京都・南座に行った。
年末を飾る顔見世を見た。
客席には、瀬戸内寂聴さんの姿があった、
奥からは、びっくりするような大きなレンズを装備したカメラを抱えた写真家が
舞台に広がる、現実と切り離された現世と来世が交わる刹那に広がる異界の空間を
切り取っていた。
歌舞伎俳優は、かっての名優の血をその身に宿し、
音曲の導きによって舞台にその再来を招きだし、
観客はこの世にはあらぬ空間に魅了され、やがて陶酔し
暫し心を魔界に遊ばせた後、
幕の外の現実とやらにまた立ち戻っていく。
特に、海老蔵の『源氏物語」での光源氏は絶対的だった。
芳しいその若さ、美しい容貌に、凛々しい所作は
正に光輝き、その胸に顔を押し当てて
その息遣いを確かめてみたい・・・・・。
今を盛りに咲き誇る海老蔵の存在は、
「夕顔」や「六条の宮」ばかりか
誰の心をもときめかせる完璧さを持ち備えていた。
外にどれだけの冷たい師走の風が吹きつけていようとも、
異界に遊んだ心は、このひどく寂しく苦しい現実さえも
受け入れよとする。前向きに受け入れようとする力を得ているのだ。
厳しい現実だから、暫し、心を解放する術が、
芸術を楽しむではないだろうか・・・・・
世相は不安だからこそ、今を大切にしたい。
来年は、どうなっているだろう・・・・・
押し寄せる不安は、棚上げして、
今年は、今年の、今できることを受け入れたい。
オフとオンとの切り替え。
故桂枝雀師匠の『緊張と緩和』、
生ある者の前途には、
永遠のオフ、永遠の眠りが待っている。
それまでの、この世の夢物語が、生きていること・・・・・。
その物語を、舞台の上の俳優たちは美しく彩ってくれた。