Kanchiの日常 -26ページ目

Kanchiの日常

Muna-ko-mami(通称Kanchi)の日常を綴った日記。仕事から娘の学校、たわいない日々の出来事等。ストレス発散はこのブログのもう一つの目的かも。

話は前後するが、トレーニングの前日はTeejと言ってネパールでは既婚の女性達が集い、歌い、踊るお祭りがあった。前日の深夜食事を取った後、翌日のお祭りでは食べ物を一切口にしない。ヒンズー教の寺院におまいりした後は歌って踊って楽しみ、そして実家(マイティ)へ帰るのだ。みんな赤いサリーを着て、金のアクセサリーで華やかに着飾って。


その日の朝、ホテルで目覚めるとRBが、今日はTeejだけど、マダムはマイティに帰りたいと思わないの?と聞くのだ。私は驚いて、私にはもはやマイティという概念すら消え去ってしまっているのよ。日本の実家には誰もいないし、と答えた。RBは私の両親がすでに亡くなっている事は知っていたはずなのでどうして聞いたのかはよくわからない。彼は、Teejが来ると、ネパール人の女はみんなマイティへ帰るんだよ、そしてTeejに歌う歌が聞こえただけで。うれしくなって誰でもすぐに踊りだしてしまうんだよ、と教えてくれた。私は自分の帰って行く実家が無い事を考え、ちょっと暗くなっていたのだが、それを察したのか、RBは、マダム、マイティが無いなんて思うんじゃなくて、僕達のことをマイティだって思ってくれたらいいよ、と言ってくれたのだ。


何げなく言ったRBのその一言がその時の私には思いがけないほどに嬉しかった。何と言っていいかわからなかったので黙っていたけれど、内心RBの暖かさをかみしめていた。こういうところに他の人にはできないRBのやさしさ、思いやりを感じるのだ。


そんな事を言いそうに無い、一見いかつい外見のRBだけに、よけいにたまらない魅力を感じてしまうのであった。








トレーニング二日目の朝から、RBとRKは張り切って準備をする。RKは字もうまく、大きな紙にポイントを書いていくのをR氏が感心したように見ている。RBはそのような作業は余り得意でないとみえて上手く出来ず、G氏がいいよ、僕が書くから、と言われてしまう。でもこの日はRBが始めて1セッションを仕切るので頑張って欲しかった。


RBのセッションの番になる。最初は緊張の見えるRB。思わず頑張れ、と心の中でエールを送る。

表情は固いが出だしは好調。中盤からは波に乗ってきたのか少し余裕が見えてくる。そして最後の方になるとやっといつものRBらしい自信を取り戻したように、コミュ二テイの事情を知る為には家にいたのでは駄目、出て、歩いて、自分の目と耳で確かめる事、と語り、又我々のプロジェクトのグループの事にも言及する余裕を見せたので私はほっと胸をなでおろした。


夕方、私は温泉場に行くと言ってCFのBさんと一緒に向かう。RKとRBも行くと言っていたがなかなか来ない。私が入浴を終えて髪をとかしているとRBが来る。RKは来てなくて代わりにPyuthanのFCのD君が一緒だ。だが彼は入浴せず、RBだけが湯に入る。パンツ一枚のRBを前でじっと待っているのもなんだか変なので私は上に上がり、D君や散歩に来ていたH氏と雑談をしながらRBが上がって来るのを待った。


RBが湯から上がってきたのでD君と3人で宿に戻る事にする。日が落ちると寒いくらいだ。私はレインコートをはおる。歩き出してしばらくして、RBが、頭が冷えて痛くなってきた、などと言うので私のレインコートのフードをはずして彼にかぶらせる。レインコートのフードだけをかぶっている人というのを余り見たことが無かったので可笑しく感じたが寒いのなら仕方が無い。


帰りはきれいな川のほとりの田んぼのあぜ道を歩いたが、この地方のローカル種の稲の紅色を帯びた稲穂が夕風になびいてきれいだった。そこをRB、D君、私の3人で歩く。RBが携帯から音楽をかけ、それを聴きながら。これも一種のロマンチックなのではないか、と思う。しかしふと私は、D君がいなかったらRBと二人で歩けたのに、と思う。RBしか入浴しないのならついて来なくてもよかったのではないかと思うのだが、ネパール人は日本人と違い、一人歩きは余りせず、いつもたいてい誰か連れがないといけないらしい。


宿に着くとRKがちょっと退屈そうに庭に一人で座っている。

風が湯上りの体に気持ちいいのでRKと向かい合って雑談しながら夕飯が出来るのを待つ。

RBは寒いと言って台所へ入って行き、炊事をするかまどの前に座っている。1時間近く経った頃、RBとFCのH君が台所でなにやらコソコソしていたと思ったら、H君が、「マダム、RBが呼んでるよ」と言うので台所に入っていくと、RBがグラスを手に、「マダム、飲みますか?」と聞く。グラスの中を見ると透明な液体。すぐにそれが水ではなく、地酒であるのを知る。私は、米のか?それとも稗の?と尋ねるとRBは、米のだ、僕はこれが一番好みなので、と言う。私はだまって目配せして小さなグラスに一杯持って来させた。宿の主人自ら作ったというそれはあまりきつくは無く、純度は低そうだったががなかなかまろやかで口当たりが良かった。RBが宿の主人に地鶏のおかずがあったら出すように言ってくれ、それとダルをさかなに二人で飲む。


二人だけで向き合って話すのはいつもなら間が持たないのだが、酒が入ると違う。とてもラクなのだ。私は口が軽くなっているのを感じ、今日のRBのセッションの感想を言ったりした。素面ならこんな事を面と向かって言いにくいのだが後半は自信が持てたみたいでなかなか良かったよ、と素直に言えた。

食事になり、食堂でRB、RK、H君、D君、それに私の5人で座ると、H君がビールを3本持ってきた。こんな田舎でどうやって手に入れたのか知らないが高いに違いない。いつもは飲まないはずのRKまでがこの日は飲む気になったようである。私はかなり酔いが回ってしまっていたがH君が又地酒をグラスに持って来たので皆と一緒に食事しながらそれを飲む。


一ヶ月Jumlaにいなくてはならないのならここで現地妻を持つことにするよ、と言ったRBを皆でからかう。私はそれに関連して、うちの主人も自分の学校に先生を連れてくるのに結婚して連れて来るなんて言ったのでいいよ、私も楽できるし、と言ってやったの、というと、大丈夫、マダムの夫は絶対そんな事できないから、とRBが言う。


食後椅子から立ち上がれないのでは?と不安だったがなんとか歩ける。4人の前でみっともない真似は出来ないのでふらつかないように歩くよう努める。RBが母屋まで送って行こうか、というのを大丈夫だと言い、今夜も虫に刺されるようだったら電話して、等とわけのわからない事を言っているのを我ながら可笑しく感じつつ、4人と別れて寝る。

バスパークに着くとまもなくチェアマンのH氏やDHOからの参加者が到着する。RBの隣に座りたかったのだがH氏が隣に座っていい?と聞いたのでいやというわけにいかない。こんなネパールの山奥の村なのにバスは新しくきれいで、CDでBGMを聞きながら行くのであった。曲は運転手がロマンチックなのが好みと見えてラブソングばかりである。


「あなたを忘れない」云々の歌詞で大変センチメンタルな最近のヒットナンバーから次は古い名曲だが、「僕の小さな君にまだ触れることすら出来ない」云々これもなかなか切ない曲である。私はだまってバスに揺られながら聴いていたが隣のH氏をふと見やり、50過ぎだが切れの長い目と端正な口元が魅力的な氏の横顔にちょっと見とれていた。窓の外のきれいな川の流れ、赤く実ったりんごの木等がH氏の精悍な顔立ちをいっそう引き立てているようであった。


Tatopaniに着くとその日はヘルスコミッティの再編成の為、トレーにイングのスタートが一日延びる事になるのだが仕方がない。おまけにその夜は私を除く全員南京虫にやられ、特にNFHPのG氏は痒さで一睡も出来なかったとこぼしていた。私はなぜまぬがれたかというと、女性は一人だからと言う理由で宿の主人が自分の母屋の一室を空けて貰ってそこへ寝たからである。


そしてついに記念すべきヘルスコミッティのトレーニングが始まったのである。ここまでこぎつけるのに本当に大変だった、と振り返って思う。3月に下見に来てから実に5ヶ月が経過していた。この日はRKが講師R氏の補佐を1セッション行なう。頭の良い彼だけあって初めてなのに良くアシスタントをこなす。明日はRBが1セッション任されることになっている。