飲んべえ修行僧のブログ
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チリ大地震

南米チリ中部の太平洋沿岸で、

現地時間の2月27日3時半頃(日本時間15時半頃)、

マグニチュード8.8の巨大地震が発生した。

これにより、環太平洋全域に津波が押し寄せる可能性が高いため、

気象庁が警戒を強めている。

日本に到達するのは、およそ22時間後と見られ、

2月28日の13時前後と推定されている。


チリ大地震の影響で、

高さ1メートルないし3メートルの津波が襲来する恐れがあるとして、

気象庁は青森県から宮城県にかけての三陸沿岸に大津波警報を、

その他の太平洋沿岸各地に津波警報を発令した。

大津波警報が出されるのは、

1993年(平成5年)7月の北海道南西沖地震以来、

17年ぶりのことだと言う。


チリの地震と津波と聞いて、真っ先に思い浮かぶのが、

ちょうど50年前の1960年(昭和35年)5月に発生したチリ地震であろう。

マグニチュード8.5で、

有史以来観測された中では世界最大規模の地震であり、

チリにおける犠牲者は1700人以上にのぼった。


この地震によって引き起こされた津波が、

地震発生から22時間半も経って、日本の太平洋沿岸に襲いかかった。

最大6メートルを観測した大津波は、

三陸海岸を中心に甚大な被害をもたらし、

犠牲者は140人以上にのぼった。


驚嘆すべきは、その津波のスピードである。

チリと日本は太平洋を隔てて、およそ1万8千キロの距離がある。

その遠大な大海原を、津波はわずか22時間半で渡ってきたのである。
単純に距離を時間で割ると、

そのスピードはなんと時速750キロに達するのだ。

時速750キロ! これはジェット旅客機に匹敵するスピードである。


ジェット機並みの猛スピードを維持したまま、

1万8千キロの海を渡ってくる波というのが、

俺にはどうしても想像できなかった。

1万8千キロもの距離を、膨大な破壊力をいささかも損なうことなく、

時速750キロのスピードで移動してくる波。
人間はそれを予知できるのに、止めることはできない。

被害予想地域に非難勧告を出すだけで、津波そのものには手も足も出ない。


宇宙ステーションに人間が常駐し、

民間人の宇宙旅行さえ現実的になっている時代なのに、

目に見え、触れることもできる海面を走ってくる波に対して、

まったくの無力である。なす術がない。

それはもはや波ではなく、人智をはるかに超越した、

なにかまったく別の物体に思えた。


テレビの民放各社は、朝から津波情報のテロップを流し続け、

NHKはすべての放送予定をキャンセルして、

津波情報の特別番組に切り替えた。

津波の第1波が早ければ日本沿岸に13時過ぎに到達すると繰り返し、

警戒を訴えていた。

15時くらいからは、民放もすべて津波の特番に切り替わった。


そんな緊迫した状況で、

アナウンサーがいきなりバンクーバーオリンピックのニュースを伝えた。

女子スピードスケートの団体追い抜きで、

小平奈緒、田畑真紀、穂積雅子の三人が銀メダルを獲得したと、

あたふたと読み上げた。


フィギュアスケートが終わり、

もう日本人でメダルが取れそうな種目はないと思われていただけに、

この思いがけない快挙はとんでもないビッグニュースである。

本来なら時間をかけて、詳細に報道したいはずだが、

津波襲来が間近に迫っているため、

銀メダル獲得のニュースは軽く触れるのみで、再び津波情報に戻った。
2010年(平成22年)2月のバンクーバーオリンピックは、

チリ大地震とワンセットで、日本国民の記憶に刻み込まれるだろうと思った。
そう言えばバンクーバーも太平洋沿岸だが、

津波の影響はなかったのだろうか。


日本では、最高で1メートル20センチの津波を観測しただけで、

大津波はやってこなかった。

木綿のハンカチーフ

ネットをやっていて、《木綿のハンカチーフ》という言葉にぶつかった。

1975年(昭和50年)12月にリリースされた、太田裕美の最大のヒット曲である。

翌年の年間シングル売り上げランキングで、堂々の第4位に食い込んだ。

若い人でも、タイトルくらいは知ってるのではないだろうか。

同時期のヒット曲に《およげ!たいやきくん》がある。


恋人よ 僕は旅立つ 東へと向かう列車で~♪

頭の中に、自然と歌い出しが流れ始めたのだが、

このとき俺はたまたま別のブラウザで、日本地図を開いていた。

それがたまたま、北海道の地図だった。


このとき、ふと疑問が頭をもたげた。

今まさに東へ向かう列車に乗らんとしている、この恋人は、いったいどこにいるのか?

歌詞の中に具体的な地名は、一切出てこない。

どこの駅から、東へ向かう列車に乗るつもりなのか?


もしこれが、函館札幌旭川だったら、いったいどうなるのか?

そんなところから東へ向かう列車に乗ったら、行き先は網走釧路根室あたりである。

《ビル街》という言葉が出てくるが、網走や釧路にだってビルはあるだろう。

いったい彼は、なんのために、道東へ旅立ってしまったのか。

漁師にでもなるためかと思ったが、《スーツ着た僕の写真を見てくれ》というくだりがあるので、

漁師というわけではなさそうだ。海産物メーカーのセールスマンだろうか。

もし《流氷が接岸した》というフレーズでも出てくれば、ああ網走かと思うし、

《ヒグマに襲われた》なら知床かなとも思えるし、

《タラバガニがうまい》なら根室かしらと思うし、

《タンチョウを見た》なら釧路だなと推察できる。

《シャバが恋しい》とか出ようものなら、間違いなく網走だろうが、

囚人が列車に乗るとも思えないから、これは否定されるであろう。


ヒントになるキーワードが出てこないので、残念ながら土地を特定できない。

がしかし、特定できない以上、北海道の可能性も捨て切れない。

彼女を函館や札幌の都会に置き去りにして、なぜ彼は道東の原野へと旅立ったのか。

そんなに昆布缶詰を売りたかったのだろうか。

そんなにヒグマと格闘したかったのだろうか。

大志をいだいて道東へ飛んだのだろうが、その動機は謎に包まれている。


また、出発地が東京だとすると、恋人は総武線銚子へ行ってしまったとも考えられる。

ヤマサ醤油に就職したのか、あるいは銚子電鉄の運転士になったのか。

まさか経営危機に陥って、ぬれ煎餅を売ることになろうとは、夢にも思うまい。

それとも、やっぱり海産物メーカーのセールスマンだろうか。


そんなバカバカしい想像をしながら、俺は一人で笑っていた。

ED?

どうも最近、ネットを見ていると、あちこちでEDの文字に出くわすことが多い。

EDとは、勃起障害(Erectile Dysfunction)のことである。

恐らく、EDの治療薬を製造している医薬品メーカーがあちこちに広告を打っているから、

ネットで目にする機会が増えたのだとは思うが、

そのサイトのコンテンツとはまったく無関係に、バナー広告が表示されているので、

たまに目障りな(おもしろい)ときがある。


例えば、芸能人の結婚の記事の横に、EDとか書いてあると、

なんだかその新郎が気の毒に思えてくるし、

少子化の記事の横にEDと書いてあれば、なるほどそれで子供が少ないのかと、

思わず納得してしまったりする。

大勢の子供のいる家族写真の横にEDと書いてあれば、

あんたもそろそろ打ち止めかと、お父さんの笑顔に語りかけてしまったりする。

棺桶に片足を突っ込んだおじいさん写真の横にEDと書いてあれば、

当たり前だろ!いい加減に俗な煩悩は捨てたらどうだと、突っ込みたくなる。


かつて、トヨタはカリーナEDという車を作っていた。かなりヒットした車種だ。

しかし、これってカリーナ勃起障害という意味か?

またJRの電気機関車にもEDという形がある。

車両の横にデカデカとED75と書いてある機関車の写真を見たことがあるが、

どうも勃起障害75に見えて仕方がない。

上星川駅前にオープンした、串カツのお店《串かっちゃん》(2)

先月4日にオープンして、ようやく一ヶ月が経過した《串かっちゃん》。

先日、久しぶりにのれんをくぐってみた。

ほぼ毎日来店する常連もいるようで、着実に顧客を増やしつつあるようだ。


オープン当時にはなかったメニューも追加されていた。

それは玉ねぎの串カツである。オーダーしてみた。

1本70円である。


これがメチャクチャうまかった!もう最高!

玉ねぎというのは、油との相性が極めてよいのだ。

オーダーにオーダーを重ねて、

俺は玉ねぎ1個半くらい、食ったんじゃなかろうか。

2個でも3個でも食えるうまさだった。


あと味がさっぱりしているので、これを食べてしまうと、

またコッテリしたブタバラやボンジリなどを食べたくなってしまう。

終わりのない、永遠の串カツスパイラルに陥るわけだ。(笑

特定の光景と結びついている音楽

Van Halenのセカンドアルバムを聞いていた。

9曲目の"Women in love...."のイントロが流れ始めると、なんの脈絡もなく、

俺の脳裏に、寒々しい冬枯れの丘陵地帯の光景が、鮮やかに浮かび上がった。

まただ、と思った。


ある音楽を聞くと、決まってある光景を思い浮かべてしまうことが、よくある。

反対に、ある光景を思い出すと、決まってある音楽が脳裏に流れ始めたりする。


ある特定の光景を目にするとき、必ずと言っていいほどその音楽を聞いていて、

それを繰り返すことによって、両者が分かちがたく結びつき、記憶に完全に刷り込まれる。

光景か音楽か、いずれか一方に接したとき、条件反射のように、もう一方を連想するわけだ。


"Women in love...."を聞いて思い浮かべたのは、東京都稲城市の丘陵地帯だった。

ある年の暮れ、友人と会うため、三鷹へ向かう途中、カーステレオでVan HalenⅡを聞いていた。

稲城市に差しかかり、目の前に広がる丘陵を眺めていたとき、ちょうど"Women in love...."が始まった。

これは後述の例と異なり、繰り返しによる刷り込みではない。たった一度の体験である。

しかし、なぜかあの丘陵の光景と、"Women in love...."の組み合わせは、いつまでも心に残った。

幻想的で、どことなく哀愁を感じさせるイントロを聞くたびに、冬枯れの丘陵地帯がまぶたに浮かんでくる。

あの不思議なギターの音色は、やっぱりタッピングによるものなのだろうか。


他にも、このような光景と音楽の組み合わせが、いくつか存在する。


最も古いのが、大学の図書館と、Daryl Hall & John Oatesの"Can't stop the music"。

大学2年生の後期試験の真っ最中で、当時俺は復刻版の"War Babies"を聞き狂っていた。

Discmanで"War Babies"を聞きながら、図書館で勉強するのが日課であり、

中でも大のお気に入りが、オープニングナンバーの"Can't stop the music"だった。

John Oatesは初期の頃の方が、いい曲を書いていたような気がする。

この曲を聞くたびに、整然と並ぶ書架の列や、一心不乱にノートやコピーを記憶している学生の姿、

革張りの椅子の光沢などが思い出される。


藤沢市内の国道467号線と、Billy Joelの"Big Shot"。

これは大学卒業間際の春休みのことである。

俺は日本IBMの藤沢工場で、製造ラインのバイトをやっていた。

俺が携わっていたのはハードディスクの製造ラインで、

当時そこで造られていた120メガバイトのハードディスクが、業界最大と言われていた。

120メガのハードディスクなんて、今ではとうてい信じられないが、そういう時代もあったのである。

なにせ当時はパソコンと言えば、フロッピーのMS-DOSで動かすのが当たり前だった。

ハードディスクはまだ珍しく、CDドライブさえついてない。フロッピードライブ2つが標準装備である。

システムディスクと、データ保存のためのワークディスクの2枚のフロッピーを突っ込んで、

ドライブをガッチャンガッチャン鳴らしながら、

NECのPC98(あるいはエプソンの98互換機)を動かしていた時代なのである。

ワープロと言えばジャストシステムの《一太郎》だし、表計算ソフトは《ロータス123》が定番だった。

Windows 3.1がぽつぽつ普及し始めた、ちょうど過渡期に当たる時期だったと思う。

WindowsとOfficeが、世界を席巻することになろうとは、夢にも思わなかった。

毎日の通勤途中に聞いていたのが、"52nd Street"だった。

この曲のイントロを聞くと、国道467号線沿線の工業団地の光景が思い浮かぶ。

ちなみにIBMの藤沢工場は、今は閉鎖されて存在しない。


栃木県内の国道4号線と、Bostonの"Hitch a ride"とDavid Bowieの"Ziggy Stardust"。

俺が新卒で入社した会社は、栃木県にある某メーカーだった。

毎朝の通勤の車の中で聞いていたのがDavid Bowieの"Ziggy Stardust"で、

このイントロを聞くと、国道4号線の上り線の渋滞を思い出す。

また、休日にあてもなく車を走らせるとき、たいていBostonを聞いていた。

"Hitch a ride"のツインギターによるソロを聞くと、国道4号線の夕暮れの光景を思い出す。


秋田県と岩手県にまたがる国道46号線と、The electric soft paradeの"There's a silence"。

7年ほど前、下北半島ドライブの帰り道、国道46号線で田沢湖から盛岡へ向かっていた。

県境には全長3キロの仙岩トンネルがある。

このトンネルに入る手前で、カーラジオから気になるロックが流れ始めた。

曲の前に紹介があったと思うのだが、うっかり聞き逃していた。

俺はどうしてもこの曲の名前と、アーティストの名前を知りたかった。

もしかしたら、曲のあとに、もう一度紹介があるかもしれない。俺はそこに賭けた。

ところが、曲が終わる前に、車は仙岩トンネルに突入してしまった。電波が入らず、ラジオは沈黙。

やばい。紹介が聞けなくなってしまう。なんとか曲が終わる前に、トンネルを脱出せねば。

俺はアクセルを床まで踏んづけて、エンジン全開でトンネルを突っ走った。

曲の終わるギリギリ手前で、車はトンネルを抜け出た。

予想通り、曲のあとに紹介があり、The electric soft paradeの"There's a silence"であることを知った。

この曲を聞くたびに、仙岩トンネルのオレンジ色の照明が、吹っ飛ぶように流れている光景を思い出す。


津市垂水のJR紀勢本線の線路と、Chicagoの"Will you still love me?"。

俺は仕事の都合で、三重県津市に3年半ほど住んでいたことがある。

これは俺の悲しい恋物語とガッチリ結びついているので、ほろ苦い思い出の曲でもある。

恋焦がれていた、憧れの女性ととうとう会食する機会を得た、夏の夜のことである。

つい俺は彼女に告白してしまったのだが、なんと相手もまんざらでない様子だった。

これはついに俺にも春が回ってきたかと、天にも昇りたい気持ちだった。

彼女を送ったあと、終電車の走り終えた紀勢本線のレールの上を、歩いて帰った。

路盤はバラストがゴロゴロしていて、歩きにくかったが、俺の歩調はスキップのように軽やかだった。

帰宅してネットラジオをつけたとたん、流れてきたのが、Chicagoの"Will you still love me?"だった。

あまりのタイミングのよさに、俺はしばし考え込んでしまった記憶がある。

天才作曲家、アレンジャー、プロデューサーであるDavid Fosterの作曲だけあって、

ラストのサビからエンディングにかけての、壮大でドラマチックな盛り上がりは感動的だ。

また、盛り上げるだけ盛り上げておいて、最後の最後は一転してシンセとコーラスで美しく優しく、

十二分に余韻を持たせながら締めくくるあたりは、完全にツボを押さえた憎い演出である。

こんな曲をBGMに愛を語られたら、誰でもうなずいてしまうんじゃないだろうか。そうでもないか。

俺の幸せの日々は、数日と続かなかった。彼女にはあっけなく振られてしまった。

俺は天国から地獄へ、真っ逆様に転落していった。しばらく立ち直れなかったなあ。

これも繰り返しの刷り込みではなく、一度だけの体験だったが、

前後の出来事があまりにもインパクトが強かったので、ついでに刷り込まれてしまったらしい。

そりゃそうだ。あんなにつらい思いは、一度だけで十分である。


津市万町のパン屋と、ケツメイシの《サクラ》。

業務上の都合で、客先に直行直帰していた時期があった。

朝の出勤途中、万町のパン屋で朝飯を買うのが、当時の日課だった。安濃川の塔世橋のそばだ。

店に入ると、必ずと言っていいほど、ラジオからケツメイシの《サクラ》が流れていた。

ちょうど大ヒットしていて、ヘビーローテーションでオンエアされていたのだろう。

この曲を聞くと、店内の陳列棚や冷蔵庫、コピー機、マガジンラックの姿を思い出してしまう。


津市丸之内界隈と、Led Zeppelinの"Thank you"。

カーラジオで聞いた"Heartbreaker"に衝撃を受け、俺は即座にセカンドアルバムを購入した。

ところが、アルバムを聞いてみて、"Heartbreaker"の存在は消し飛んでしまった。

ツェッペリンと言えば《天国の階段》が代表曲のように言われるが、俺はそうは思わない。

なんと言っても、"Whole Lotta Love"であろう。

"Whole Lotta Love"を初めて聞いたときの凄まじい戦慄は、今でもはっきり覚えている。

2コーラスのサビのあと、シンバルだけが秒針のようなカウントを続ける、スリリングな静寂。

その緊張感がどんどん膨れ上がり、頂点に達したところで、マシンガンのようなドラムの乱打が炸裂する。

そこにすかさず切り込んでくるギターソロに、俺は完全にノックアウトされてしまった。

こんなにカッコいいハードロックは、この世に2つと存在しないと思った。

閑話休題。

息もつかせぬハードチューンで展開していくセカンドアルバムだが、

4曲目の"Thank you"は、唯一スローでメロディアスな、ラブソングである。

Jimmy Pageの12弦ギターと、John Paul Jonesのハモンドオルガンが冴え渡るバラードだ。

特にエンディングあたりのオルガンが最高に素晴らしい。

嫋々とたなびくように、ゆっくりとフェイドアウトしていく、胸にしみ入る音色がたまらなく美しい。

"Thank you"を聞くたびに、当時住んでいたところの近所の様子が、目に浮かんでくる。

津市丸之内の、《松菱》の裏手の、ごちゃごちゃした路地裏。フェニックス通り。

伊勢湾と、はるか彼方に霞んで見える知多半島の影。

鈴鹿山脈の向こう側に沈んでいく夕陽。


横浜市保土ヶ谷区神戸町と、Pat Methenyの"James"と"It's for you"。

俺は相鉄線天王町駅に近い横浜ビジネスパーク(YBP)で一時期働いていた。

当時よく聞いていたのが、Pat Methenyだった。

Patのギターもいいが、Lyle Maysのピアノも負けず劣らず素晴らしい。

ビルの20階の食堂から街を見下ろすとき、

決まって"James"と"It's for you"のフレーズを口ずさんだ。


もっとあるような気もするのだが、ぱっと思いつくのは、こんなところである。

焼きとんのお店、《鳥佐》

2003年から2006年まで、俺は仕事の都合で三重県津市に住んでいた。

その当時足繁く通っていた焼きとんの店が、津駅のそばにあった。

《鳥佐(とりさ)》という名前だった。住所は確か津市羽所町だったと思う。


間口は狭いのだが、鰻の寝床のように、奥行きが深かった。

手前から、カウンター、テーブル、そして一番奥が畳の座敷だった。

座敷のすぐ横をJR紀勢本線、近鉄名古屋線が走っていた。


最初は、単にその安さに引かれて、通っていた。

串一本が確か40円か50円くらいだったと思う。

ビールはキリンラガーの大瓶のみで、500円しなかったのではないかと思う。

腹一杯飲んで食べて、2000円でお釣りが来るのである。

ちょっと今どき考えられないほど、安かった。

そのためか、いつ行ってもお店はお客で一杯だった。

カウンターも、テーブルも、奥の座敷も、たいてい埋まっていた。


ここで日本酒を飲んでいる人を、俺は一度も見たことがない。

みんなビールか、焼酎だった。

ここの焼酎が、また一風変わっていた。

《ピンク》と呼ばれる、ワイン割りの焼酎を、みんな好んで飲んでいた。

最初見たときは、得体の知れないピンク色の液体が、薄気味悪かった。

あんなのを飲んだら、一発で悪酔いするに違いないと思った。

何度か《ピンク》を飲む機会はあったが、俺は基本的にビール党なので、

ほとんど焼酎は飲まなかった。


次第に俺は安さ以外に、この店に引かれるものを感じるようになり、

来店の頻度を上げていった。

看板である焼きとんが、滅法うまいのである。

トントロとナンコツを塩で焼いてもらったのが、俺の大好物だった。

炭火焼きの独特の芳ばしさが、最高だった。

ひと晩で40本から50本くらい食うのは、当たり前だった。


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また、俺の理想とする飲み屋の雰囲気が、そこにあった。

いや、ひょっとすると反対か。

《鳥佐》との出会いによって、俺は自分の理想の店のイメージを、

初めてつかんだのかもしれない。


会社の同僚ともよく来たが、一人で来ることの方が、圧倒的に多かった。

俺はビールを飲みながら本を読むという、現在のスタイルを、ここで確立した。

《鳥佐》にはテレビもラジオも置いてないため、非常にありがたかった。

雑音に煩わされることなく、本の世界に没入できた。

焼きとんを食いつつ、ビールを飲みつつ、本を読むのが、俺の至福のひとときだった。

あのときは、日々の楽しみと言えば、それくらいしかなかったような気がする。


2004年9月29日、台風21号のために床上浸水を食らったときも、

その晩は同僚に誘われて《鳥佐》で飲んでいた。

いささか不謹慎の気がしないでもなかったが、《鳥佐》の誘いは断れなかった。


横浜に帰ってくることが決まったとき、

俺が真っ先に考えたのは、もう《鳥佐》に行けなくなる、ということだった。

正直なところ、同僚たちとの別れと、《鳥佐》との別れと、果たしてどちらがつらかったのか、

よく分からない。こんなこと、元同僚には口が裂けても言えない。(笑

津での最後の一週間は、毎晩《鳥佐》に通った。


横浜に戻ってきて、俺は《鳥佐》に代わるべき店を、あちこち探し回った。

焼きとんの店を訪ね歩いて、トントロとナンコツを食べてみたが、

どれも《鳥佐》にとうてい及ばなかった。

せめて雰囲気だけでもいいから、《鳥佐》みたいな店がないかどうか、探しまくった。

細長い店内で、カウンターがあって、テレビもラジオもなくて、瓶ビールは大瓶のみ。

そんな店を、かなり方々を探し回ったが、皆無に近く、あってもいまいちだった。

やっぱり《鳥佐》は《鳥佐》しかなく、代わりは存在しないのだと悟った。


俺は今年の夏、念願叶って、三年ぶりの津への帰郷(心の故郷だから)を果たした。

真っ先に向かったのは、もちろん《鳥佐》である。

両隣の店が新しくなっていたが、《鳥佐》のたたずまいは三年前と同じだった。

ドアを開けると、串を焼いているご主人が「らっしゃい」と言う。

この「らっしゃい」がポイントである。

「いらっしゃい」ではない。「らっしゃい」なのである。こうでなければいかん。

なにもかも三年前とまったく同じで、嬉しくなった。

俺は定位置のカウンターに座った。


さっそく、トントロとナンコツを塩で焼いてもらう。

昨今の不景気で、もしや瓶ビールが中瓶になっているのではと、

いささか不安を感じていたのだが、それはまったくの杞憂に終わった。

昔と変わらぬ、キリンラガーの大瓶が、ドカンとカウンターに置かれた。

俺は心の中で拍手喝采していた。

俺はきゅうりの漬物を食いながら、ビールを飲みつつ、本を読んだ。

時間が三年前へ逆戻りしたような錯覚に陥った。


そして焼き上がった串が、カウンターに置かれた。

トントロをかみ締めて、芳ばしい脂の風味が口の中にジュワっと広がったとき、

俺は感動のあまり、本当に泣きそうになった。


しばらくすると、おかみさんが声をかけてきた。

もしや、以前に来てくれた方ではないのかと、尋ねられた。

ちゃんと覚えていてくれたのである。


翌日の晩は、元同僚たちと《鳥佐》を訪れ、一番奥の座敷で飲んだ。

《ピンク》か《イエロー》を飲んだような気もするが、記憶が飛び飛びで、定かでない。

上星川駅前にオープンした、串カツのお店《串かっちゃん》

行ってきた!

待望の上星川駅前の新規店《串かっちゃん》へ!

10月4日の日曜日である。

開店時間は16時ではなく、なんと15時だった。早やっ!

一番乗りを果たすつもりだったが、すでに先客がいた。残念無念。


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中生と、さっそくご自慢の串カツをオーダーする。

メニューを見て、いささか感心した。


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(食べ物)
(串揚げ)

ブタ、チーズ、赤ウィンナー 各100円

うずら 70円

プチトマト、レンコン、ししとう 各90円

(焼鳥)

ネギマ、シロ、ブタバラ、ボンジリ 各100円

うずら、長ネギ、ししとう 各90円

(その他)

牛すじ煮込み 420円

もつみそ串、奴 各150円

お新香 200円

トマト 120円


(飲み物)

(お酒)

生ビール 490円

ホッピーセット 490円

 ・ホッピーボトル 260円

 ・焼酎 250円

 ※ホッピーには白と黒の2種類あるらしい

日出盛 一合 420円

日出盛 二合 750円

一刻者(芋焼酎) 460円

ウーロンハイ、緑茶ハイ、レモンハイ、酎ハイ 各360円

(ソフトドリンク)

コーラ、オレンジジュース、ウーロン茶、緑茶 各250円


ご覧の通りで、串カツも焼鳥も、すべて100円以下。

一番高い肴でも、牛すじ煮込みの420円である。

実にリーズナブル。庶民の味方だ!(笑

俺みたいな貧乏人にはありがたい価格設定である。


さあて、出てきた出てきた、串カツ君。

衣がサクサクで、芳ばしい香りが食欲を誘う。

身がやや小ぶりだが、それは値段を考えたら妥当なところであろう。

あくまで手軽に飲んで食べてもらうことを主眼に置いているらしい。

だから立ち飲みスタイルなのだ。


牛すじ煮込みは、甘ったるいのを想像していたのだが、全然違った。

甘さを抑えてあって、しつこくない。

どちらかと言うと、もつの煮込みの味付けに近いように思う。

これはうまい。思わずお代わりしてしまった。


あとからあとから、続々と客が入ってきた。

やはり新規店の少ないこの近辺では、久しぶりのニュースなのだろう。

みんな興味津々で開店を待ち焦がれていたに違いない。


記憶が飛び飛びになるくらい、したたかに飲んで、勘定を頼んだ。

俺が店を出るときには、カウンターもテーブルも、すべて客で埋まっていた。

幸先のいいスタートを切ったようだ。よかったよかった。


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上星川駅前にオープンする、串カツのお店(3)

「串かっちゃん」の開店準備はどんなものか、再び偵察に行ってみた。
すると、ちょうど準備の真っ最中だった。
おお、ちゃんと看板もついてるではないか!
「富寿司」の左側だと思っていたのだが、実際は右側だった。

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入って左側が立ち飲みカウンターで、右の壁に沿って二人がけのテーブルが二つ。
なるほど、立ち飲みがメインだが、座って飲むこともできるわけだ。
間口の左側が小窓になっていて、なにやらテイクアウトもできそうな感じである。

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店主らしき人を見つけ、色々聞いてみた。
すると、オープンは明後日の10月4日(日)だと言う。
営業時間を聞いてびっくりした。
なんと16時から24時までやると言う。※あくまで予定とのこと
夕方早い時間から、相鉄線の終電近くまで、幅広い時間帯をカバーするわけだ。
近所に遅くまでやってる店が少ないので、これは便利かもしれない。

肴のメインは串カツだが、焼鳥と煮込みもあると言う。
ドリンクはサッポロ黒生、白黒ホッピー、チューハイ、日出盛などなど。

前を通りかかる人たちが、興味深げに店を眺めている。
何人かは、俺と同じようにオープン日などを店主に尋ねていた。
潰れるばかりで、なかなか新規店が少ない上星川では、久々の期待の星なのであろう。
かく言う俺もその一人なのだが。

オープンの日は、真っ先に駆けつけて、一番乗りを果たすつもりである!(笑

美味しんぼ今昔

Yahoo!コミックのコンテンツの中に、《美味しんぼ》があることに気がついた。


この漫画は週刊ビッグコミックスピリッツに連載されており、

グルメ漫画の元祖と言われている。

厳密には《美味しんぼ》のスタートする10年前に発表された、

ビッグ錠の《庖丁人味平》が元祖と言うべきなのかもしれないが、

大人から子供まで知られるようになり、アニメ化までされ、

《美味しんぼ》に触発された他のグルメ漫画が相次いで発表されたことを考えると、

グルメ漫画というジャンルを確立したのは、やはり《美味しんぼ》ではないかと思う。


この関係は、映画の《地獄の黙示録》と《プラトーン》に似ている。

《地獄の黙示録》の方が6年早いのだが、

ベトナム戦争ブームを巻き起こしたのは《プラトーン》である。

まあ、《地獄の黙示録》は内容がちょっと難しいというのもあるけど。

俺にはさっぱり分からなかった。

原作がジョゼフ・コンラッドだから仕方ないか。わお、超むず。


閑話休題。

《美味しんぼ》の出現によって、猫も杓子もグルメを語るようになった。

海原雄山のような、高飛車でもったいぶった言い回しも、かなり流行った。

《ぬうう、この鈍重な○×はどうだ!》とか《お前に○×を語る資格はない!》など。(笑

でもやっぱり秀逸なのは《まったりとしていて、しつこくない》でしょう。

《醸し出す》とか《ハーモニーを奏でる》とかも流行ったな。

《以後慎め!》とか《ちゃんちゃらおかしい!》もあったっけ。

…きりがないからこのあたりでやめとこう。《北斗の拳》みたいだな。


俺は学生の頃、単行本を集めていたので、とても懐かしかった。

Yahoo!コミックは無料で20ページほど立ち読みできるため、一巻から順に読んでいった。

単行本を集めていたときから感じていたことだが、

キャラクタの描き方が激変していることを、今回改めて感じさせられた。

1巻から5巻のあたりなど、みんなバカボンに出てくるような二頭身で、

ギャグ漫画にしか見えない。


ところが、10巻あたりになってくると、作画者が慣れてきたというのもあるだろうが、

みんな四頭身とか五頭身に成長(笑)して、キャラクタは普通になってる。

ヒロインの栗田ゆう子がメキメキと色っぽくなってくるのも、この頃からである。(笑

ちょっと脱いだところを見てみたいと思ったのは、俺だけではないはずだ。(爆


しかし、せっかく色っぽく、女らしくなってきた栗田ゆう子も、短命であった。(泣

20巻あたりから、線が崩れ始める。

もっともこれは彼女に限ったことではない。キャラクタ全般に言える。

簡単に言えば、絵柄そのものが変わってきてしまったのだ。

キャラクタも、背景も、すべてである。

おかげで栗田ゆう子も二木まり子も、なんだか妙な顔になってしまった。


絵柄の他に変わったところと言えば、

30巻前後から、1話読み切りでなく、3話4話5話とまたがるケースが多くなる。

おかげで内容が複雑になり、俺みたいな低脳にはついていけなくなってきた。

もうお手上げである。

俺は30巻あたりで単行本をすべて手放した。スピリッツも読まなくなった。


あれから20年くらい経った。単行本はなんと100巻を超えているらしい。

昨年、山岡士郎と海原雄山が和解して、一時スピリッツを休載していたらしいが、

今年から復活したようである。


同じくスピリッツに連載されていたホイチョイ・プロダクションの《気まぐれコンセプト》に、

アニメの《美味しんぼ》をネタにしたものがあったのを、今でもよく覚えている。

それは主題歌をパロディにしたもので、

《究極のメニューと至高のメニューの勝負 最初に料理を出した方が負け♪》

これには本当に腹を抱えて笑ってしまった。まさにその通りだった。

寿々喜家

うかつであった。

まったくうかつと言うより他にない。


串カツの店の関係で、相鉄線の上星川駅界隈の飲食店を調べていたのだが、

「寿々喜家」という、超有名なラーメン屋があることを、初めて知った。


Yahoo!の都道府県別うまいラーメン店ベストテンで、

神奈川県の第1位に君臨している、超人気店であった。

全国ランキングでも、堂々9位の人気の高さだ。

全国のベストテンでは、東京の「大勝軒」とこの「寿々喜家」しか入ってない。


そんなスゴい店が上星川にあったとは…。

近所に住んでいながら、まったく気がつかなかった。

修行僧のくせに、修行が足りんなあ。

まあ、ニセ修行僧だから、仕方ないのだが。(笑


いわゆる「家系」と呼ばれるタイプのラーメンらしい。

ラーメンにこだわって特化した、かなりスパルタンなラーメン屋らしく、

サイドメニューがまったくないらしい。ご飯とビールだけ? すごっ。

とにかくラーメンしか食べさせない店のようだ。

それくらい気合が入ってるから、神奈川ナンバーワンになっちゃうのかね。


色んなブログで紹介されていて、評価を見てみると、

店員さんの接客態度はとても親切で丁寧と書いてあるから、

常連でないと入りづらい店というわけではなさそうだ。

店員が偉そうにあれこれ文句をつける店って、嫌いなんだよね。

どんなにうまくても、二度と行かない。

人気店って、たまにそういうのがあるから、困っちゃうんだよなあ。


でも「寿々喜家」は違うようなので、安心した。

今度ぜひ食べに行ってみようと思う。