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Kanchiの日常

Muna-ko-mami(通称Kanchi)の日常を綴った日記。仕事から娘の学校、たわいない日々の出来事等。ストレス発散はこのブログのもう一つの目的かも。

ダサイン明けの今日から3日間、私は職場で実施するスタッフの能力向上の為の研修に参加する事になった。いつもはトレーニングを行なう事が多い私達であったがこの度は自らが参加者となって訓練されるのだ。たまにはこういう機会も新鮮で、学ぶべき事もあると思うので結構なのだが、問題はそのやり方と中身。Appreciative Inquiryというのがそのタイトルなのだがそれについて3日間、朝7時から晩の6時まで昼休憩30分のみでびっしり行なわれるのであった。


私にはこのタイトルで何で丸々3日もかかるのか腑に落ちなかったのであったが、一日目の今日が終わった時点でその理由がなんとなくわかったのだ。まず、7時集合でブレックファーストのはずが8時半になっても9時になっても参加者が揃わない。時間までに来ないならほっといて始めてしまえば良いと思うのだが待っているのである。そして遅れてきたその人物は到着後、その時間にもかかわらず、食堂でしっかりブレックファーストを食べ、何の悪びれた様子も無く会議室に入室。始まるべき時間はすでに2時間近く遅れてしまっていた。


それに加えて、一日目のプログラムは自己紹介で始まり、ゲームを何種類か行なったりするそれは2時間ほどかかるのだった。その後やっと本題に入るかと思いきや、この研修で教わりたい事について、一人ずつ言わされる。それからその期待に応える為、研修後どのような結果が出なければいけないかについてまたもやブレインストーミングである。参加型の研修であると言う点では好ましい事かも知れないが、本題に入るまで2時間半以上かけるというのはちょっと前置きが長すぎるのではないか。ましてたださえ2時間も遅れが出ているのに。


ネパール人は案外辛抱強いというか、タフというか、ほとんど休憩なしでこんなスケジュールの研修に参加して平気なのだ。私はヘトヘトだった。まあすべてネパール語で行われた為、私には言葉のハンディが大きく、それによって疲れが倍増したこともあるが。


今日の内容は、人の人生とは、その目的とは、及び他人と自分の関わりについてが主な題材だったのだが使われる用語が日常で余り使われないものが多く、私は理解できずほんとうに疲れた。

帰宅してから夫にわからない単語をメモしたのについて教えてもらい、ようやく少しわかったが、全体の内容からすると半分も理解できていなかったと思う。


明日もあさっても又今日と同じ不可解な講義を受けないといけないのでああ、疲れる、と考えただけでうんざりなのだが、まあ少しは役に立つこともあろうかと思うので我慢して参加するしかないか。明日は全体のまとめ(参加者がどれだけ内容を理解できたかについて)をする役まで任されてしまっているのでよけいに気が重いのだがどうにかして終わらせなければならない。せめてRBが一緒に参加していたなら自分のモチベーションが断然上がっていただろうが、残念ながらRKと一緒で、RBは木曜日からの別の組に参加なのであった。

Jumlaから帰ってネパールガンジの暑さにノックダウンされ、それに加えてヘルスコミッティのトレーニングが終わってしまったという事で気が抜けてしまった私は体調を崩しそうであった。というより精神的にがっくりきてしまったようなのだ。そんな折、RBは水のテクニシャン2人とBardiaへ行ってしまい、金曜日しか戻って来ない。その後からはダサインで9連休になるのだ。おまけに昨日と今日もムスリムのお祭りと、ソシアルサービスデーとかで職場は急に休みとなったのだ。


具合が余りよくない私にとっては休みが多いのは助かるが、家に一日中いると気が滅入ってくるのであった。これはもしかすると更年期障害かもしれないと思い、同年代の友人に電話する。するとその友人も更年期の症状が出ていると言うではないか。彼女の場合は疲れやすいのと頭痛が主な症状らしかった。私の方は気分が沈んでいて悲しくなってしまう、というのだがこれはRBに会えないせいであるかもしれなかった。いつも一緒に出張した後は、24時間行動を共にした後なので強い喪失感と淋しさに見舞われるのだが、今回はそれが特にひどいようだった。


家で何もすることがないと、Jumlaでの出来事が一つ一つ思い出され、あの時はああしておけばよかった、とか、RBはなんてやさしいのだろう、とか何度も同じ場面が回想されては頭の中をぐるぐる回っている。もう一緒に行けることなんか無いかもしれない。3ヵ月後のレビューミーテイングもRKと行かされるかもしれないし。RBに宿での飲み代を払おうとした時、いいよ、今度フィールドに出た時で、と言ってくれたが今度一緒に行ける時はもう無いかもしれないのだ。


ダサインの休みに夫と飲む予定のアップルブランデーを見て、RBが、マダム、(ご主人と)二人で少しずつ飲んだらいいよ、と言ってくれたっけ、と気を取り直そうとする。私も3本も購入した彼に、あなたの今年のダサインはきっと良いダサインになるよ、と言ったのだ。彼の実家はついこの間大雨で水につかってしまうという災害に見舞われたので、彼の家族がダサインで幸せな時を過ごす事が出来る様にと祈らずにはいられない。

Taliumの最終日にようやくバラバラだった私達チームが一緒になれる。RB、H君、私の3人で行なう。DCのサワパティS氏は来なかったが。DHOからのP氏も遅れたが到着し、いくつかのセッションを受け持ってくれる。RBもH君もかなり力が入っていた。H君は若く、かなり続けてしゃべっても疲れる様子もないし、彼のしゃべりは早く、立て板に水、と言う感じなので理解力の劣っている参加者がついて来れているか少し心配になる。


RBのスタイルはと言うと、口調はH君よりかなりゆっくりしており、誰もがついて行けるペースでおまけに所々で識字レベルの低い女性メンバーがちゃんと理解できているか確認している。この気配りには感心する。又彼は、H君がミーテイングの説明の時、参加者に発言させなければいけない所をに我慢できなくて自分でしゃべってしまった箇所をあれはまずかったよ、とH君に後で言ってやっていた。よく見ていると思った。


二人にトレーニングをやってみてどうだったか、感想を聞いたら、RBは自己評価が高く無く、自分のやった結果に満足してないと言うではないか。なぜならNFHPのG氏やR氏のように完璧に出来なかったからだという。もう一度G氏に指導を受ける必要があると思うと言うので、私は、あなたは理論はよくわかっているのだから、あとはトレーニングの実際においていろいろな状況に臨機応変に対応できる力をつけるだけなのだ。それはトレーニングの現場を何度も経験する事で自然と身につくと思う、と答えた。


二人になんとか応用力をつけて欲しいと思うのだが、他のVDCでトレーニングをやる話をどうすれば持って来れるか?少なくともあと2、3回彼らにやらせればトレーナーとして一人前になると思うし、彼ら自身も自信を持つ事が出来るのだが。


最終日に私はスピーチをやる羽目になり、本当に困ったがなんとかやり終えた。Tatopaniの時よりはやや緊張がやわらいでいたように思うがやっぱりすらすらとしゃべれるわけではない。

私とRBは最後にマラ(レイのようなもの)をかけられ、二人とも照れてしまう。RBのはいい香りのする杉の木のような葉で作ってあった。何日も行水してないので臭い消しにちょうど良かった、等と言っていた。


Taliumを後にし、カランガに戻る街道に出て、あっと私は叫ぶ。蛇行する川の向こうに初雪を載せたヒマールがくっきりと青い空に映えていたのだ。なんてきれいなんだろう、とRBの携帯で写真を撮っておいてもらった。本当は彼自身もそれに写っていて欲しかったのだが、言えずにいた。その後もRBは道端の子供らのままごと遊び等を写し、その子らに飴を配ったりしていた。


どうやら私達はバスにもジープにも置いてけぼりを食ったみたいでカランガまで1時間半を黙々と歩く羽目になったのだった。RBは羊毛の敷物を買ったので5キロほどあるそれを提げて歩かねばならず、うんざりしていたようだったが、私はもしかしたらこれがRBと二人でフィールドを歩ける最後かも知れないと思うと心残りの無いように楽しもう、と思った。


でもやっぱり会話はあまり無くて、RBのかける音楽をBGMを聞きつつ黙々と歩く。終わったね、と私を振り返り、RBが言う。うん、このトレーニングが終わったら、なんだかもう私の仕事みんな終わったって感じがしてるところ、と答える。マダムは大きな仕事をやり終えたんだよ、というRBの言葉でこの1月からずっと構想を練り、準備をして来た数々のことが思い出され、なんともいえない気持ちになった。その道のりの途中にはいつもそばにRBがいてくれた。私は半歩前を歩く彼に抱きつきたくなるのをようやくこらえた。


私は4月で契約が終わるから田舎に帰るという話をしたら、彼は、やっぱり田舎に帰るのか、後はリタイアライフを楽しむのか?と言う。自分ではそれを望んでいるわけじゃないが、夫は帰って来いと言うし、と答える。当然だがとても悲しくなる。


Jumlaに秋が来ていた。稲穂はたわわに実り、黄金色に変わろうとしている。街道のりんごの実も真っ赤に熟れ、空の青さはもう雨季のそれではなかった。昨日までは無かった雪が行く手のヒマールの頂をふんわり覆っている。それはやがて真っ白にまぶしく輝くようになるのだ。