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Kanchiの日常

Muna-ko-mami(通称Kanchi)の日常を綴った日記。仕事から娘の学校、たわいない日々の出来事等。ストレス発散はこのブログのもう一つの目的かも。

娘の学校は今日も父兄面談日。つい2週間前にもあったのに何かと思ったら先週のユニットテストの結果を返すのだった。


前回はリキシャで行ってテンプーで帰ってきたのだが今日は気候がいいしテンプーで往復しようと思って大通りまで歩いていくと、馬車がちょうどやって来たのでつい乗ってしまう。乗合馬車はたいてい満員に近く、せまい座席にぎゅうぎゅうで乗るのは馬が早足で駆けたりすると振り落とされたりする危険はあるのだが、高い位置に座るので見晴らしがよくて気持ちがいいのは確か。


両手で日よけの支柱をしっかりにぎって落ちないようにする。今日の馬はタフなのか、8人も乗っているのにいい調子で闊歩していた。ネパールガンジを去るともうこれには乗れないなあと思うと、せいぜい乗れるうちに乗っておこうかと思う。


ビザなしの国境越えももう全く不安がなくなってしまった。だれが気に留めるものか、と思う。そのまま馬車でゲートを超えて、国境から50メートルもない娘の学校の前で馬車を降りる。15ルピー。


クラス担任が2学期から新しい先生に替わり、前の先生よりはしっかりした方のようなのでひとまず安心。相変わらず娘の成績の方は伸び悩んでいるが、去年のように落第ぎりぎりでクラスの最下位を競っていた頃よりは上がってきているように思う。でも英語がまだ相当の努力を要すると言われる。インド人の生徒は、できる子とできない子の差がすごくて驚くばかり。なぜか娘は成績の上位の子とばかり友達になるのだがなぜだろうと思う。私だったら引け目を感じていやなので同じレベルの子を友達にするように思うが。





今週の月曜日から職場は冬時間になり、4時で終業。これは3ヶ月間続く。もう大分日が短くなってきているのでまだ明るいうちに帰れるのは助かる。通勤の道に街灯は少なく、うっかりすると自転車の日はドブに落ちたりしかねない。自転車にライトも付けていないし。


一時間仕事時間が短いとやはり疲れが全然違う。帰ってからも余裕で夕飯が作れるし、気が向けば帰り道で友人宅に寄ってお茶を飲んで帰ったりできる。今日はそうした。友人は道端の池から魚を捕ってきてそれを家で飼い始めていた。10匹以上いたので少し欲しいと言ったら、2匹だけならあげる、と言ってくれた。この辺のドブや池にはどこでもいる魚だが、日本では熱帯魚として売られているうちの一種ではないかと思う。キラキラ光っていて、長いはらびれに赤みがあり、飾りのようなひげが長くのびていて美しいのである。たしかパールグーラミーとかいう種類に似ていると思う。


予想通り娘は魚が大気に入りで、夕食の時までずっと眺めていた。こんなことならもっと早く飼ってやるのだった。この他にも近くの池にはいろんな種類の小魚がいるようなので捕まえて飼って見たいのだがただでさえ近所では外国人ということで目立っている私が足などあらわにしてきたないドブ池で魚を捕っているのを見られたら、人だかりがするのはわかっているので実行する勇気がない。今日ちょっと水草を取りに池に行った時もそこらの子供達が何してるんだこのオバサン?という目で寄って来たし。


一つ不思議な事がある。魚のいる池は雨季に雨が降るとその辺の空き地が自然に水溜りになって池が出来るのだが、雨季が終わって1、2ヶ月すると干上がってしまう。当然魚もみんな死んでしまうのだ。でも翌年の雨季になってまた池が出来るとどこからか魚がやってきているのだ。一体どこから来るのだろう?魚をくれた友人(ネパール人)は、雨と一緒にそらから降って来るのだと真面目な顔で言う。そんなことありえない、と私が言うと、じゃあどこから来るのよ、と困った顔をした。


だれか本当の答えを知りませんか?

ラクノーへ検査に行っていたRBが帰ってきた。あれ、早かったね、もう帰ってきたの?と聞くと嬉しそうに、結果を一緒に見て欲しいというので彼の席で一緒に見る事になる。MRIの画像を見たさに他のスタッフ達がたくさん集まってきた。予想していたとおり、所見の欄には何も異常がないと書かれてある。これでは何のために高い費用をかけてインドまで行ったのか、という事になるが、RBはそれほどがっかりしてはいなくて、自分の臓器が写っている画像を面白そうに眺めていた。


私はRBが気の毒だったが、まあ異常が見つからなくてよかったということを強調しておいた。でも今日も痛みは続いているというので、これだけ検査をたくさんやって原因がわからないなら医者に見せてもどうしようもないと思う。それともダミ、ジャクリのところへ行って吹いてもらったら直るかしら?と言った。するとRKが、信じる人ならそれも良いだろうが、RBはそのようなものは信じてないんだよ、と言う。そうか、困ったね、と私は言い、それからRB、RKと一緒に神様を信じるかどうかの話になった。


RKは、特定の神の存在を信じるわけではないが、彼はこの世の中の事はあらかじめ我々の力でコントロール出来ないようになっている事は信じるのだそうだ。RBはというと彼は一応ヒンズー教徒ということには表向きはなってはいるが、いかなる宗教のどの神にしても信じる事はできない、という。私自身は一時期クリシュナを自分の守護神ではないかと思っていたが今はそれも忘れがちである。


県立病院の外科医が私の手術をする前に「バグワン」と口にするのを聞いたし、何かにつけてネパール人は宗教が生活に密着している人が多いと思っていたが、RBのような例外もいるのだと知る。