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Kanchiの日常

Muna-ko-mami(通称Kanchi)の日常を綴った日記。仕事から娘の学校、たわいない日々の出来事等。ストレス発散はこのブログのもう一つの目的かも。

今回のJumlaの一日目は郡庁所在地での会議で始まる。RB、RK、私の3人、それに今回のトレーニングの講師をお願いしたNFHPのG氏とR氏がネパールガンジから、それにNRCS JumlaのチェアマンH氏、FCのH君が今回トレーニングを行なう主なメンバーである。RBもRKも初めてのヘルスコミッティのトレーニングにとても張り切って気合が入っている。


会議ではG氏、R氏の二人が主にヘルスコミッティサポートの必要性と計画を述べたが、さすがにこれだけを年がら年中やっているだけあってプロだ。私達皆舌を巻く。しかし予想外に良かったのがチェアマンH氏のスピーチだった。彼がここまでサポート計画を理解し、DHOをはじめとする郡の主な関係者の前で、ユーモアも交えたアトラクティブなしゃべりでコミッティの活性化の重要性を説いたのには感心してしまった。


その夜はRB、RK、私の3人で一室に泊まる。RKがいてくれたおかげで間が持つのでほっとする。しかし、突然来ネ中の日本人Kさんより電話が入り、日本のS郡S町で洪水による大被害が出ていると知らされる。S町といえば母の妹が住んでいる所なのだが、町の中心からはかなり離れているのでおそらく洪水はまぬがれているのではないかと勝手に想像する。しかしどうも気になる。思わず二人の前で、日本の叔母の田舎が洪水で大変らしい、とこぼしたら、RBが、日本へ電話したいのか?と聞くのでうなづくと、携帯から安くかけられる国際電話の方法があるからちょっと待ってくれたら友達に頼んで自分の携帯からかけれるようにしてもらうと言ってくれた。


しかしその日はあいにく休日。ネパールガンジではどこも店はあいていなく、携帯電話のカードのチャージできる店がないというRBの友人の返事。私は、いいよ、ネパールガンジに戻ってからかけるから、と言った。


翌日はトレーニングの準備で一日終わったが、RKが、Tatopaniのトレーニング会場および宿泊場所の確保、参加者の最終確認の為に一日早く現地入りしよう、とRBに提案する。RK、RB、H君の3人が一足先に行き、私と講師の二人、DHOからの参加者が当日現地入りするというものだ。ところがRBはそれに従おうとしないのだった。RKはRBの上司にあたるので上司の言う事を聞かないというのはオフィスでは良い事ではないとされているのだがRBは絶対に今日は行かないと決めているようで、かたくなに口を結んでいた。どうしてそれほどいやなのか、どうせ明日には現地入りするのに、と不思議だったがわからない。


でも私がトレーニングに使う絵の色塗りをしていると、RBはずっと横で、絵カードを見ながら、この女性の顔は好みだの、それに私がシンドゥリを付け加えてしまったのでせっかく結婚しようと思っていたのにがっかりしただの、この男はRKに瓜二つだがかわいそうに、結婚もしないうちにこんなにジジイになってしまったよ、等と軽口ばかり叩いていた。RKとH君は笑いながらそれを聞いていたが、RBが行かない事察するとじゃあ明日会おう、と出て行った。


その夜は予期せずしてRBと二人で寝る羽目になり、いつもの事だが間が持たなくて困った。緊張で寝つけるはずも無いので精神安定剤を飲んでなんとか寝る。


翌朝5時半、RBが起きる気配ですぐに目覚める。

起きるとすぐにいつものとおりヨガの呼吸法とストレッチングをベッドでやっている。二人とも無言である。D君が実家から差し入れてくれたりんごを黙々と食べ、バスパークへ向かう。

ヘルスコミッティのトレーニングがいよいよあさってから始まる。

と言う事でまたもやJumlaへ。今度は一週間の予定だ。


このところ天候が悪く、飛行機がなかなか飛ばないので今日のチケットは先日からの欠航便で停滞した乗客の為手に入らず。旅行代理店の誠実さの欠けた対応についに業をにやしたRB、自らエアラインオフィスへ交渉に行く。3時間近くかかってやっと戻ってきた彼は、6人のうち4人は旅客便のチケットを押さえたがあと二人分が取れなかったため、食料運搬用の特別便に二人分のチケットを無理やり頼み込んで取ってもらったという。さすがこういう時に押しの利くRBだ。食料運搬の飛行機に乗るのは果たしてRBと私。やったぜ!


この間Jumlaから帰る時も旅客便が一杯で、食料用の便に私とRBだけが乗って帰ってきたのだ。あの時はJumlaのりんごが満載されていたのだったが、今度はネパールガンジからお米を積んで行くらしい。運転席の後ろの2席のみが残され、後のシートはすべて取り外されているのだが、りんごの入った袋がごろごろしている機内にパイロット2人と私とRBの4人というのはなんだか特別機をチャーターしてもらったVIPみたいな気分で楽しかった。


ところで先日から降り続いた雨はただ事では済まず、BardiaのRBの村は今年も又カルナリ河の氾濫による洪水にみまわれ、彼の実家は床上浸水するという事態になったのだ。昨日がそのピークだったらしく、一家は近くの小学校に避難し、食事もまともに出来ていない状況らしい。RBの携帯には9歳の娘より、今晩もし生き残れたら明日電話するね、というメッセージが入る。心配じゃないのかと聞くと、心配はしてない、毎年の事だし、とあっけらかんとしているのには驚く。でも彼は家に頻繁に電話を入れ、水はひきはじめたか、とかB(娘)は泳げないので特に気をつけてやれだの、食べ物には注意するように等いろいろ指示をしていた。奥さん、お母さん、そして子供2人が田舎にいるのでは心配でないはずが無い。


タトパニからの帰りはジープがつかまったおかげで歩かずに済んだ。今回、ちょっと歩いただけで疲れてしまうし、特に上り坂はほんの少しの距離でも息が上がってしまうのがショックだった。急な坂を上がった時、ついに途中で歩けなくなり。RBに、休まないと歩けない、と訴えてしまう。手術の時、出血したせいで貧血になっているのかもしれない、と言うと彼は、そんな風に考えては駄目、それくらいの出血はすぐ体が補充するはずなのだから、と言う。そうであって欲しいと思うのだが、前には平気で上れた坂がこんなにしんどくてはフィールドの仕事が出来ないではないか。

ジープに乗る時、座席が私の分しか確保できなかったので、RBとH君は屋根の上に乗る。タトパニのCFが調達してくれたお土産の地元のりんご約20キロも屋根に積む。雨が降っている寒いので自分の着ていた合羽をRBに貸す事にする。彼はJumlaに来るというのにいつものとおり一着しか着替えを持って来ていない上、シャツは半そでなのだ。長袖を着てもまだ寒く、地元の人はジャケットを着ている者が多いというのに。日本の小学生のスクール用の合羽を来たRBはなんだかかわいく、学生みたいに見えたが合羽は小学校5年生用だった為、当然サイズが小さすぎるのでキツキツだ。

カランガに着いて、さて、りんごを運ばせるポーターを探さないといけないのだが、あいにく誰もつかまりそうに無い。雨が降っているせいもあるが人通りが少ないのだ。どうしようか、バスターミナルに預けて、明日取りに来ようか、等とH君も私も途方にくれていたのだが、突然RBがりんごの入ったズダ袋をえいやっと肩に担ぎ上げたかと思うと無言で歩き出したのだ。これにはH君も私もびっくりして顔を見合わせる。
次の瞬間、無性に可笑しくなり、最初はRBに遠慮して声を殺して笑っていたが、H君も笑いながら、CEHPのボスが自らポーターを買って出たのは初めて見た、と言うのを聞いて、こらえきれず、げらげら笑ってしまう。結局ホテルまで5分ほどだったがRBは担ぎとおしたのであった。
いつもRBとJumlaに来ると、必ず何か忘れられない出来事が起こるのだ。というか、RBのやることには必ずなんらかのオチがつくのである。前回の時の魚の卵に当たった事とか。

この夜もH君が家に帰ってしまい、RBと二人でツインの部屋に寝る事になるが、彼は一向に気にせず、又私だけがなかなか寝付けず、夜中に彼がトイレに起きる気配ですぐに目覚めてしまうし、熟睡できずじまいだった。翌朝5時過ぎに起きた彼は、テレビをつけ、インドのヨガの番組を見ながら自分もヨガをまねてやっていた。あくまでマイペースなのだった。