スピリチュアルライフ ー 原水音のマザーアースカフェ

スピリチュアルライフ ー 原水音のマザーアースカフェ

アメリカ、屋久島を経て、熊野の自然のなかで暮らしています。四人の子どもを自宅出産、自然育児で。スピリチュアルでエコな体験をおしゃべりしちゃいます。

 

漫画「美味しんぼ」のカレー対決は何回読んでもおもしろい。

 

日本にはイギリス経由でカレーが入ってきたことで、
 

カレーといえば、カレー粉を使いコクを出すためにルーをていねいに作る、という考え方が定着した。
 

カリフォルニアの山奥に住んでいた時、突然、カレーが食べたくなった。
 

スーパーまで車で山道を1時間、そこまで行っても日本のカレールーなんか売ってるわけない。
 

カレールーでしかカレーを作ったことのなかったわたしは、

 

前住人が残していったスパイスの瓶のふたを全部あけて、匂いをかいでから、

 

 

畑の野菜を多めの油で炒め煮した鍋のなかにダメもとで投入していった。
 

味をみて、びっくり!
 

カレーになっている。
 

魔法のようだった。
 

インドでは、ほぼあらゆる料理にスパイスを使う。
 

ベジタリアンの多いインド、野菜ごとに、各家庭ごとにスパイスをたくみに使い分けている。
 

スパイスは漢方薬でもあり、カレーは薬膳だ。
 

自分の舌と体にあうスパイスを見つけながら、カレー道をきわめていくのが今年の小さな目標だったりして。
 

写真はバラナシで食べた揚げたゆで卵のカレー。

 

 

ダラムサラで食べたベジモモが美味しくなかったから、こちらも自分流の味を作ってみたい。

インド、ダラムサラ。ダライラマ法王の住居を見下ろし昼寝する猿たち

 

毎年恒例のお節のなかで,子ども達に人気の高かったババロア。

 

今年は途中でブラウンシュガーがなくなったので、

 

カナダ人の友達、キャロルさんにもらった

 

年代物のオーガニックモラセス(黒糖蜜)で甘みをつけました。


 

鉄分はじめミネラル豊富なモラセスは、アメリカやカナダでは人気の健康食品。


生クリームがわりに牛乳をソースにして、バナナを乗せ、シナモンをふります。

 

モラセスは風味に少しクセがあります。シナモンが香りをそえてくれました。

 

ババロアといっても、生クリームは使わず、牛乳とゼラチンに、少しヨーグルトを混ぜて作りました。

 

砂糖も控えているので、カロリーはひかえめで、モラセスの豊富な栄養も摂取できる

 

罪悪感のないデザートに仕上がりました。

 

インドに住んで、スイーツに飢えてる娘にも食べさせてあげたいなあ。

インドでは、ねずみも神様のお使いとして大切にされます。

象の首をもつガネーシャ神の乗り物がねずみくん。

ガネーシャの描かれた神様絵にはかならず足元にねずみくんがいる。

 

 

     Merry Xmas

 

今日はイエスキリスト生誕の聖なる日。

人類の業を背負われたジーザスに感謝して

宗教宗派に関係なく

今日は生きとし生けるものすべてに

愛を放ちたいと思います

 

世界人類が平和でありますように

May Peace Prevail on Earth

 

 

 

 

 

麓の小さな町に降りて、公衆電話から日本の実家に電話した。

 

ありったけのコインを左手に握りしめて。

 

「手術はしなくていいことになったの。心配かけてごめんね。

 

すぐに帰ってこなくても大丈夫だから。」

 

この前の電話とは別人のように落ちついている。

 

それなら、もうしばらく山にいたい。

 

寮の部屋はとうに引き払ってしまったが、学生ビザはまだ残っている。

 

サンフランシスコに住むボーイフレンドの部屋に、スーツケースを残したまま、

 

わたしは山に住み着いてしまった。

 

円い布の家、ヤートと、アメリカ先住民の伝統的な住まい、ティピ、そしてドクターボブが住まうのは円

 

い木の家、ラウンドハウス。

 

 

カリフォルニアの夏は、どこまでも青く乾いている。

 

初めて思った。日本は水の国だ。わたしはカエル。

 

空気中に水分がないと肌が干上がってしまう両生類の気分。

 

水がなくても平気な蛇にはなれない。

 

冬は雪山だったのに、真夏の山は砂漠のよう。

 

水やりしなければ畑の野菜は育たないが、泉の水はどんどん枯れていく。

 

庭先にすえられたドラム缶風呂の残り湯も洗濯に使ったすすぎ水も、

 

すべて、のどが渇いた野菜たちに注ぐ。

 

「大草原の小さな家」のように、乾いた草の上にたらいをすえて、

 

洗濯板に、シャツをおしつけて洗う。

 

目の前にはどこまでも草原が広がり、

 

向かいの山の肩越しの、そのずっと遠くまで山なみが続いている。

 

山を越え、谷をわたって吹き上がってくる風を、

 

全身で受けとめる。

 

目を閉じると、世界は金の光だけになった。

 

 

畑の土ぼこりと、薪で料理するから鍋底の煤で黒く汚れたシャツ、

 

すすぎ水を畑に注ぐから、石鹸も使えない。

 

油と煤が混じると、これがもう最強の汚れになるんだ。

 

でも山で暮らすぶんには気にならない。

 

みんな似たような薄汚れたシャツを着て、笑って暮らしていた。

 

トイレは庭のすみを掘って置いたバケツに用を足す。

 

ただし、ここは大のお便りだけ。

 

おしっこは畑以外のどこでも。

 

空気が乾燥して気温は四十度を超えてくるから、

 

おしっこなんてすぐに乾いて臭いも残らない。

 

標高が高い山の太陽がじりじり肌を焼く。

 

無謀な二十三歳のわたしは、化粧水もつけず日焼け止めも塗らずに

 

畑仕事で汗をかき、草原を歩きまわって、森で遊んだ。

 

長野県ぐらいの広さの国有林の中に私有地を買って、山の人々は暮らしていた。

 

草原のあちこちに点在して住むのは、泉の近くに家を建てないと生活できないからだ。

 

森林伐採と放牧によって砂漠化が進んだカリフォルニアの山は、今も深刻な水不足が続いている。

 

 

「最高においしいビールを飲みたいんなら、人のこない森で裸になるんだ。

 

そして、このビニールシートにくるまって昼ねしてごらん。サウナみたいに

 

汗をかくから。」

 

ヒデさんにすすめられて、厚手の透明ビニールシート持参で森へ。

 

日あたりのよさそうな場所を選んで、服をぬぐ。

 

ちょっと迷ったが、下着も全部ぬいで、生まれたばかりの姿で横たわった。

 

森は静けさのなか、ひそやかな囁きめいた音色で満ちている。

 

眠気を誘うミツバチの羽音、

 

キツツキがかんかん樫の木をつつく音が響いて、

 

そのリズムに誘われて、知らぬ間に眠りの泥に落ちていった。

 

 

目覚めると、ビニールシートがぬるぬるするぐらい汗をかいていた。

 

でも乾いた空気が、肌をさあっと一瞬にして乾かしてくれる。

 

シートをたたもうと立ち上がったとき、

 

すぐそばに二匹のガラガラ蛇がとぐろを巻いているのが目に入った。

 

ちょうどわたしが寝ていたシートの左右に!

 

ガラガラ蛇にかまれたら、血清を打たない限り命がないらしい。

 

マムシよりも猛毒。

 

それなのに、わたしは

 

「あら、ヘビさんたちもいっしょにお昼ねしてたんだね。」

 

なんて声かけて、そっとその場を立ち去ったんだ。

 

今、思うと不思議でたまらない。

 

ガラガラ蛇は普通、森にはいない。

 

森のはずれの日当たりのいい場所とはいえ、

 

なぜ、二匹の蛇が狛犬みたいにわたしの両脇にいたのか。

 

ガラガラ蛇が警戒するとき出すガラガラという音は、

 

尾の先を振るときに出るかわいた音。

 

でも、この蛇たちはまったくわたしを警戒していなかった。

 

わたしも、山の仲間のようにしか思えなかった。

 

いのちの不思議に満ちた山の暮らしは、

 

わたしを都市から、さらに遠い世界へと運んでいった。

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

森に囲まれた草原には、野生の花々が咲き誇っていた。

 

雲ひとつない青空の下、カリフォルニアポピーがオレンジ色の

 

つややかな花びらをそよ風にゆらして手招きしている。

 

りんと頭をもたげた紫のルピナス、

 

淡いベージュのワイルドリリィは、貴婦人のドレスを飾るレースのよう。

 

村長の息子の小さな、ふっくらした手を握って草原を駆け出していく。

 

足もとの花を踏まないように歩くことなんてできない。

 

天使の花園に寝ころがって太陽のキスをあびた。

 

笑いがこみあげてくる。

 

帰ってきた。

 

ここは、たましいがダンスを踊る場所。

 

音楽がなくても風の音が、ミツバチの羽音が、コヨーテの鳴き声が、

 

わたしを震わせる。泣きたいくらい幸せにしてくれる。

 

 

山の春は短い。日ごとに強さを増す太陽に焼かれるようにして、

 

天使のお花畑はみるみるうちに茶色く枯れあがっていった。

 

日本なら、これから梅雨がやってくるところだけど、

 

カリフォルニアは雨季にあたる冬が終わり、

 

長く過酷な乾季の夏が始まる。

 


 

今回も、ヒデさんのヤートにお世話になっている。

 

あやまちを避けるため、村長宅に泊まっていたんだけど、

 

地面に直接、絨毯を敷いた村長の家は、

 

モグラが掘った穴のデコボコが気になってよく眠れなかった。

 

あさっての京子さんといっしょにヒデさん宅に移動。

 

京子さんがいれば、彼も手を出してこないだろう。

 

高床式のヤートは快適で、料理上手なヒデさんが、

 

畑の野菜とたくわえた乾物を使って、おいしいご飯を出してくれる。

 

冬に来たときは、のんびりしていた山の住人たちも

 

夏野菜の植え付けや種まきに忙しい。

 

「わたしも畑仕事を手伝います。」

 

「へえー、畑仕事とかやったことあるの。」

 

囲炉裏に薪を足していたヒデさんが顔を上げた。

 

「ない、です。」

 

「じゃあ、まず畑の開墾からだな。小さくてもいいから自分の畑を作って、

 

そこに種を蒔いてみなよ。」

 

ヒデさんは日本の大根の種を分けてくれた。

 

硬い土をクワで耕して、畑に変えていく。

 

ヒデさんが横から、

 

「もっと腰をいれて、クワを突き刺すんじゃなくて、クワの重さを使って。」

 

彼は自然農法の提唱者、福岡正信先生の弟子だった。

 

わら一本の革命」は世界中で出版されている。

 

自然から搾取する農業ではなく、

 

自然に深くよりそいながら、恵みを分けていただく農法。

 

ヒデさんがこの山に住むきっかけも福岡先生のひと言だった。

 

「まあ、アメリカへ行くなら、あの山へ行け。」

 

先生がアメリカ講演を行ったさい、通訳として同行したのが村長だった。

 

ヒデさんは山に着いた翌日には、日本から持ってきた赤いフンドシをしめて、

 

頭には手ぬぐいを巻き、畑の開墾をはじめたそうだ。

 

 

 

 

 

開墾を終えた畑に大根の種を蒔いて水やり。水は近くの泉から引いている。

 

約束の一週間はあっという間に過ぎていった。

 

「そろそろ街へ戻ろうと思います。」

 

村長とヒデさんにそう告げると、

 

「生まれて初めて蒔いた種をほったらかしにして帰るの。」

 

ヒデさんが笑いながら、でもキツイ言葉を投げてくる。

 

帰国することになった事情を説明すると、

 

「じゃあ、明日、ふもとの町まで降りるから、日本のお母さんに電話してみたら。」

 

村長のその言葉が、さらなる運命の大河にわたしを放りこんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トラックが止まり、運転席から村長が降りてきた。なつかしい!

 

帰りそこねたオバケのような長い髪をゴムでしばり、

 

煮しめたような手ぬぐいをキリリとしめて、今日もモンペだ。

 

「すごい偶然だね。今、山から下りてバークレーに入ったところ。

 

ヒデさんなんて、一年ぶりに山から下りてきたんだよ。」

 

そんなバッタリがあるなんて。

 

電話は通じなくても、思いが通じていたのかも。

 

日本に帰る前に、もう一度山に行きたい。

 

わたしの思いが、この偶然を呼んだのか。

 

「トラックの荷台に、交通事故で死んだばかりの鹿を乗せてきた。

 

今夜、バークレーの友達の家で鹿肉パーティやるから、おいでよ。」

 

 

裏庭でひらかれたバーベキューパーティー。

 

鹿肉を焼いてみなに配っているのは、

 

なぜか、剃髪の坊さん。

 

バーベキューじゃ物足りない。料理好きなヒデさんが、

 

赤身の肉に醤油と酒とショウガのすりおろしで下味をつけ焼いて出すと、

 

酒の肴を求めていた日本人たちの箸がさっと伸びる。

 

お次は、暗黒舞踏の踊り手、かの三島由紀夫にも

 

「なんていい体をしてるんだ。」と絶賛された、お玉さんが中華鍋をふるう。

 

しばし二人の料理対決が続き、気づけば夜も更けていた。

 

「明日、山に帰るけど、いっしょに来る。」

 

ヒデさんの言葉に、どうしようが止まらない。

 

このチャンスを逃したら、二度と山には行けない。

 

でも、どうしよう。

 

翌朝、ベッドでまだまどろんでいる彼の耳もとで囁いた。

 

「一週間ほど、山のお友達のところに行ってきます。

 

連絡先はここ、郵便局留めの私書箱だけど。」

 

そして、わたしはゲイの街を去り、

 

再び、アメリカの大自然に抱かれるため旅だった。

 

 

 

 

 

 

電気もガスもない山の暮らしに、激しいカルチャーショックを受けた。

 

大自然のなかで過ごした濃密な日々は、

 

街にもどっても忘れることができないよ。

 

そんなある日、部屋の電話が鳴った。

 

「子宮筋腫の手術をするから、帰ってきてそばにいてほしいの。」

 

忍耐のひと、母がアメリカまで電話をかけてきた。

 

声色がいつもとちがった。

 

よほど不安なんだな。

 

私は帰国を決めた。学生ビザはまだ残っているけど、

 

東京にもどって仕事をしよう。

 

女子寮を出て、サンフランシスコに住む彼の部屋に

 

「お願いします」の居候をきめこんだ。

 

東京のデパートで母が買ってくれた超ビッグなスーツケースを引き連れて。

 

 

 

 

当時、サンフランシスコはもうヒッピーの街じゃなくて、

 

ゲイの街だった。

 

最先端の自由は、いつもこの街から、始まるのか。

 

彼の住むポークストリートは、東京でいえば青山、六本木?

 

おしゃれなお店、おしゃれな若者、そしてゲイたちの天国だ。

 

日曜ともなると、バーには黒のレザーできめたマッチョがあふれ、

 

日本人のストレートカップルなんて、とてもじゃないけど入れない。

 

夕暮れ時、彼と近くのスーパーマーケットまでお買い物に。

 

信号待ち、目の前に立つのは、知的なめがねの白人男子二名。

 

フランスパンがのぞく茶色い紙袋をかかえた彼が、となりの彼のほっぺに

 

キスした!

 

頬の軽いキスが、唇にうつり、

 

信号が青になるまで、二人は優しく愛しあっていた。

 

わたしは感動した。

 

薔薇族と歌舞伎町のオカマさんと、わたしの初恋のジム。

 

みんな、同性愛者。

 

高校生のとき、ロックバンド仲間で一つ年上だったジムが、

 

音楽も絵画も文学も、アートはすべて教えてくれた。

 

東京に出ても、すぐそばに住んで、しょっちゅう会っていた。

 

彼の部屋に泊まったこともある。わたしの部屋で寝たこともある。

 

でも、おんなじベッドに寝ても、ほっぺのキス以上はなし。

 

彼は年上の男性ミュージシャンに恋していた。

 

ジムもこの街なら、もっと自由に、幸せになれるのに。

 

「どうしたの、青だよ。早く帰ろう。おいしいパスタ作ってあげる。」

 

サンフランシスコの彼は、エリートサラリーマンの紳士。

 

某有名企業からアメリカへ派遣されている建築家で、

 

東大卒、オックスフォード大学院卒。

 

知的でおしゃれなハンサム。そして、音楽の趣味がばっちりあう。

 

でも、彼がわたしを真剣に愛してないことはわかっている。

 

多分、日本で待っているであろう恋人がいることも。

 

わたしも彼が好きだけど、惚れてるわけじゃない。

 

たがいに、今という時間を楽しむための期限付きのパートナー。

 

腕をからませて歩いていくゲイのカップルは、

 

わたしたちよりもずっと強く、優しく愛しあってる気がした。

 

 

 

その日、海を越えて走る地下鉄、バートに乗って、

 

サンフランシスコから久しぶりバークレーへ戻ってきた。

 

友達の家へ行く途中、住宅街を歩いていると、

 

「おーい、おーい。」

 

日本語が聞こえた。

 

白いトヨタのトラックがまだ止まっていないのに、

 

ドアを開けて、男の人が降りてくる。

 

肩までの長い髪、髭につつまれた口が二カッと笑ってる。

 

山のヒデさんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

記念すべき夫との初夜は、まったく記憶にない。

 

前夜、雪のなかで毛布にくるまっても寒くてさむくて、

 

うつらうつらしか寝れなかった。それなのに、

 

飲めないお酒を気分で飲んでフワフワになって

 

気がついたら、朝だった。

 

 

この時はなんも思わなかった夫と

 

三か月後に、まさかの再会が待っていようとは、

 

これはもう、運命としかいいようがない。

 

だからわたし達は、恋愛結婚じゃなくて運命結婚、

 

運命婚だと思っている。

 

 

 

あさっての京子さんとわたしを山まで運んでくれたススム君は、

 

翌日には帰ると言い出した。自動的にわたしも彼の車で帰ることになる。

 

「ベイエリアまでのライドなら、きっとまたあるから、もう少しいればいい」

 

山の村長も、ビッグママもそう言って引き留めてくれたので、

 

わたしだけ山に残って、結局、3週間ほど滞在することに。

 

山の人たちは、スケールの大きなアメリカの大自然のなかで

 

ひっそりと平和に暮らしている。

 

はるか遠くから山々を渡ってくる風が

 

大草原をざわめかせて通り過ぎていく時間

 

そのなかに生きている。

 

薪を燃やして、生きている炎で調理した

 

とれたての畑の野菜は、太陽の味がする。

 

水は山の湧き水。

 

日が落ちると、ランプの灯りが金色に闇を染めた。

 

圧倒的な闇が世界をつつみ、梟たちの夜が来る。

 

どこかで、コヨーテが鳴いている。

 

空には満天の星。

 

手を伸ばせば、宇宙はすぐそこにあった。

 

 

 

 

山での日々がわたしを変えた。

 

自分のなかでいつも波立っていた思いが

 

静かに引いていく。

 

生きるって、命そのものでいることなんだ。

 

頭のなかのうるさい羽音に、初めて気づいてぞっとした。

 

ずっと、こんなふうに風の声を聴く耳さえもたなかったなんて。

 

自分の頭の中の雑音がうるさすぎて、

 

でもその繰り言みたいな自分の思いにすがって生きてきた。

 

 

許されるなら、このまま山に残りたい。

 

でも、学校もだいぶ休んでしまったし、

 

このままでは浦島太郎になる。

 

2月の終わり、山の住人で、森のなかに住んでいる

 

スイス人の男性がサンフランシスコへ車で行くという。

 

彼の車に乗せてもらって、わたしは街に戻った。

 

 

 

 

 

 

 

まるい部屋の真ん中に、どっしり大きな布団が一枚だけ敷かれている。

 

「この布団、いいでしょう。バークレイで日本の布団を作ってるお店があるんだよ。

 

その店のオーナーが作った、ほんものの綿入れ布団。」

 

横になってみると、布団というより、頑丈なマットレス。

 

サイズはダブルベッドくらいある。

 

これなら、こっちの端で寝ればなんとかなるかも。

 

ランプの灯りを吹き消し、ヒデさんが入ってくる。

 

寝たふり、寝たふり。

 

じっと目をつむっていると、いきなり背後から抱きしめられた。

 

うっ、それでも寝たふりだー。

 

 

 

 

 

自分は、恋愛体質だと思っている。

 

恋愛体質のひとどうしが出会うと、

 

みつめる目で、言葉の遊びで、それとわかる。

 

恋愛といってもピンキリで、

 

心も体も、たましいさえも一つになりたいと願う恋もあれば

 

おたがい割りきった遊びの恋もある。

 

ひとを好きになってしまったら、しょうがない。

 

理由なんてない。

 

生物として、DNAが引き合うのか、

 

はたまた、たましいの記憶に、迷路のように隠されていた扉があいて

 

運命のひとだと思ってしまうのか

 

恋愛体質の私は、少ないとは言えない数の男性と恋をしてきたけど、

 

正直、ヒデさんにはなんの恋愛感情も抱かなかった。

 

こんな山のなかで仙人みたいに暮らしている

 

料理のうまい、イキな人。

 

だけど、それだけ。

 

一宿一飯の恩義

 

古い言葉がうかんできた。

 

彼の指が動き始める

 

しょうがない、寝てやるか

 

ハラを決めた私は、昨夜の寝不足と飲みなれないお酒のせいで

 

そのまま深い眠りに落ちていった。

 

 

 

 

ドキュメンタリー映画「かみさまとのやくそく」には、胎内記憶をもつこどもたちの証言がたくさん登場

します。横浜市で産科院を営んでいる池川明さんは、1999年にクリニックのスタッフから、「自分の孫には胎

内にいたときの記憶がある」という話を聞いたそうです。

そのお子さんは、「ぼくがおかあさんのおなかにいるときに、ほうちょうがささってきて、しろいふくをき

ためがねのひとにあしをつかまれて、おしりをたたかれました」という作文を書いていますが、実際、

その子は、帝王切開で産まれていました。

それまでの医学の常識では、新生児はまだ視覚・聴覚の発達は不十分で、胎内や誕生時の記憶は

ないと信じられていました。驚いた池川さんは胎内記憶の事例を集め始めたのです。


 

長男は、アメリカはカリフォルニアの山奥で生まれました。長男がまだおなかの中にいたとき、

ふだんはおとなしい長男が急に激しく動く瞬間がありました。

電気もガスも水道もなく、木と布でできたモンゴルのゲルにそっくりな,シンプルこの上ない家に住ん

でいたのですが、お隣に住む幼い男の子がやってくると、

まだ玄関のドアが開く前に、庭先の落ち葉を踏む小さな足音が聞こえただけで、

おなかの赤ちゃんは、突然、小さなあんよをバタバタさせておなかを蹴ったり、

なんだか興奮して、うれしそうに動くんです。

そんなことは、他にはありませんでした。ほかの誰が訪ねてきても、ぴくりとも動きません。

友人たちが優しくおなかに向かって話しかけても、しいんと静かにしています。

はじめは、偶然かと思いましたが、何度も同じことが起こるので気がついたのです。

医者も助産師もいないこの山の布張りの家で、三日がかりの大難産の末、無事に生まれてきてくれ

た息子は、生後半年で日本へ渡り、その後、3歳になって山に戻ってきました。

英語もしゃべれない息子を、日本人の父とアメリカ人の母をもつ,その子はいつも面倒みてくれました。

森の倒木を大きなロケットにみたてて遊んだり、野原にこどもだけの基地を作ったり、英語を教えてく

れたのも、その子でした。

お隣の男の子は、いわば息子の人生さいしょの親友であり、先生でもあったのですが、わたしには、

そんな未来はまったく見えていませんでした。

 

この体験から、わたしはおなかの赤ちゃんにも、はっきりした感情がある。五感があるのだということ

を意識しました。

胎内記憶は、人間は単なる肉体ではなく、霊的な存在であることを示唆していると思います。