こんばんは、Hareです。
もうすぐKAZUMAさん✗シュンさんの舌骨ラピュタセミナー第三回(舌骨ラピュタ・サードアイ・神の声を聞く)が近づいてきました。
現地ではほぼワークとのことで、
舌骨ラピュタの事前勉強会での学習内容について一部記事にしたいと思っています。
(毎回の勉強会で衝撃を受け、声と喉について認識が変わっていっています)
また、
- メンターやヒーラーとセッションが始まる前に大抵の問題が解決していることについて、
- オイル気功の素晴らしさ・楽しさ、すゝめ
- KAZUMAさんのセミナーで学んだオラクルについて、
- 最近起こったT理論の中での内なるパラダイム・シフト(混ざっていた古いパラダイムが分離され、ヒーリング能力が全体的に向上した)の話、
- アナトミートレインを読んでも返り討ちに遭ってきた私が、Fasciaの繋がりを臨場感取れた書籍の話
なんかも書きたいと思っています。
今日は、舌骨ラピュタの勉強会で出てきた右脳言語野についてから徒然と書きます。
右脳言語野は左側の言語野に対しての仮説で、
左脳言語野:言語:分断
右脳言語野:非言語:統合
という対比で捉えられると認識しています。
という前提を押さえた上で、Bicameral Mind(二分心)に移動します。
端的に言えば、左側言語野の発達と言語の発生によって失われた、右側言語野という神々の声という機能です。
右側言語野とは、端的に言えば、「自分は自分より大いなるものにいつも見られている」という感覚です。そして、その大いなるものを仮に「神々」と名づけるとしたら、その声が聞こえていたのが、3000年前の言語がなかった時代ということです(ユーザーイリュージョンではより突っ込んで書いてあります)。より聞ける人がリーダーとなり、民衆を率いていたということです。
左側言語野の言語のほうが大きいために、右側言語野はかき消されていますが、いまでも確実に聞こえているはずです(はっきり聞こえれば、それは統合失調症となります)。
そのカラクリを利用したのが、宗教であり、チャネリングです。
(中略)
我々がこのBicamerarl Mindに気づくのは、たとえばどうしても思い出せない名前を思い浮かべるときです。我々はその名称を思い出せないはずなのに、思い出した瞬間にその名称が正しいことが分かります。これは奇妙です。分からないから検索しているのに、何と照合してその名称の正しさを感得したのでしょう。
言語が分裂や分断を引き起こすとは、20世紀最大の振り付け家であるベジャールさんの言葉であったと思いますが、そのカラクリがこの寺子屋「カントの純粋理性批判 ~神々の沈黙を聴く~」で見えてくると思います。
(まといのばブログより)
もっとはっきり言えば、右脳言語野が発達しており、非常に頭が良い場合は、神秘体験などをちらっとでも見せられると帰依してしまうという問題です。
かつてのカルト&テロ団体であったオウム真理教では、多くの"優秀な”学生たちが容易にリクルートされていきました。
彼らは右脳言語野が発達しており、抽象空間に構造物を作ること、それを受け入れることにたしかに長けていました。
(まといのばブログより)
>彼らは右脳言語野が発達しており、抽象空間に構造物を作ること、それを受け入れることにたしかに長けていました。
歌は右脳言語野を鍛えられる、という話が勉強会で出てきました。
歌や音楽の非言語的な構造やお作法が右脳言語野で処理されるとするなら、
まといのばでよく紹介されるエミネム(『lose youself』)や、ラッパーのラップを聞いていると、言葉の意味はわからなくても深い変性意識に入っていくのは、右脳言語野的な構造によるものなのかと。
韻(rhyme)も言語ではなく非言語で、右脳言語野の領域かと考えました。
そこで話題はラップに飛ぶのですが、
晋平太さんが一ヶ月前に亡くなっていたこと(を公表されたこと)、知りました……。(R.I.P)
にわかですが、音源も、youtubeでのMCバトルの解説動画も、好きでした。
流れ続けるタイムライン
記憶に残るパンチライン
とうとう来たなこの時が
罵り合いの先の時代
ラップ詳しくない方もR-指定のCreepy Nutsは知っているかと思います。
熱いHIPHOP漫画があります。
バレエ漫画の『昴』や、『め組の大吾』の曽田正人さんが描いた
『Change!』(サブタイトルが少しださいと感じます)です。
ラップのMCバトルと和歌の歌合せの相似性、
日本人の漢語→大和言葉と、英語のラップ→日本語のラップへの受容の相似性が語られたりもしています。
面白くてオススメです。
私たち気功師にとってドキッとする場面、セリフもあります。
MCしおりんが初めてのバトルの時にディスしたことを対戦相手に謝るシーンがあるんだけど、とても印象的なんです。
対戦相手の『MCオーボエ』のセリフがいい。
「ラップなんて上手くても意味がない」と言ったことに対して謝罪しないと前に進めないと言ったしおりんに、4ヶ月後の高校生ラップ選手権で優勝しろと。
「そんなの無理です」と言いかけたしおりんに
「一度口に出した言葉を取り消すのも本当は同じくらい大変なことだと俺は思っている」
というセリフ、そして続く形で、
「言葉を言葉で取り消そうとする奴は可哀想さ」
「日本語の威力と魅力を知らないってことだからな」
と。
ラップを腐したことについて、言葉での謝罪ではなく、ラップ愛を証明する行動を取れ、と。
言語に対して言語で書き換えようとして反発されること、
そしてむしろ分断が広がること。
ヒーラーとして学ぶ前に散々繰り返してきたので、ぐさっと刺さりました。
非言語を主戦場として書き換えするヒーラー・気功師として胸に刻みたいです。
MCバトルは、
その場での即興で、
DJによって鳴らされるビートがあり、
そのビートに対しての本歌取り(サンプリング)があり、先人たちの名パンチラインやその生まれた背景をつまりは文脈を知りHIPHOP IQを高め、
バトルする二人の中で良いフローが作られる、
ようです。
ヒーラーのやることとも似ているのでは、と思いました。
T理論やまといのばの気功・理論に解剖学など、先人による知識があることでヒーリングIQが上がり、
当意即妙に繰り出し、
場の状態があり、
ヒーラーとクライアントの二人でセッションが作られる。
また、和歌の古今和歌集仮名序の冒頭について知り、興味深かったので共有します。
以下が冒頭の原文です。
やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける
世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思ふ事を、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり
花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける
力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり。
wikipedia『古今和歌集仮名序』より (太字は引用者)
現代語訳は以下。
和歌は、人の心をもとにして、いろいろな言葉になった(ものである)。
世の中に行きている人は、関わり合う色々な事がたくさんあるので、心に思うことを、見るもの聞くものに託して、言葉に表わしているのである。
(梅の)花で鳴く鶯、水にすむ河鹿の声を聞くと、この世に生を受けているもの全て、どれが歌を詠まないことがあろうか(、みな詠むのである)。
力を入れないで天地(の神々)を感動させ、目に見えない鬼神をもしみじみとした思いにさせ、男女の仲を親しくさせ、勇猛な武士の心を和らげるのは、歌なのである。
(太字は引用者)
力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり
ここに心を掴まれました。
和歌のロゴス・ミュトスの力が高らかに宣言されていると思います。
この続きで、和歌は天上(神の世界)から渡されたものと定義されていることも、
『はじめに言葉ありき』を感じました。
超情報場はLogosというプログラミング言語で書かれているからです。
それをヨハネの福音書では「はじめに言葉ありき」と言いました。
しかしこれはギリシャ語では「アルケーにおいて、ロゴスあり」と書いてあります。すなわちすべての根本は(だからこそ宇宙の始まりから)ロゴスがあるということです(もちろん終わりまで)。アルケーは古代ギリシャ哲学の重要語句です。
c.f.ラテン語は当然の教養でしょう(#・∀・)ということなのか? 2012年10月17日
c.f.「はじめに言葉ありき」(新約聖書)が「アルケーはロゴスである」(古代ギリシャ哲学)と読めるワケ 2016年01月23日
(まといのばブログより)
クルアーンやルーミー語録にも『咒』についてありました。
古典にこそ、『咒』のことが書かれているように感じるこの頃です。
古来から賢人しか知らなかったすごいワザに、
T理論とまといのばの理論によってアクセスできていることに感謝です。
ガツガツ使って楽しみましょう。もっと使いこなして人の役に立ちたいです。
終わります。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
Hare
㊗️ 記事ランキング7位&総合ランキング77位! 777😁御礼
おかげさまでランキングによく入るようになってきました。
総合ランキング77位は最高位なので、特に嬉しいです!
祝える時に祝っておきます!わーい!
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