結構つらかったGLAYのコンサート。でもそれはGLAYのせいでもなんでもなく、ただ私の趣味じゃなかったというだけのおはなし。
思い起こせば今までも何度となくつらいコンサートは経験している。
年々低下する記憶力にカツを入れる意味でもここらで一気に振り返ってみたい。
ポールマッカトニー(79年頃 日本武道館)
実際には成田でマリファナ所持のためとっつかまり、幻となった日本初公演。
何がつらかったってチケットゲットまでの道のり。私はまだ高校生。時は12月。
その頃はちけぴやらイーチケットなんてものはこの世に存在しなかった。プレイガイドにて一斉発売。
学校のビートルズファン仲間7~8人で銀座ソニービルに夕方から並んだ。徹夜したのだ。
比較的暖かかったとはいえ、夜の冷え込みはハンパではなく、何も持たずに厚手のコートのみというおバカな集団の我々は凍死しそうになった。もちろん一睡もできなかった。
すぐ後ろの男子高校生グループは慣れていたらしく、レジャーシート、ボードゲーム、ラジカセ、寝袋と万全の態勢だった。
地下鉄もしまってしまい、暖をとることもできなくなった私たちはその辺に捨ててあった新聞紙にくるまった。新聞紙があんなに暖かいものだとこの時初めて知った。
その列は新橋付近まで続いていたと思う。お祭りみたいで今思えば楽しかったけどね。
こんな思いをしたにもかかわらず、あっさり払い戻しとなったのは言うまでもない。
オフコース(81年頃 日本武道館)
これはニッポン放送に並んで取ったと記憶している。コンサート自体はすごくよかった。
ただ、一緒に行く約束をしていた当時の彼と直前けんか別れしてしまい、友達を誘っていったというのがほろ苦い。
さだまさし(81年頃 横浜球場)
その日私は何かの用事で横浜を一人で歩いていた。多分元町のミハマとかキタムラあたりを見に行ったんだと思う。ハマトラ女子大生だったからね。
夜は東京で約束があったため、スタジアム横をを関内方面に向かい歩いていたんだと思う、確か。
そしたら少し年上位の男性が声を掛けてきた。
「あの~すいません。友達がこれなくなったもんで、よかったら聴きませんか?」といってチケットを差し出してきた。
「あ、お金ないので」と当然断った。ところが
「いえ、そんなのいりません。もったいないので、もしよかったら是非いらしてください」といってかなりしつこく誘われた。
いい人そうだったし、なんか気の毒だったので、最後までは居られないことを話し、結局一緒に見ることになった。
「レコードいりますか」「プログラム買ってあげましょうか」「オレンジジュースでいいですか」とかなりサービス精神旺盛な人だった。もちろん丁重にお断りしたけど。飲み物はもらったんだっけかなあ。
出だしはさだ妹の「白鳥座」というグループで、あくび噛みしめるのに苦労した。
やっと本人が出てきたと思ったらやたらしゃべりばかりで(今でいうところのMC)、結局1~2曲歌ったところで逃げるように退散した。
その人はしゃべりの時は大笑い。歌の時は目をつむり腕を組み体をゆすって浸りきっていた。本当に好きだったのだ。
尊敬するさだまさしのコンサートに空席作るのが許せなかったのか、それともナンパだったのか未だにナゾ。
名前もお互い名乗らずお別れしました。
レイパーカーJr.(82年頃 中野サンプラザ)
当時流行った「ウーマンニーズラヴ」がいいよね~なんて話をクラスでしていたところ、それを聞きつけた大して親しいとは言えないクラスメートから「今度来日するから一緒に行こうよ。チケは私が取るから」と言われ、行くことにした。
代金だけ払ってチケは当日待ち合わせたときに渡すからと言われ、私は中野駅前で待っていた。ところが彼女は現れなかったのだ。
自宅に電話したり、会場まで行ってみたりしたけどとうとう会えなかった。そう、私はコンサートに行けなかったのだ。目の前まで来ていたのに。
その夜遅く「どうしたの~」という能天気な電話が掛ってきたけれど、間違いなく彼女はこなかった。もちろんお金は返ってこなかった。悲しいけれど、だまされたんだと思う。あまり評判のいい子じゃなかったし。
すごくショックだったけど、もしかしたら私の勘違いという可能性もあるわけだから泣き寝入り。
つづく