汽車旅行顛末記(その3) | Kanchiの日常

Kanchiの日常

Muna-ko-mami(通称Kanchi)の日常を綴った日記。仕事から娘の学校、たわいない日々の出来事等。ストレス発散はこのブログのもう一つの目的かも。

姪の家に着いてシャワーを浴び、一休みすると、体のあちこちが痒いのに気がつく。 背中、お尻にいくつかの虫刺されの跡が。どうやら寝台列車でやられたらしい。咬み跡からするとたぶんダニかナンキンムシのどちらかだろう。レザー張りのシートだったが真ん中で2つに分かれており、その隙間に埃がたまり、虫の住みかとなっていたのだろう。インドの寝台列車、恐るべし、というところか。


姪は昨年、駆け落ち同然で結婚し、ネパールからデーラドゥンに来たのだが、想像していたよりずっといい暮らしをしていた。ネパールの両親とは電話はするものの、インドへ来てくれる可能性は無さそうなので私が行くと大変嬉しそうな様子を見せた。姪の実家よりもお金持ちで、何不自由なく生活しているように見受けられた。お舅さん夫婦、さらに舅のお父さん夫婦と、いわゆる2重姑状態なのだが、姪はまだ19歳という年齢もあってかとても可愛がられており、なんと自分の洗濯物まで舅のお母さんに洗ってもらっていた。姪の夫は弟が一人いるだけなので義理の両親、祖父母ともに実の娘よろしく愛されているようであった。嫁姑問題ではいろいろ聞いているインドにあって、彼女は非常にラッキーだったと言うべきであろう。


でも私は今回、なぜ姪の両親が結婚を許さなかったのかがわかった。嫁いだ家は、インド国籍のネパール人家庭だが、違うカースト(実家より低い)だったのだ。二人が知り合ったのは、姪の父親がインドの軍隊に勤務のため10数年姪の家族はインドに住んでいた折で、インドでの最後の駐屯地デーラドゥン滞在中、高校生だった彼女は同じ学校の上級生だった今の夫と恋に落ち、姪の父親が退職して一家がネパールへ戻った後も電話で連絡を続けていたのだ。そして一年経たないうちに姪の夫はネついにパールまで姪を連れに来て、姪は両親には告げずに彼とインドへ逃亡したという次第である。おそらく姪は、両親(ことに父親)が違うカーストとの結婚を許さないであろう事を知っていて、このような行動に出たのであろう。


舅のお母さんは、なぜ姪の両親が訪ねて来ないばかりか連絡もろくにしないのかという事を良く思っておらず、私にもそうこぼしていた。でも姪の両親、特に父親の考え方を思うと、残念ながら今後も両家の交流は期待できそうでは無いと思った。ともかく姪の最近の写真と、姪の夫の家族の写真を預かり、姪の両親へ届けると約束した。舅のお母さんは76歳だがとても若々しく、ユーモラスな方で、事実上この家の実権を握っており、アクティブ

である。私のことをなぜか娘と呼び(息子一人しかいないからか?)、とてもよくしていただいた。姪のおかげでつながりができたわけだが、このような暖かい家族と知り合えるとは予想していなかっただけに、最初は恐縮したが、素直に好意に甘える事にした。夫が聞いたらさぞ驚いて、私がほんのちっぽけなお土産しか持って来なかった事を責めるに違いないのでこれは言わないことにしようと決めていた。その夜、夫より電話が。デーラドゥンに来ている事は話してあったのだが、姪の家がどんな家で、家族は誰々かとかを聞かれた。私は簡単に伝えるとそそくさと電話を切った。余り長く話していると、ボロが出そうな気がしたので。


お舅さんの車で市内観光をしたり、至れり尽くせりの3日間を過ごし、私達は帰りの列車に乗るために駅へ向かった。帰りは2等座席車で、デーラドゥン始発であったのだが、姪の夫とお舅さんが先に立って先頭車両へ向かう。見ると、汽車のドアの横にその列車に乗る乗客の名前、年齢、性別が張り出されてあるではないか。うわー恥ずかしい、と思ったが遅い。心なしか姪の夫の顔に驚きの色が浮かんだように見えたのは気のせいか?私は姪には本当の年齢を明かしておらず、姪は私は30代だと思い込んでいるのを知っていた。

またしてもやられた。プライバシーには疎い、インドの国鉄であった。