小児がん啓発月間ーーきょうだい児ーー | ゆめか奮闘日記 小児脳腫瘍

ゆめか奮闘日記 小児脳腫瘍

七転び八起き★
2児のママです

2027年誕生→喘息持ち、小児脳腫瘍(髄芽腫)3歳未満標準リスク→4クール+大量化学療法 治療終了→退院→寛解

2019年誕生→屈折異常弱視、痙攣持ち、無熱性痙攣起こし経過観察、喘息持ち

闘病や育児日記を書いています

今月が小児がん啓発月間とのことで🎗

ちょっと何個かブログ書いてこうかなと思います


まずは、きょうだい児について


きょうだい児とは、重い病気や障害を抱える兄弟姉妹の居る子どものことをいう。 「きょうだい」がひらがなである理由は『きょうだい』は兄・弟・姉・妹のどの組合わせも意味する言葉だからである。


ウィキべディアより、引用しました


つまり、我が家は妹がきょうだい児です


兄が発症したのは、妹がまだ1歳2ヶ月の頃

兄をちゃんと認識してたかは分かりません


まだ喋れず、一緒に遊ぶことも少なかったです

特に、我が家の場合、兄の赤ちゃん返りというか、妹を受け入れきれない兄からの攻撃だったり、ママを取られたりが多かったです。娘目線で言うと。。


なので、急に入院になっても

特に何も発せず、あたかも一人娘だったかのように過ごしていました。



半年間の兄の闘病生活中は、1ヶ月に4日帰ってくる程度の関わり

たまに遊びに来るお兄さん程度に思ってるのかなーと親の私たちは感じていました。


それでも、一時退院の時は本当に仲良しで、兄妹だなと感じることも多かったです。





兄妹の愛を感じることも何回がありました。



兄は、入院の時

前のベットに赤ちゃんが入院してきて


兄「妹に似てるね!」

私「似てるね!かわいいね!」

兄「妹に会いたいなぁ」


と声を殺してボロボロと泣いたことがあります


そこからは、面会の度に、妹の様子見たいと写真や動画を要求するようになりました。


でも、治療が辛い時は逆に妹を見たくないと言いました。

きっと、家にいる妹と病院にいなきゃいけない自分で苦しんだのかなと思います。 

 


妹から感じたのは、一時退院後はよく夜泣きをしていました。兄を探してたのかなと思います


他にも、兄の写真を見せるとニコッと笑っていました。





そして、、

本退院をして、家に帰ってきた時

少しずつ喋れるようになり「にーに!」と呼ぶようになりました


にーにのあとを着いて遊ぶようになり、

妹だけを保育園に送ってくと「にーにがいい!」と泣くようになりました




そして、、

2歳になって喋れるようになった娘

兄が定期検診の日に、兄は病院に行くよと伝えると

妹「にーに、帰ってくる?」

との質問にビックリしました


兄への寂しさを言うこともなかったけど


兄が入院してたことは何となくであって

帰ってくるか不安になるんだなと感じた出来事でした






退院してから1年

離れていた7ヶ月が嘘のように

2人はとっても仲良し兄妹です


性格が全く違う2人

お互いの欠点を補うように

お互いのいい所を褒め合うように

本当に仲良し兄妹ドキドキ


2人が2人で良かったと思える



今後、もしかしたら、きょうだい児について、親も子供も悩む時が来るのかな?

妹も、病院通いだから来ないのかな?


でも、もし来たとしても

どっちの気持ちも受け止められる準備はしておこうと思います


これからも2人仲良く伸び伸びと育ってね! 


きょうだいって、親より絆の深いものかもなと思っていますうさぎクッキーピンクハートくまクッキー



ママ「妹!危ないから!手は繋ぐよー」

妹「いやだーーー!えーん

兄「任せて!僕が妹がひかれないように守るよ!!!プンプン

兄「ほら、にーにとつなぐよ?おいで♥️」

妹「うんっ!照れ