ストレス発散はこのブログのもう一つの目的かも。

退院してから2日は家でほとんど寝て暮らした。退院する時もらったディスチャージチケットと言う紙には投薬内容及び2週間のベッド上安静とある。私は2日で飽きてしまい、2週間も安静にできるとは思えなかったので3日目に試しに職場へ出てみる事にした。


職場へ行くと、ちょうどインチャージミーテイングの日で、いきなり1時間半の会議であったが別に気分が悪くなる事も無かった。ただクーラーが効きすぎで寒く、お腹の辺りが冷えるのが心配だった。

仕事中はお腹に布を巻いていると安定するのかラクなので、クルタスルワールのショールを巻いておく。ちょっと妊婦のように見えなくも無いがまあ仕方が無い。


アイケアセクションのB氏、KC氏と話す。そのうちKC氏は彼もつい一ヶ月前に虫垂炎にかかり、医大で入院して点滴で散らしたのだが、その後彼の妻がカトマンズで倒れた為、その看病に言った折に又そこで痛くなり、今度は内服薬で抑えていると言う。でも腫瘤になったところがなかなか治らず、おそらく近々手術になると思うと言っていた。手術の前後の事やらを詳しく聞かれる。KC氏は今回大分懲りていると見えて、出来るだけ早く切ってしまいたいと話していた。カトマンズの病院でするという事だが、どこにしてもネパールガンジよりは高くつくようである。私の場合、県立病院それも地方の、しかも個室が空いてなくてフリーベッドで通したのでコストは大変安くついた。合計6千ルピー弱で済んでしまったのだから。手術料だけを見るとなんと1200ルピーのみである。私のように重症化していて癒着、穿孔を起こしていたにもかかわらず、料金は一律であるようだ。これでは割に合わないと思うのだがシステムがそうなっているらしい。外科医にしてみれば割りの合わない話だと思うが。


それにしても私、KC氏、そしてRBと、うちの職場は同じ年に3人も相次いで虫垂炎になるとは一体どうなっているんだろう?と偶然にしては出来すぎのように思う。


夕方までパソコンに向かって座ったままの仕事だったが、きつい仕事ではないのに座っているだけで疲れ、そのうち眠くなってくる。いますぐ寝れたらすごく助かるな、などと思う。やっぱり本当はベッドで安静にしているべきなのかもしれないと思う。家に帰るとぐったりし、夕飯までの間に寝入ってしまった。

オペ後3日目ともなると大分余裕が出てきた。同室の人ともフレンドシップが出来、体を動かすのもずっと楽になってくる。咳をしたり笑ったりしなければ創もそれほど痛まない。トイレが汚いので2階の有料病棟のを使うようになってからは自然と運動量も増える。2階までは階段でなく、長いスロープになっているので都合が良い。夜の付き添いもいらなくなり、お手伝いの子を家に帰す。でも他の患者はみんな付添い付だ。ネパールでは薬や注射器など全部、患者側が買って来て用意しないといけないシステムになっているのでどうしても常に付添いが必要なのだ。私のように、自分で薬局へ行って買って来れる人はまれであるから。


このシステムは一見面倒のようだが、患者側にとってはありがたい面もある。たとえば同じ薬にしてもメーカーが違うと値段も違ってくる。病院側が用意したのを使うのだと自分でメーカーを選べない。飲まなかった薬は返品がきくので、もしこれは飲みたくないなあと思えばナースの手前、飲んだふりをしておいて後で薬局へ返品できたりする。たとえば痛み止めなど。それから薬について詳しく知りたい場合、薬局に言うとその薬の説明書(箱の中に出荷時に入っているやつ)をくれる。これはとても役に立つ。


この日夕方、アイケアセクションのウマが合う同僚BMさん、それに経理のAさんが来てくれた。二人のいつもながらのあっけらかんとしたキャラクターに癒される。オペの事等話す。二人がちょうど来た時、RBから電話がかかる。ベッドのナンバーを尋ねられたのでRBも来てくれるのか一瞬期待するが、この日は来なかった。


翌朝、RKから電話あり、今日午後みんなで行くからと言う事。そうとなればちょっと小ぎれいにしておかなければ。ずっと洗ってなかった髪を洗い、体をよく拭いてネグリジェも着替える。

いずれも30台前半の男達がずらっとベッドを囲んで座る。RBが右手に一番近くに座り、RKは左に来て、ざくろを剥いて実をこそげては渡してくれる。みんな少しずつざくろを食べ、会話は緊張しているのかあまりはずまなかったが、手術はどうだったと言うような話になる。


RBが、自分も一度はここに来なければならないと思う、と言う。彼も昨年の暮れに虫垂炎を薬で散らしているのだ。だから私のオペが決まった時、少なからずびびっていた。私は本当に痛いのは2日目まででそれを過ぎればどうと言うことは無い、私の場合、穿孔していたので余計な苦痛を経験する羽目になったが普通はもっと早く回復するので心配する事無い、あなたもいつ痛くなるかわからない虫垂を抱えているよりはさっさと切ってしまった方が良いと思う、と言った。


切り取った虫垂のホルマリン漬けをみんなに見るかと聞いたがRBが見ただけであった。きっとみんな気持ち悪かったのだろう。RBは通常の5、6倍の大きさに腫れて、穴が開いてしまった私の虫垂を見てショックだったらしく、こうなるまでに外から診断する手段は無いのか?レントゲンには写るのか?と聞くので、レントゲンには写らないが、超音波を撮ればわかる時もある。ただし上手な人がやらないとダメだが、と答えた。それで彼は超音波を撮ってみることにし、それで虫垂が大きく腫れていれば手術に踏み切る、と言うのであった。


帰り際にRBが、子供は家で大丈夫?心配してない?と聞く。他の誰もそういう事には気が回らないのだが、このあたりがRBのやさしいところなのだ。


馴染みになったナースに、あとで職場の人たくさん来て嬉しかった?と聞かれ、素直にうなづく。

術後2日目、昨日午後に移動した6人部屋の外科病棟はなんだか騒がしく、ゆっくり寝ていられる雰囲気ではない。左隣のお爺さんは糖尿病で手足に壊疽ができているのだが、夜になるとやにわに大きな声でしゃべり始め、デシ語なのでよくわからないのだが、自分の人生を嘆くような意味のことらしい。そのあと長々と歌うように泣くのだった。これには本当に参る。同室の人みんなよく眠れない。注意しても効果なし。その付き添いの妻の老婆もこすっからい感じの人物で、うちのお手伝いの子とベンチの取り合いで喧嘩をしたりしていた。

昼間は昼間で、右隣の子宮全摘の女性(これもデシ)のところに見舞いの家族、親類が大勢で押し寄せ、しかもみんな幼児を連れており、泣き叫ぶは、走り回るは、私のベッドに座るは、ととても休めたものではない。たまりかねて、ベッドに座らないで、私は具合が悪いんだから、騒々しくしないで!と叫ぶがネパール語がわからないと見えて全く効果なし。



この日の夕方やっと起き上がる。腕の力だけを使い、まず横向きになってから。めまいはせず、気分はそんなに悪くないので起きてしまうと難無く歩ける。傷は痛いが誰にもつかまらないで結構速く歩く。

今日は土曜日で休みなのだが午前中に外科のDr. Aが回診に来る。AはSKNより若く、院長のDr, Yと一緒のユニットなのだがSKNが来ない時は彼の患者も診る。私が、排気がまだ無いと言うと聴診器で下腹部を診る。おなかの音は問題ないらしく、昨日から言われている、小さじに1、2杯ずつ水かお茶を飲む事を続けるよう言われる。お茶が持って来れれたので、ほんとうはいけないのだが、我慢できず、グラス半分飲んでしまう。そのせいか後でお腹が張って苦しくなる。



でも夕方近くになって少し排気があり、夜9時ごろDr. SKNが来た時それを言うと、点滴を除去すると宣言される。水分、流動食を制限なく許可された。おかゆは食べてよいかと聞いたら、明日の朝からにしなさい、今日はダルだけにして、と言われる。丸2日以上何も食べていないのでお腹はぺこぺこだった。



翌朝、腕にしていた注射ルートの差し替えをしたのだが、痛さで緊張したのか、貧血を起こし、ちょっと意識がなくなる。私はこのルートを取るのがいつも怖く、長くて太い針を見ただけでいやなのだが、今回これを2回も刺し直す羽目になったのであった。その後もなんだか気分がすぐれず、トイレに行った時又貧血を起こした。運悪く一人で行っていたので、ナースコールもないトイレで立ち上がることも出来ず、困ったが、幸いしばらくしゃがんでいたら直って、なんとか歩いて帰る。体が弱っているのを実感ずる。食べないとやはりいけないらしい。



家からおかゆやダル、オクラの細かく切った炒め煮など持ってきてもらい、食べる。食べられるようになり、やっと人心地がついた思い。この日、部屋を隣の部屋に移る。

今度の部屋は窓際のベッドでスペースもあり、涼しく、隣の人も普通でほっとする。やっぱり女性の患者は少なく、6人のうち私一人だ。他の患者はというと、尿路結石、腎結石、大腸穿孔、前立腺のいずれもオペ後の患者および腎結石オペ待ちの一人、と言う具合。大腸穿孔のお爺さん(70歳)のみ重症。この人はPost Operative Room で一緒だった人だ。創がつかず、離開してしまい、感染も起こしていて熱があるらしい。輸血をしていた。ナースはこの人のみ検温を計りに来る。それ以外の患者には全くバイタルチェック無し。こんなにさっぱり無ければかえって気持ちいいくらいだ。私は自分で持ってきていた体温計でチェックしていた。貧血を起こした時は頼んで血圧を計ってもらったが。



カルテは一応あるのだが、回診の時チェックするとバイタルの欄には術後一回だけ計った血圧が書いてあるだけ。体温のグラフは、36.5度のところにボールペンでまっすぐ横に線が引いてあり、計ってもないのに、と思う。

尿量とか、一切チェックなしだし、排便とかも何も書いてない。いつから水分摂取開始かだけ小さく書いてあるのみ。隣の腎結石の人のを見てさらに驚く。名前と住所日にち意外は何も書いてないのだ。何のオペをしたか、診断は何かとかも全部空欄のままである。それに比べると私のカルテには、Appendectomy、 SA(腰椎麻酔)、最終診断:Recurrent Appendicitis と書いてあるのは上出来だろう。



ナースはベテランが多かったが、一人少し若めで私とウマがあう子がいた。低位カースト出身だが頭は良さそうで、はきはきとものを言う。正直なのか、えっと思うようなことを平気で口にする。昨日の夜勤はとても疲れた、3番のベッドの人、死んだんだよね。それで酸素吸入やらドクター呼んだりとかでちっとも休む暇なかった、それで今朝は頭が痛い、と私の注射をしながら言った。又、HIV陽性の患者が2人いるのだが、手袋を付けながら、もし伝染ったら人生おしまいだからね、などと言い、処置をしに行くのであった。私が口外しないからいいけど、なんだかなあ、と思った。



個室が空かなさそうでおそらく退院までこの部屋にいることになりそうだ。ベッド代は要らず(free bed)、一階なので2階の有料病棟よりも涼しく快適。慣れてしまえばそんなに汚いようにも見えないし、窓からは病院の庭の大きなやしの木が見えている。困るのはトイレが極端に汚い事だが、2階の病棟のトイレにいくようになってからはまあまあ許せる。運動にもなるので毎回2階に上がる事にする。同室の人とも打ち解けてきた。向かいのタルー族のおじさんは、腎結石のオペ待ちだが、体力が極端に落ちてしまっていて今すぐ手術が出来そうに無い状況なのだが、若い息子さんが3人でとてもよく面倒を見ていて、尋ねてもいないのに私に話しかけてきた。右隣のベッドのおじさんは、腎結石の術後、生来病気をしたことが無かったのでこの度の手術で相当へこんでしまっているらしい。私より一日早くオペだったので歩けるのにベッドからなかなか起きようとせず、ご飯も寝たまま食べさせてもらっていた。そこへナースが来て、そんなことではダメ、起きてトイレに行く事、ご飯を自分で食べなさい、少しぐらい歩いたらどうなの?と叱責する。でもちょっと歩いて傷が痛むと又寝込んでしまう。普段元気な人ほどひとたび病気になるとダメらしい。でもこのおじさん、同じ村の人から借金を返してもらっていないのでその取立ての電話を私の携帯からした時だけは別だった。起き上がり、毅然とした口調で、今すぐお金を返せ、そのままで済ませられると思っているのか馬鹿野郎!と啖呵を切ったのだった。その意気だ!と私は思った。