上野・アメ横を歩く! | ちゃちょのブログ

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実践している健康のことや近況

渋谷からの1週間は、ぐずぐず九州を北上した超大型の

台風14号のお陰で、本州を去るまで5日連続夏日で25℃超え。

でも関東も、ここ2日は、22℃台で、北風に小雨パラパラ。

 

庭の雑草取り、落ち葉掃き、池そうじ、観葉植物鉢仕舞い

を着々と進めてきて、大正解。なんとか午後まで雨が

持ちそうなので、上野・アメ横へGO!

 

上野は、さすがにどこからもアクセスは抜群。ちゃちょの

西武池袋線で出る池袋は、上野からやや新宿寄りのJR

山手線で8駅17分の位置。

 

コースは、かつてすべて寛永寺境内だった上野公園の

神聖な国営施設(美術館・博物館)を回り、寛永寺にも

ブログ3月12日以来で、寄ります。

 

それから一転して、JR上野駅~御徒町(おかちまち)駅間

に沿うように、雑多で俗なアメ横500mを探検し、最後に

1913年創業のどら焼きを狙います。

 

スマホが最近、蓄電池の調子が悪く、熱くなってすぐ電源が

なくなるので、予備のいつも腰ポケットの万歩計で、18,947歩

行きました!前回とほぼ同じ(=12km,670kcal,3時間)。

 

朝3時に起きて(前夜8時半に寝た)、2時間かけて朝食作り

(生野菜とフルーツをどんぶり2杯に刻む)、咀嚼して

食べるのに2時間。それで、1日他には食べません。

 

朝、9:29石神井公園発西武線急行ノンストップ池袋9:38着。

池袋9:43発JR山手線、外回り8駅17分、10:00上野着。

 

大量の雑草や落ち葉のゴミ袋70L14袋を、少しずつ離して

「一家庭3袋まで」の通りに出す、芸術的作業に1時間。

実はポリバケツ5つも、ちゃちょの分で、中身は同じ。

 

前回も10袋出したので、計24袋。いかに、炎熱と蚊の雑草抜きを

さぼっていたかだね。全部、清掃員は持って行ってくれました。

 

さて話を、到着した上野駅に戻します。さすが北日本の

玄関口。新幹線から在来線まで17もホームがあります。

出口も3カ所。今回は当然、公園口です。

 

JR上野駅公園口の端から空を見上げると、新しい熱帯

低気圧が近づいてるけど、午前中は、なんとか持ちそうな秋空。

 

地図では切れてるけど、斜め左上に、上野寛永寺があって、

JR日暮里(にっぽり)駅があります。日暮里、鶯谷、上野

と90℃にカーブした内側が、上野恩賜公園です。

上野恩賜公園 Ueno Park 公式ホームページ (tokyo.lg.jp)

 

寛永寺は、1625年、3代徳川家光の時に幕府安泰と万民平安を祈願する

ため、江戸城の鬼門(東北)にあたる上野の台地に、建立され、

徳川家の菩提寺になりました。不忍池まで35万坪が境内でした。

東叡山 寛永寺 公式ホームページ (kaneiji.jp)

 

幕末の上野戦争で、明治政府は敷地の大部分を上野公園にしました。

上野彰義隊も、本拠地とし、鳥羽伏見の戦いに引っかかって

大阪から船で逃げた最後の将軍、慶喜も寛永寺で謹慎しています。

 

1896年から、54万㎡の上野恩賜公園ができました。

 

1882年、上野動物園が造られました。江戸時代から

桜の名所でした。日本で初めての公園の1つです。

 

1883年(明治16年)、鉄道馬車が上野~前橋間が蒸気機関車に。

 

1894年には、日清戦争で勝利し、清の軍艦を不忍池に陳列

しました。

 

1923年(大正12年)、関東大震災で上野駅から故郷へ向かう

人々の群れ。この頃から、江戸・明治とあった昔からの

下町の風景が失われます。後で、下町風俗資料館にも寄りますね。

 

1927年、東洋最初の地下鉄が、上野~浅草間2.9km、できます。

 

今の上野恩賜公園の野外ステージです。1212席、100㎡。

 

歴史を振り返ったところで、まず公園内の一番手前の

国立西洋美術館に寄ります。1959年、ル・コルビュジエ設計。

2016年、世界遺産になりました。

国立西洋美術館 (nmwa.go.jp)

 

企画展の入れ替えで、1週間の休館中でした!普段は月休。

内部の写真をお借りしました。入場料500円です。

中世から20世紀初頭までの西洋絵画や、ロダンの彫刻が主体。

9月11日までの企画展では、モネやゴッホの作品が

展示されていました。

 

隣の国立科学博物館に寄ります。1877年開設。入場料630円。

 

 

先週の「渋谷を歩く!」の忠犬ハチ公の剥製があります。

 

1999年開設の地球館です。「日本列島の自然と私たち」を

展示する日本館に対し、地球館は「地球生命史と人類」です。

宇宙誕生から現在までを宇宙史、生命史、人間史の切り口で。

 

3階では、日本初の首長竜フタバスズキリュウの全身骨格

が見ものです。ドラえもんとのび太の恐竜(2006)で、魔法

の風呂敷で卵が孵った、ピー助が日本のフタバスズキリュウでした。

 

特別展は、夏休み(の延長?)らしく、化石ハンター

入場料2000円でした。今すぐ入れますという表示。

 

東京国立博物館に回る道路に、ダイヤル錠で施錠された

バッグが?たぶん、ホームレスの人が日中は警備員が

いるので、盗まれないよう、工夫したものと思われます。

 

かつての勢いはないけど、何台か修学旅行の中学生用の

バスが、停まっていました。現に中学生がうろうろしています。

先生の指示で、シイのドングリなんか、拾っていたね。

 

一番大きい東京国立博物館です。表慶館、法隆寺宝物館、

本館、平成館からなります。公園内では、一番大きな建物。

東京国立博物館 - トーハク (tnm.jp)

 

1872年の創立150周年になります。料金は1000円です。

日本を中心とする東洋の美術作品と考古遺物を収蔵・展示。

国宝と重要文化財を含め、12万件も収蔵されています。

 

150年前に造られたので、建築博物館とも言えます。

 

中央ドーム「光の鼓動」も素晴らしいです。詳しくは

ホームページを、ご覧ください。

 

東京国立博物館の外側をぐるりと回ります。言って見れば、

本来の寛永寺との境です。東側に、両大師(輪王寺)があります。

ここが、寛永寺の旧本坊表門です。門に戊辰戦争の砲弾跡が。

 

北側に回ると、寛永寺の霊園の一つがあります。

建物は、墓参りの受付場所。塀の奥に墓がびっしり。

新規も受け付けているけど、格式があるから高いだろうね。

 

14代家綱の霊廟(れいびょう)勅領門もありました。重要文化財です。

墓地内には、5代綱吉の霊廟勅領門もあります。

お墓との違いは、礼拝を第一としていることです。

 

今や本堂だけになってしまった1625年創立の寛永寺。

3月12日のブログ「谷根千を歩く!」以来の訪問です。

東叡山 寛永寺 公式ホームページ (kaneiji.jp)

 

反対側は、幼稚園になっていました。園児が全員、旗を

もって遊戯していました。不審者と思われないよう、

遠くから撮影。

 

社務所には、何十分か置きに、何人か毎に行う祈祷の

申し込み者が、列を作っていました。終わると、本堂手前

から、ぞろぞろと、出てきます。

 

本堂を覆う幕にも、この裏門にも、ハッキリと徳川家の

葵の御紋。さすが菩提寺です。

 

裏は、3月12日紹介したように、都営谷中墓地です。

都立霊園公式サイト TOKYO霊園さんぽ (tokyo-park.or.jp)

 

今、黄緑の上野公園と、緑の谷中墓地の間の道にいます。

ここから、上野公園内へ、戻ります。

 

旧東京音楽学校奏楽堂です。1890年開設。入場料300円。

旧東京音楽学校奏楽堂|日本最古の洋式音楽ホール(重要文化財) (taitocity.net)

 

日本最古の木造洋式音楽ホールで、287席あります。

日本初のオペラを公演するなど、名だたる音楽家が

舞台に立ちました。

 

東京都美術館です。1926年、日本初の公立美術館。

入館自体は無料。2012年リニューアルしました。

東京都美術館 (tobikan.jp)

 

今は、ボストン美術館の古今東西の60点が展示されています。

観覧料2000円。

【公式】ボストン美術館展 芸術×力|日本テレビ (ntv.co.jp)

 

上野動物園は、入場の列整理のコーンも虚しく、閑散と

していました。開園は、1882年。入園料600円。中学生200円(都内無料)。

上野動物園公式サイト - 東京ズーネット (tokyo-zoo.net)

 

園内図です。1972年の日中国交正常化以来、1匹1年

1億円で借り続けている、パンダがやはり中心ですね。

今年は、正常化50周年。完全に経済力・軍事力は逆転しました。

 

1997~2007年、367件の事業に3兆3650億円が円借款されました。

 

今年1月12日、双子のパンダが公開されましたね。

母親のシャンシャンが、シャオシャオとレイレイを

産みましたね。

 

不忍池へ降りる途中に、軽食・お休み処の新鶯亭(しんおうてい)

があります。

 

 

 

三色の鶯だんごは、600円です。

 

1627年、造営の上野東照宮。1651年に3代家光が造営した

唐門、拝殿、透塀(すきべい)が、今も残ります。

冬と春のぼたん園が脇にあります。

上野東照宮公式ホームページ (uenotoshogu.com)

 

木立の中を分け入ると、1872年に築地に建て、1876年に

上野に移された、有名な精養軒があります。平日ランチ15,000円。

上野精養軒 【公式サイト】 (seiyoken.co.jp)

 

テラスからの不忍池の眺望は最高で、法事、宴会、会議、

結婚式に利用されています。名だたる著名人も利用しました。

不忍池側に正門があります。

 

不忍池の向かい側を登ると、1631年建立の清水観音堂があります。

京都の清水寺を模したもので、上野の山で建築年が明確な

ものでは、最古の建造物で、国指定重要文化財です。

 

 

確かに、京都と似ていますね。舞台から谷底を見る趣向も同じです。

 

不忍(しのばず)池は、古石神井川の台地開口部に、紀元

数世紀にできたものです。琵琶湖にも見立てられた天然池です。

 

これは、歌川広重が描いた不忍池です。

 

池中央には、これも、琵琶湖の竹生島を模した中之島があり、

不忍池弁天堂があります。

 

池回りの位置は、今、赤いところにいます。

 

池回りは、柵があるけど、スズメは近寄っても逃げません。

 

白いヒガンバナも、咲いていました。

 

ほとりに、台東区の下町風俗資料館があります。

 

 

 

1980年開館。入館料300円。1923(大正12)年の関東大震災

までは、下町に江戸の名残りがありました。1945(昭和20)年の

東京大空襲で、完全に焼け野原になりました。

 

明治末には、めんこは、土からブリキへ、そして紙が

主流になりました。

 

左手前は、1825年明治初期のブリキ製のコマです。

 

明治の下町の職人の部屋です。

 

終戦後は、相撲は大鵬、野球は巨人のめんこが、子供たちの

人気でした。

 

どんどん姿を消していく銭湯の番台です。入浴料をもらい、

盗みを監視する番台からは、男女それぞれの生まれた姿が

丸見えだったんですね。

 

終戦後の駄菓子は、5円から10円でした。

 

この駄菓子屋を右に見て、下町の家と家の通路は、狭い

ものでした。すぐ火事が類焼するのが、よくわかります。

 

長屋の共同井戸と、洗濯板で洗濯する桶です。

電気の噴流式洗濯機が低価格で三洋電機から発売された

のは、1953年。その後10年は、まだ手洗いでした。

 

不忍通りの向かい側には、約300年続く鰻割烹の伊豆榮

があります。通販もしています。

 

 

 

うな重、うな丼は3300円。上段のうなとろ重は3850円でした。

ここで、上野の山に最後の別れをするために、階段を登ります。

下は、京成電鉄上野駅で、JR上野駅からは、少し離れています。

(寛永寺の下を通り、隣の日暮里駅では、JRとホームが隣接乗換可)

 

1898年の建立後から名所の上野の西郷さんの像です。

 

1923年の関東大震災では、人探しにも一役買っていました。

 

さあ、JR高架脇の500mほどのアメヤ横丁、通称、アメ横に来ました!

アメ横の歴史は、戦後の闇市から始まりました。

 

飴(アメ)を売る店が、200軒以上あったこと。そして、進駐軍の

アメリカ軍の横流し品を扱う店も多かったことによります。

 

表通りは、生鮮品や衣料品の活気ある商店街ですが、ガード下は

昭和の昔ながらの気分を味わえる貴重な商店街になっています。

 

フーテンの寅さんならぬ、叩き売りの口上に乗せて、客の顔色や雰囲気を

見ながら、サービスするので、交渉上手で愛嬌がある応対が大事です。

 

今回は、上野の上(北)から、御徒町(おかちまち・南)

へ、案内図にある6店を中心に見ていきます。

 

 

のっけから飲み放題2時間1000円、もしくはチューハイ290円

の、とりまるが、ありました。ポーズを取ってくれました。

ただ鍋が800~900円するから、そっちで元を取るんだね。

 

志村商店。アメ横名物、ブランドチョコレートの叩き売り。とにかく

払うのは千円。ただし、口上とともに、これでもかとチョコを乗せて

いきます。2つの場合(それでも定価2千円分)も、乗れば4つの場合も。

 

「あっ、今、4つって言ったよね」という声を待ってます。

 

ガード下の大衆居酒屋、大統領。12時前なのに、飲んでる。

東京国立博物館前の柵にダイアル錠で留めてる人も、いるかも。

 

持つ焼き1本あたり90円。ホッピー割が主流。

 

一番最初のもつ焼き盛り合わせ5本450円は@90円のこと。

 

飲み物のメニューは、こちら。軽くなら千円でも行ける。

 

こういう普通の豆屋や乾物屋もある。普段買ってない

から、安いのか、そうでないのかが、わからないです。

 

かるた屋の都まんじゅう。1953年創業。

 

カステラ生地に白あんを包んだもの。回転式の製造機。

懐かしい?B級グルメだね。

 

左上、甘さ控えめの白あん10個600円=@60円。

 

清水水産。威勢の良い声でマグロの叩き売りをする

鮮魚店。なぜか全部、冷凍切り身。

 

中とろ5000円と青いマジックで書いてるが、のっけから

今だけ1000円でいいよ、と言う。食べログを見ると、

美味しかった意見と、解凍したら筋だらけの意見も。

 

アメ横は、線路脇の左側。右側にも、上中という商店街が。

そっちの方が旗が多かったです。中央の細長い三角ビルが

アメ横センタービル。

 

地下に6店舗入ってます。ここは、純粋なアジア人。買うのも

アジア人。日本語は片言。撮影禁止と書いてある。日本人は

うろうろしてると、見張られてる雰囲気あり。

 

沖縄・那覇の国際通りみたいに、バブルがはじけた一時期、アメ横全体が

売るのもアジア人、買うのもアジア人みたいな時もありました。

 

でも、腰でシャッターボタン、知らん顔して押しました。

現地の野菜やキムチ、魚醤や粉赤カラシと思われる現地語の瓶。

 

赤唐辛子、100g500円。ブログ8月19日の新大久保

コリアンタウンスーパーと同じ価格です。なぜ秘密的な

雰囲気?密輸入品?ひょっとして白い粉も?

 

上海ガニ4つ1000円。老酒に漬け込んで飲むとおいしい

と聞いたことがあります。

 

ビルを出たアメ横通りでも、豚の切った部分を売っていました。

 

いくらか聞くと、片言の日本語で、上の中央の豚足は、250円だと。

1本90円と聞いてます。

左の豚顔の皮は、考えこんでから2500円と。日本人とみて舐めてる。

 

ここと違い、良心的な食品店では、安い老鶏も見つかることがあります。

卵を産まなくなった鶏で、肉は固いけど、最高の鶏出しスープが取れます。

チキンカレーやラーメンの出しに使えました。

 

中田商店。ミリタリーグッズや革ジャンの店。

ミリタリーショップ 革ジャン 中田商店 (nakatashoten.com)

 

中田商店でお宝見つけたり ロンドンスポーツで在庫処分品を

買ったり メーカー製が半額以下なものも、見つかります。

今は、上のサイトからの通販が主流。

 

速乾ミリタリーTシャツ1000円。でも奥の革ジャンは

15,800円から。

 

最後に、少し神田寄りの中央通りを行った、うさぎや。

1913年創業。5人くらいの列。店の中は販売員4人で、

買う人はかなりの数の注文。

うさぎや (ueno-usagiya.jp)

 

どらやき。すぐ食べます、と1個だけ購入。240円税込。

消費期限2日。その場で1つが、正解。

9月1日から10円値上げ。16時以降は予約者のみ。

 

十勝産の小豆を使った、やわらかい粒あん。レンゲの

蜂蜜が入った表面がサクッとしていました。直径9cm。

 

他にも売っていましたが、例えば、うさぎ饅頭は予約者のみ。

 

うさパンケーキというのもありましたが、朝9時から10分限定。

650円。

 

JR御徒町駅に、戻ってきました。駅前は、広場になっていて、

デパート松坂屋があります。パンダがいるね。

 

やはり、ここも、駐輪禁止と書いてある前だけに自転車が

並んでいます。

 

上野駅kら1つずれただけなのに、山手線と京浜東北線の

上下2ホームのみ。13:00乗車、池袋13:17着。

西武池袋線13:31発準急。13:41石神井公園着。自宅13:51戻り。

 

この直後に、ポツポツ雨が音を立てて降ってきました。

早め、早めに移動しておいて、良かったです。

 

自宅の柿の木には、まだセミの新しい抜け殻発見。

でも、どこにも鳴いてないです。

 

黒い地面の見える通路と広場?先週までは、エノコログサと

ヤブカラシのジャングルでした。ビフォーアフターは恥ずかしい

ので、アフターのみ。

 

自宅には、赤いヒガンバナが、咲いていました。

 

1日で丸まって落ちる、芙蓉の白い花も満開です。

 

アシタバも、もう葉はなく、膨らんだ茎から花が咲いて

蜂が蜜を吸いに来てます。

 

どうやら、3連休は、本州中央辺りが、大雨で全滅ですね。

ブログを書き始める前に、雨が止んだスキに買物行って大正解。

 

皆も、もう秋が来てるんだと思って風邪ひかないでね。

じゃ、またね。

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