愛されるよりも愛したい?! まじで!?
僕は断然依存したい人間です。ヤンデレです。
さて、好きな人と一緒に授業を受けたいがためにガラにも無く乗り込んだ文化構想学部の授業。しかも7限。昨日のレポート提出にてようやく幕を開けた僕のTESTYLIFE!
講義の名前は『「自己」の文化と「他者」の文化』。文化構想学部の講師が毎回入れ替わり立ち代りで自分の領域、哲学やら宗教、絵画にアート、民族紛争や企業抗争はては神に到るまで、一貫して自己と他者の関係性という観点に沿った講義が行われるという異質な授業。逆に言えばこれを取るだけで文化構想学部の大体のところを知れる!みたいな軽いノリで受けたけど、意外と何とかいけ・・・たと思いたい!
いつもブログでコンスタントに2000~3000字ぐらい書いてるから余裕っしょ!う!とか思って前日から書き始めたけど、かなーり苦労しまんた。話しながら書きながら整理されていくタイプの人間だから、ブログみたいなまとまりの無い文章だったらいくらでも書けるんだけど、こと論文となるとはじめにバーッと書くだけ書いて、論が通るように組み替えるっていう感じでしか書けないから、読み返すと我ながら主義主張の無さに呆れてしまう。
結局は自分の得意な領域にもっていってこじつける感じでしか書けないし、しょーがないので甘味系男子よろしく恋愛について書き連ねてやりました!今日は一度論文として書いた文章をブログの読み物として分解・再構築という荒業に挑戦してみたいと思います。
そこ!ネタが無いとか言わない!!ねーんだよバーカ!! \(^o^)/
* * *
まず、 いろんな先生が自分の得意分野でそれぞれ含蓄のあることとかおもしろいこととか言うんだけど、結局一番印象に残ったのは最初の導入の授業で先生が語った言葉だった。
「究極の自己同一とは即ち神、完全な従属は即ち依存。これらの間で流動的に揺れ動くのが人間と言う存在である」という、ざっくりいってこんな感じの説明だった。就職が間近に迫って、否が応でも自己と向き合わざるを得ない時期を控えた自分にとって、目から鱗が落ちるような言葉だった。ちょうどESとか自己分析とか自己実現について書かれた本とか読み始めてた時期だったから尚更。あ、こんな感じで悩んでていいんだなーと、救われた気分だった。
ここで自分の中で引っかかった言葉としては「依存」。薬物依存とかアルコール依存とかパチンコ依存(よしくん)とか、依存と言う言葉は退廃的なムードを醸し出し、その言葉自体に「悪」を感じさせる。でも本当に依存は「悪」なのか。自己同一こそが是であると言い切ることはできるのかっていうの疑問が論文を書いた始まり。
自己が流動的であるという話には大いに感銘を受けたけど、「水は低きに流れ、人の心もまた低きに流れる」と言う言葉があるように、完全に何かに依存してしまった方が人間はひょっとしたら何も悩まず、楽に生きることが出来るんじゃないか、それでもなぜ人は自己同一を目指すのか。とか堕落論みたいなことを考えてた。
もちろんクスリやアルコールやギャンブルにのめりこんでしまう事は身体も精神をも蝕むし、周囲に悪影響を与えるし、何も生産性が無い。これが悪であることはまあ誰でも理解できる。
ただ、依存する対象がこと人間、即ち他者となると話はどうだろう。子が母に、女が男に依存する「愛」は、果たして悪といえるのか。もちろんDVとか児童虐待とかアダルトチルドレンみたいな、そこに暴力が介在する「歪んだ愛」の話は別としても、愛は一種の依存であることには変わりは無いと思う。一人では人間を愛することは出来ないし、共にもたれかかって依存しあってる、共依存みたいな関係性であると思うんですよ。
カップルは2人で1つのアイデンティティを形成するものだと思うし、彼女が何が好きとか今何してるとか今日どこ行くのかな?とか知りたいのに始まって、相手の自己を貪欲に知りたがる。本当の君と向き合いたい。君は本当はさびしがり屋なんだよ。本当は何かが欠けているんだ!こんな感じで相手を理解「した気になっている」。
脳医学的に見ても、男はこんな感じで女性を分析してカテゴライズすることを好むらしい。好きだという言葉で説明するには難しい感情を、自分なりの論理的な解釈で以って確固たるモノとしたいから。というのが恋愛学における学説。
他者は自己と異なるものであり、いかにして自己とは異なる他者を理解しようとするのか。これが恋愛の醍醐味であるのかもしれない。でも、自分のアイデンティティーとか自分はこういう人間だとか、自分のことすらよく理解できないのに、どうして他人のことが理解できるのか。
男女が別れる時には様々な理由があるんだろうけど、その大半の理由は自分が相手を理解したいっていう気持ちが「お前はこういう人間なんだ!」みたいな価値観の押し付けに変わっっちゃったときとか、そういう思い上がりに端を発するものだと思う。そもそも知ってもらいたい本当の自己など流動的でありもしない。100人いたら100人の頭の中で見える自分は全部違うんだよ!って、モテキ4巻で夏樹ちゃんがいってた!
つまるところ自分が自分であることを保ち続ける意識の世界、不定形で揺れ動く自分のアイデンティティ。それを固定化してくれる存在が恋愛における他者の視点であると思う。100人いる中でも唯一無二の存在を作ることで、他を排して相手の瞳に映る自分を「自己」とすることが出来るから。
他者を唯一無二の存在とすること、これは依存っていえるけど、愛情は相手に愛する価値の感情を持たせるとともに自己像・自己受容を与え、最終的に相手を創造する。即ち愛情は自己の欠乏を埋める行為でありつつ、相手にも自分をその受け皿として差し出す行為だと思うんです。
世に言う「悲恋」と美化される、傍から見たらどう考えても別れればいいのにと思える関係性も、当人同士の瞳に映っているのは「自己」と「他者」が共に創り上げる愛と言う名のアイデンティティ。(キリッ
傷ついて苦しめられても当人同士はそれでいいと思えるならいい。恋愛対象に依存することは低きに流れることではなく、自己の同一を図る行為であると言えるのです!
* * *
うん、どうみてもエッセイ。
僕が落とせる単位は@16単位です
さて、好きな人と一緒に授業を受けたいがためにガラにも無く乗り込んだ文化構想学部の授業。しかも7限。昨日のレポート提出にてようやく幕を開けた僕のTESTYLIFE!
講義の名前は『「自己」の文化と「他者」の文化』。文化構想学部の講師が毎回入れ替わり立ち代りで自分の領域、哲学やら宗教、絵画にアート、民族紛争や企業抗争はては神に到るまで、一貫して自己と他者の関係性という観点に沿った講義が行われるという異質な授業。逆に言えばこれを取るだけで文化構想学部の大体のところを知れる!みたいな軽いノリで受けたけど、意外と何とかいけ・・・たと思いたい!
いつもブログでコンスタントに2000~3000字ぐらい書いてるから余裕っしょ!う!とか思って前日から書き始めたけど、かなーり苦労しまんた。話しながら書きながら整理されていくタイプの人間だから、ブログみたいなまとまりの無い文章だったらいくらでも書けるんだけど、こと論文となるとはじめにバーッと書くだけ書いて、論が通るように組み替えるっていう感じでしか書けないから、読み返すと我ながら主義主張の無さに呆れてしまう。
結局は自分の得意な領域にもっていってこじつける感じでしか書けないし、しょーがないので甘味系男子よろしく恋愛について書き連ねてやりました!今日は一度論文として書いた文章をブログの読み物として分解・再構築という荒業に挑戦してみたいと思います。
そこ!ネタが無いとか言わない!!ねーんだよバーカ!! \(^o^)/
* * *
まず、 いろんな先生が自分の得意分野でそれぞれ含蓄のあることとかおもしろいこととか言うんだけど、結局一番印象に残ったのは最初の導入の授業で先生が語った言葉だった。
「究極の自己同一とは即ち神、完全な従属は即ち依存。これらの間で流動的に揺れ動くのが人間と言う存在である」という、ざっくりいってこんな感じの説明だった。就職が間近に迫って、否が応でも自己と向き合わざるを得ない時期を控えた自分にとって、目から鱗が落ちるような言葉だった。ちょうどESとか自己分析とか自己実現について書かれた本とか読み始めてた時期だったから尚更。あ、こんな感じで悩んでていいんだなーと、救われた気分だった。
ここで自分の中で引っかかった言葉としては「依存」。薬物依存とかアルコール依存とかパチンコ依存(よしくん)とか、依存と言う言葉は退廃的なムードを醸し出し、その言葉自体に「悪」を感じさせる。でも本当に依存は「悪」なのか。自己同一こそが是であると言い切ることはできるのかっていうの疑問が論文を書いた始まり。
自己が流動的であるという話には大いに感銘を受けたけど、「水は低きに流れ、人の心もまた低きに流れる」と言う言葉があるように、完全に何かに依存してしまった方が人間はひょっとしたら何も悩まず、楽に生きることが出来るんじゃないか、それでもなぜ人は自己同一を目指すのか。とか堕落論みたいなことを考えてた。
もちろんクスリやアルコールやギャンブルにのめりこんでしまう事は身体も精神をも蝕むし、周囲に悪影響を与えるし、何も生産性が無い。これが悪であることはまあ誰でも理解できる。
ただ、依存する対象がこと人間、即ち他者となると話はどうだろう。子が母に、女が男に依存する「愛」は、果たして悪といえるのか。もちろんDVとか児童虐待とかアダルトチルドレンみたいな、そこに暴力が介在する「歪んだ愛」の話は別としても、愛は一種の依存であることには変わりは無いと思う。一人では人間を愛することは出来ないし、共にもたれかかって依存しあってる、共依存みたいな関係性であると思うんですよ。
カップルは2人で1つのアイデンティティを形成するものだと思うし、彼女が何が好きとか今何してるとか今日どこ行くのかな?とか知りたいのに始まって、相手の自己を貪欲に知りたがる。本当の君と向き合いたい。君は本当はさびしがり屋なんだよ。本当は何かが欠けているんだ!こんな感じで相手を理解「した気になっている」。
脳医学的に見ても、男はこんな感じで女性を分析してカテゴライズすることを好むらしい。好きだという言葉で説明するには難しい感情を、自分なりの論理的な解釈で以って確固たるモノとしたいから。というのが恋愛学における学説。
他者は自己と異なるものであり、いかにして自己とは異なる他者を理解しようとするのか。これが恋愛の醍醐味であるのかもしれない。でも、自分のアイデンティティーとか自分はこういう人間だとか、自分のことすらよく理解できないのに、どうして他人のことが理解できるのか。
男女が別れる時には様々な理由があるんだろうけど、その大半の理由は自分が相手を理解したいっていう気持ちが「お前はこういう人間なんだ!」みたいな価値観の押し付けに変わっっちゃったときとか、そういう思い上がりに端を発するものだと思う。そもそも知ってもらいたい本当の自己など流動的でありもしない。100人いたら100人の頭の中で見える自分は全部違うんだよ!って、モテキ4巻で夏樹ちゃんがいってた!
つまるところ自分が自分であることを保ち続ける意識の世界、不定形で揺れ動く自分のアイデンティティ。それを固定化してくれる存在が恋愛における他者の視点であると思う。100人いる中でも唯一無二の存在を作ることで、他を排して相手の瞳に映る自分を「自己」とすることが出来るから。
他者を唯一無二の存在とすること、これは依存っていえるけど、愛情は相手に愛する価値の感情を持たせるとともに自己像・自己受容を与え、最終的に相手を創造する。即ち愛情は自己の欠乏を埋める行為でありつつ、相手にも自分をその受け皿として差し出す行為だと思うんです。
世に言う「悲恋」と美化される、傍から見たらどう考えても別れればいいのにと思える関係性も、当人同士の瞳に映っているのは「自己」と「他者」が共に創り上げる愛と言う名のアイデンティティ。(キリッ
傷ついて苦しめられても当人同士はそれでいいと思えるならいい。恋愛対象に依存することは低きに流れることではなく、自己の同一を図る行為であると言えるのです!
* * *
うん、どうみてもエッセイ。
僕が落とせる単位は@16単位です
Single is the Best?
遅ればせながらご報告!伊勢丹の夏季インターンシップに採用されました!これでほぼ空白だった夏のスケジュールも、一本軸が通って、後はTOEICとか普通免許とか、履歴書に書ける事項を増やしていく、そんな感じの夏にしようと画策。
手がけていた企画が片付いても、時は何事も無かったかのように押し流されて、アパレルメーカーのインターンをこなしながら来週から始まるテストにレポートにESに。ただ、ここ数日空いた小休止。今まで忙しいことを言い訳にして、時間的制約や気持ちの余裕の無さで出来なかった、やりたくてもやれなかったことを反動のように消化した。
・プロパーでヨウジヤマモト購入
・母親に誕生日祝いを兼ねて暑中お見舞い送付
・自転車で神奈川から馬場までツーリズム
・部屋を大掃除、設備投資
ざっとこんな感じで大散財。各要素を細かく報告してみます。
あ、ヨウジさんは消費文化史のレポートの題材にしようと思ってるので、その時にでもまた書きます。
【母親に誕生日祝いを兼ねて暑中お見舞い送付】
伊勢丹インターン採用の義理立ても兼ねて、母親に中村屋が出してるISSUIという伊勢丹限定の和菓子を、暑中お見舞いとして実家に送ってみました。

インターンの説明資料に記載されていて知ったISSUI。機能と美しさが同居した秀逸なプロダクトデザインと、ジュエリーを眺めるように見下ろすショーウィンドウ。今までメンズ館ぐらいしか行ったこと無かったけど、食品フロアですらスタイリッシュな伊勢丹は流石だな、と思った。
お中元とか暑中お見舞いとかよくわからないんですけど...という質問にも快く丁寧に対応してくれた店員さん。インターンに採用されたこととか母親の誕生日のことを話したりしたら、「きっとお喜ばれになられますよ」、と手紙を書かせてくれたりお花をつけてくれたりもした。
お客様が気持ちよくお買い物できるように、という「おもてなし」に、もしかしたら初めて触れたかもしれない。伊勢丹の店員さんにはお客さんに対する思いやりはもちろんのこと、プロ意識というか美意識を感じたし、こういった「従業員」のホスピタリティーも施設やプロダクトだけではなく、皆が憧れる伊勢丹というブランドを形作っている一要素なんだな、と思ったりした。
インターンの説明会でもらった資料読んだりとか就職サイトの企業研究とかするより、実際その企業で働く「人」に触れてみた方が手っ取り早くその企業の体質や雰囲気を知ることが出来るんだな、っていうのは自分の中での発見。利益や収益のことより、結局は人。広告とかやってると忘れがちだけど、大事なこと。うん。
コンサルで忙しいのにわざわざ遠い茨城県から大隈講堂までアドフェス見に来てくれたし、最終的に一人暮らし許してくれたのも母親だし、「こういうの贈れる余裕がある」って安心してもらいたいしね。「僕が母のことを考えている時間よりも、母が僕のことを考えている時間のほうがきっと長いと思う」っていう電報のコピーがあったけど、心配はさせたくないからね。喜んでもらえるといいです。
【自転車で神奈川から馬場までツーリズム】
忙しさと悪天候でずーっと取り置きをしてもらっていたTOKYOBIKE SPORT 9sを、神奈川の武蔵小杉まで取りに行って、その足で(その足で!)高田馬場まで乗ってきました。
数年前の型落ち品ですがまだまだ乗れます!という業者の方のお墨付きは本当で、まず実感したのはその巡行性能のよさ。今までママチャリとかミニベロしか乗ったことが無かったから、本格的なクロスバイクの取り回しに四苦八苦。坂道とかたぶん40キロぐらい出てる。やばい。
さんざんっぱら迷いながら成城通りとか環八とかを疾駆したけど、自分が風になった見たいな感覚は癖になりそう。人生に必要な力は風の力、っていうふかわりょうの一言にも頷ける。

本当は白とか黒とかがよかったけど、カラーはオレンジ。でもまあ乗ってみたら味があって気に入ってきました。漕ぎながら名前を考えましたが今回はそのカラーリングから「ニコラ」。元ネタがわかる人がいたらエディターズw
今まで使っていたミニベロの「でってゅー」は法政大学の前にひっそりと停めてあるので、誰か暇な人ツーリングしましょう。TOKYOBIKEはレンタルもしてるから、夏あたりに誰かと上野あたりを散策して1000円食べ放題の寿司でも食べてこようかな、と。参加者募集中です。
使っているISSEI MIYAKEの時計もそうだけど、自分は余計なものを削ぎ落とした、シンプルなデザインに惹かれる節がある。
東京ミッドタウンで働いていた頃、その道30年の大ベテランのバーテンダーさんに師事していたことがあったけど、そこいらのバーの店員さんと、本質的に動きが違って美しかった。何でそんなに綺麗な動きが出来るんですか、と聞いたら「チーターって知ってる?」と返された。
もちろん知っています、「チーターって美しいだろ?それと一緒。」だ、と言葉少なに語ってくれたバーテンダーさん。その時はあんまりわからなかったけど、今ならわかる気がする。
おそらく言わんとすることは装飾美と機能美という事なんだろう。チーターは極限まで「早く走ること」に特化した存在。地上で時速110キロを出す生物なんて、おそらく他にいやしない。そのボディはもちろん、走っている姿も美しい。
それと一緒で、美しく見せるための豪奢なデザインや、格好良く見せるためのシェイクは、僕はあんまり魅力的に感じない。機能を追及したシンプルなデザイン、ただ美味しく創り上げるための動作。それこそが美しいと思うのです・・・!とか大幅に話が逸れました。馬場への道も大幅に逸れて、結局家まで4時間ぐらいかかりました。蟻の門渡りが痛いです。鍛えます。どうやって?^^;
とりあえず登り坂をグイグイいける人や道を教えてくれた自転車乗りの人たちを尊敬。あと気持ち的にハイになっているからか分からないけど、道路工事の人とかおばあちゃんとか警官とかに話しかけちゃう自分のコミュ力と、意外に東京の人は優しいという発見があった旅でした。暇を見つけては遠出してみようと思います。
【部屋を大掃除、設備投資】
とりあえずくっそ晴れたので秋冬物衣料を虫干しして扇風機買って空気清浄機買って収納箱買って竹シーツ買いました。個人的に一番いい買い物だと思ったのが竹シーツ。マジひんやり。
【期間限定送料無料!】体感温度、1秒で-3度!イケヒコオンラインストア オリジナル シングルサ.../イケヒコ・コーポレーション

¥4,980
Amazon.co.jp
ということで部屋がシンプルで機能美溢れる感じになったので誰か遊びに来てください。それとツーリングしましょう。
テスト忙しいとかうっせ!(逃避)
手がけていた企画が片付いても、時は何事も無かったかのように押し流されて、アパレルメーカーのインターンをこなしながら来週から始まるテストにレポートにESに。ただ、ここ数日空いた小休止。今まで忙しいことを言い訳にして、時間的制約や気持ちの余裕の無さで出来なかった、やりたくてもやれなかったことを反動のように消化した。
・プロパーでヨウジヤマモト購入
・母親に誕生日祝いを兼ねて暑中お見舞い送付
・自転車で神奈川から馬場までツーリズム
・部屋を大掃除、設備投資
ざっとこんな感じで大散財。各要素を細かく報告してみます。
あ、ヨウジさんは消費文化史のレポートの題材にしようと思ってるので、その時にでもまた書きます。
【母親に誕生日祝いを兼ねて暑中お見舞い送付】
伊勢丹インターン採用の義理立ても兼ねて、母親に中村屋が出してるISSUIという伊勢丹限定の和菓子を、暑中お見舞いとして実家に送ってみました。

インターンの説明資料に記載されていて知ったISSUI。機能と美しさが同居した秀逸なプロダクトデザインと、ジュエリーを眺めるように見下ろすショーウィンドウ。今までメンズ館ぐらいしか行ったこと無かったけど、食品フロアですらスタイリッシュな伊勢丹は流石だな、と思った。
お中元とか暑中お見舞いとかよくわからないんですけど...という質問にも快く丁寧に対応してくれた店員さん。インターンに採用されたこととか母親の誕生日のことを話したりしたら、「きっとお喜ばれになられますよ」、と手紙を書かせてくれたりお花をつけてくれたりもした。
お客様が気持ちよくお買い物できるように、という「おもてなし」に、もしかしたら初めて触れたかもしれない。伊勢丹の店員さんにはお客さんに対する思いやりはもちろんのこと、プロ意識というか美意識を感じたし、こういった「従業員」のホスピタリティーも施設やプロダクトだけではなく、皆が憧れる伊勢丹というブランドを形作っている一要素なんだな、と思ったりした。
インターンの説明会でもらった資料読んだりとか就職サイトの企業研究とかするより、実際その企業で働く「人」に触れてみた方が手っ取り早くその企業の体質や雰囲気を知ることが出来るんだな、っていうのは自分の中での発見。利益や収益のことより、結局は人。広告とかやってると忘れがちだけど、大事なこと。うん。
コンサルで忙しいのにわざわざ遠い茨城県から大隈講堂までアドフェス見に来てくれたし、最終的に一人暮らし許してくれたのも母親だし、「こういうの贈れる余裕がある」って安心してもらいたいしね。「僕が母のことを考えている時間よりも、母が僕のことを考えている時間のほうがきっと長いと思う」っていう電報のコピーがあったけど、心配はさせたくないからね。喜んでもらえるといいです。
【自転車で神奈川から馬場までツーリズム】
忙しさと悪天候でずーっと取り置きをしてもらっていたTOKYOBIKE SPORT 9sを、神奈川の武蔵小杉まで取りに行って、その足で(その足で!)高田馬場まで乗ってきました。
数年前の型落ち品ですがまだまだ乗れます!という業者の方のお墨付きは本当で、まず実感したのはその巡行性能のよさ。今までママチャリとかミニベロしか乗ったことが無かったから、本格的なクロスバイクの取り回しに四苦八苦。坂道とかたぶん40キロぐらい出てる。やばい。
さんざんっぱら迷いながら成城通りとか環八とかを疾駆したけど、自分が風になった見たいな感覚は癖になりそう。人生に必要な力は風の力、っていうふかわりょうの一言にも頷ける。

本当は白とか黒とかがよかったけど、カラーはオレンジ。でもまあ乗ってみたら味があって気に入ってきました。漕ぎながら名前を考えましたが今回はそのカラーリングから「ニコラ」。元ネタがわかる人がいたらエディターズw
今まで使っていたミニベロの「でってゅー」は法政大学の前にひっそりと停めてあるので、誰か暇な人ツーリングしましょう。TOKYOBIKEはレンタルもしてるから、夏あたりに誰かと上野あたりを散策して1000円食べ放題の寿司でも食べてこようかな、と。参加者募集中です。
使っているISSEI MIYAKEの時計もそうだけど、自分は余計なものを削ぎ落とした、シンプルなデザインに惹かれる節がある。
東京ミッドタウンで働いていた頃、その道30年の大ベテランのバーテンダーさんに師事していたことがあったけど、そこいらのバーの店員さんと、本質的に動きが違って美しかった。何でそんなに綺麗な動きが出来るんですか、と聞いたら「チーターって知ってる?」と返された。
もちろん知っています、「チーターって美しいだろ?それと一緒。」だ、と言葉少なに語ってくれたバーテンダーさん。その時はあんまりわからなかったけど、今ならわかる気がする。
おそらく言わんとすることは装飾美と機能美という事なんだろう。チーターは極限まで「早く走ること」に特化した存在。地上で時速110キロを出す生物なんて、おそらく他にいやしない。そのボディはもちろん、走っている姿も美しい。
それと一緒で、美しく見せるための豪奢なデザインや、格好良く見せるためのシェイクは、僕はあんまり魅力的に感じない。機能を追及したシンプルなデザイン、ただ美味しく創り上げるための動作。それこそが美しいと思うのです・・・!とか大幅に話が逸れました。馬場への道も大幅に逸れて、結局家まで4時間ぐらいかかりました。蟻の門渡りが痛いです。鍛えます。どうやって?^^;
とりあえず登り坂をグイグイいける人や道を教えてくれた自転車乗りの人たちを尊敬。あと気持ち的にハイになっているからか分からないけど、道路工事の人とかおばあちゃんとか警官とかに話しかけちゃう自分のコミュ力と、意外に東京の人は優しいという発見があった旅でした。暇を見つけては遠出してみようと思います。
【部屋を大掃除、設備投資】
とりあえずくっそ晴れたので秋冬物衣料を虫干しして扇風機買って空気清浄機買って収納箱買って竹シーツ買いました。個人的に一番いい買い物だと思ったのが竹シーツ。マジひんやり。
【期間限定送料無料!】体感温度、1秒で-3度!イケヒコオンラインストア オリジナル シングルサ.../イケヒコ・コーポレーション

¥4,980
Amazon.co.jp
ということで部屋がシンプルで機能美溢れる感じになったので誰か遊びに来てください。それとツーリングしましょう。
テスト忙しいとかうっせ!(逃避)
アドフェス'10 所感
暫くぶりの更新です。
ここ最近インターンのESやら課題のレポートやら、手懸けていた大会が佳境だったりと色々立て込んでいまして中々更新する余裕がありませんでした!
昨日、半年間掛けて創りあげた7大学合同広告大会「アドフェス'10」が早稲田大学の大隈講堂にて開催されました。
課題は「予算1000万円で学生に、日経新聞 電子版を売り込む」。そのプロモーション案をプレゼン形式にて審査員に発表する大会形式。
会場一階の参加者席はほぼ満員。各大学ごとにカラーの違う、趣向を凝らしたプレゼンの数々を、自分の役割をこなしながら傍目に見ていたが、その質の高さに驚くばかりで運営者冥利に尽きる、と感じ入りながら大会に臨んでいた。
出展作品数には限りがあるし、本戦には臨めなくて涙を流した人や、重ねた会議に徹夜した制作、対立した意見や推敲した原稿、数々のドラマや見えない努力が参加者にはあったんだろう。その集大成である12分間のプレゼン。感動しない訳が無い。
その12分の集まりの枠組みを作ったのが運営者。とはいっても基本的にフレームを用意する事しかできない運営という立場は当日まで不安の連続だった。
例年の枠から大幅に参加校を増やし、大隈講堂開催という前例に無い事を成し遂げ、学生のアイディアが社会で実践されることを目指したこの大会には、ほとんど自分のやりたいことをやりたいだけ詰め込んだ。
だからこそやりがいがあったし、今まで2年間やってきた場所からあえて飛び出して自分の力でやり遂げたいという想いがあった。違うフィールドに飛び込めば、得るものが必ずある、と信じていたからだ。
ただ、その運営は難しいことばかりだった。
気心の知れた奴も少なく信じることができないから、任せられないタスクは積み重なってパンクする忙しさ、連絡系統は遅くなり自分の役割を何も見いだせていないまま参加して、肥大しきった名ばかりの会議は、グダグダで苦痛の連続。
やることをやってこない。当然のように時間を守らない。会議に来ない。独断専行に事後報告。ノウハウがないから趣旨が伝わらない...フォローアップや還元がめんどくさいから、結局数人で運営していたのが内実だ。
最後に信じて頼れるのは、やっぱりサークルの同期だった。当日のPAや照明、スイッチング等のオペレーションを、頼んでもないのに徹夜して組んできてくれる同期がいることは、本当に財産だと思う。
自分は多くを望むばかりで、黎明期の絵を描いただけ。自分一人で何でも出来ると高を括って、結局のところ頼りに出来るのは同期で...力不足を感じさせられた半年間だった。
ただ、最後の表彰で怒涛の如く沸き上がった歓声、抱き合って涙を流して喜ぶ姿、壇上で嬉しそうに班員に感謝を述べる受賞者の人を見ていたら、色々やってきてよかった、いい大会だったと、素直に思えた。スタッフロールに自分の名前があるのを確認し、全てが終わって暗転した後、誰が言うとも無く、会場から拍手が巻き起こってくれたのが僕の中の誇りでもあり、宝物です。
途中でモチベーションを失って皆に迷惑をかけたこともあったけど、本当に運営に携わってよかったと思う。後はこのノウハウを後世に繋がるよう、引継ぎ資料やら報告書などの関係書類、決算をまとめたら本当に終わる。
僕ら運営者のアドフェス′10はまだ終わっていない。最高の大会、日本一の学生広告大会の幕を下ろすのは僕たち実行委員会。終わり良ければ全て良し。しっかりきっちりやって、有終の美を飾りたいと思う。
ここまで来れたのは、自分一人の力だけではなく、みんなの支えがあったからこそだと、本当に思います。
クライアントである日経新聞の方々。日曜日開催というウルトラCを許可して下さった早稲田大学文化企画課の皆様。大隈講堂の管理者の方々。僕たちを信じて責任者として快く判を押していただいた嶋村和恵先生。満足に告知もできていないのに観に来てくれた方々。当日手伝ってくれたスタッフの方々、特に、早稲田大学広告研究会のみんな。クズみたいな俺を引っ張ってくれた実行委員長の山口!大会に参加してくれたみんな!アドフェス′10に関わってくれた全てのみんなに!御礼を言いたいと思います。
本当に、ありがとうございましたーっ!!
7大学合同学生広告大会 アドフェス'10
渉外局長 佐久間 寿
http://www.adfes.net/
ここ最近インターンのESやら課題のレポートやら、手懸けていた大会が佳境だったりと色々立て込んでいまして中々更新する余裕がありませんでした!
昨日、半年間掛けて創りあげた7大学合同広告大会「アドフェス'10」が早稲田大学の大隈講堂にて開催されました。
課題は「予算1000万円で学生に、日経新聞 電子版を売り込む」。そのプロモーション案をプレゼン形式にて審査員に発表する大会形式。
会場一階の参加者席はほぼ満員。各大学ごとにカラーの違う、趣向を凝らしたプレゼンの数々を、自分の役割をこなしながら傍目に見ていたが、その質の高さに驚くばかりで運営者冥利に尽きる、と感じ入りながら大会に臨んでいた。
出展作品数には限りがあるし、本戦には臨めなくて涙を流した人や、重ねた会議に徹夜した制作、対立した意見や推敲した原稿、数々のドラマや見えない努力が参加者にはあったんだろう。その集大成である12分間のプレゼン。感動しない訳が無い。
その12分の集まりの枠組みを作ったのが運営者。とはいっても基本的にフレームを用意する事しかできない運営という立場は当日まで不安の連続だった。
例年の枠から大幅に参加校を増やし、大隈講堂開催という前例に無い事を成し遂げ、学生のアイディアが社会で実践されることを目指したこの大会には、ほとんど自分のやりたいことをやりたいだけ詰め込んだ。
だからこそやりがいがあったし、今まで2年間やってきた場所からあえて飛び出して自分の力でやり遂げたいという想いがあった。違うフィールドに飛び込めば、得るものが必ずある、と信じていたからだ。
ただ、その運営は難しいことばかりだった。
気心の知れた奴も少なく信じることができないから、任せられないタスクは積み重なってパンクする忙しさ、連絡系統は遅くなり自分の役割を何も見いだせていないまま参加して、肥大しきった名ばかりの会議は、グダグダで苦痛の連続。
やることをやってこない。当然のように時間を守らない。会議に来ない。独断専行に事後報告。ノウハウがないから趣旨が伝わらない...フォローアップや還元がめんどくさいから、結局数人で運営していたのが内実だ。
最後に信じて頼れるのは、やっぱりサークルの同期だった。当日のPAや照明、スイッチング等のオペレーションを、頼んでもないのに徹夜して組んできてくれる同期がいることは、本当に財産だと思う。
自分は多くを望むばかりで、黎明期の絵を描いただけ。自分一人で何でも出来ると高を括って、結局のところ頼りに出来るのは同期で...力不足を感じさせられた半年間だった。
ただ、最後の表彰で怒涛の如く沸き上がった歓声、抱き合って涙を流して喜ぶ姿、壇上で嬉しそうに班員に感謝を述べる受賞者の人を見ていたら、色々やってきてよかった、いい大会だったと、素直に思えた。スタッフロールに自分の名前があるのを確認し、全てが終わって暗転した後、誰が言うとも無く、会場から拍手が巻き起こってくれたのが僕の中の誇りでもあり、宝物です。
途中でモチベーションを失って皆に迷惑をかけたこともあったけど、本当に運営に携わってよかったと思う。後はこのノウハウを後世に繋がるよう、引継ぎ資料やら報告書などの関係書類、決算をまとめたら本当に終わる。
僕ら運営者のアドフェス′10はまだ終わっていない。最高の大会、日本一の学生広告大会の幕を下ろすのは僕たち実行委員会。終わり良ければ全て良し。しっかりきっちりやって、有終の美を飾りたいと思う。
ここまで来れたのは、自分一人の力だけではなく、みんなの支えがあったからこそだと、本当に思います。
クライアントである日経新聞の方々。日曜日開催というウルトラCを許可して下さった早稲田大学文化企画課の皆様。大隈講堂の管理者の方々。僕たちを信じて責任者として快く判を押していただいた嶋村和恵先生。満足に告知もできていないのに観に来てくれた方々。当日手伝ってくれたスタッフの方々、特に、早稲田大学広告研究会のみんな。クズみたいな俺を引っ張ってくれた実行委員長の山口!大会に参加してくれたみんな!アドフェス′10に関わってくれた全てのみんなに!御礼を言いたいと思います。
本当に、ありがとうございましたーっ!!
7大学合同学生広告大会 アドフェス'10
渉外局長 佐久間 寿
http://www.adfes.net/