ス井ートポーヅ(神保町)※現在閉店 餃子の思い出 | HARDYを楽しむ方法

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HARDYを「人生」と置き換えてみる。

ブログタイトル「HARDYを楽しむ方法」とは、即ち人生を楽しむ方法。その中で、人にとって「食」は欠かせない楽しみの一つだと思っている。ただ、自分のお気に入りの店が、テレビや動画で紹介された後に急に客層が変わり、行き難くなってしまったなどの声を聞くと、本当はブログで紹介すべきではないこともジレンマとしてある。私の発信にそんな効力はないので、心配には及ばないだろうが、どんなに影響力が少なくても常に細心の注意が必要であることは肝に銘じておきたい。自分のお気に入りの店が急に遠のいたら寂しくなる。でも、現代社会において、ネットから得られる情報の恩恵を受けていない人の方が稀だろうし、その情報の多くは、一個人の発信から成り立っていることも忘れてはならない。美味しいご飯が食べたい。その気持ちは大抵の人が抱く共通の感情だ。そして、この現代のストレス社会において、孤独を癒し、個を取り戻す意味で、自分のお気に入りの空間を見つけることは、人生を楽しむことにつながっている。そんなことを考えつつ、恐らく、私の人生で一番多く通った店の思い出を話してみたいと思う。

 かつて、神田神保町に「ス井ートポーヅ」という餃子の名店があった。(店の写真は無い)私は本当にこの店の餃子ライスが好きで、二十五歳から四十歳までの十五年間、週に一、二回は通っていた。

書店業界で働いていたので、平日はほぼ神保町で本を買い付け、昼はス井ートポーヅかエチオピアのカレーを食べていた。神保町には安くて美味い店がたくさんあった。けれども、コロナ禍に私の一番好きな店が惜しまれつつ店を閉じた。私はその餃子が好き過ぎて、毎回同じメニューを頼むものだから、終いには、入店するだけで自動でオーダーされるほどだった。そんな、私にとっては、馴染みの店が今は思い出でしかない。昔、かろうじて撮った写真が残っていた。

ビールが写っているので、ランチではなく、夕飯を食べた時だろう。

この餃子が私の中のベスト。No1 。他で様々な餃子を食べたけど、都内でも宇都宮でも、亀戸でも、噂を聞いて食べてはみるものの、ス井ートポーヅの餃子を超えることはなかった。ここの餃子は、北京よりなのか、強いて言えば棒餃子に似ている。でも、私に言わせれば全然別物。この餃子の皮が美味い。肉肉しい餡。私はいつも「中皿ライスのご飯大盛り」が定番だった。閉店する数年前から、恐らく焼きを担当する料理人が変わったためか、焼きに多少の不満があったが、それでもやっぱり通った。代がかわるのは仕方がない。古い店の佇まいも好きで、落ち着いた。個を取り戻す空間がそこにあった。

 最近は、美味い餃子屋を見つけられなくて、自分で作るようになってしまった。ス井ートポーヅのような餃子は作れない。であれば、せめて、コシのある餃子の皮が食べたい。

勿論、餃子の皮から作る。焼き色をつけてから五分蒸し焼きにする。

強力粉100%で作る餃子。中力粉では物足りない。

でかい笑。でも、すごく美味しい。

醤油はいらない。味がしっかりついている。餃子は自分で作る。もし、外で食べるなら、ス井ートポーヅを超えるものでなければ、満足できないからだ。餃子の強烈な思い出。

 

では、また。