【・・そして収骨】生き尽くした母 | 50代主婦いよいよ実家じまいがやってきた

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明治の初めから4代続いた実家が、いよいよ幕を閉じようとしています。決して円満とは言えない家族でした。でも今はただ、寂しいばかりです。

こんにちは。ちょびにっこりです。

 


87歳 認知症の母が

年末に

誤嚥性肺炎と診断されて約4ヶ月

 

5月の始め

 

母は

静かにこの世を去りました。

 

 



こちらの記事の続きです。




誰に何の気兼ねもなく

穏やかな気持ちで

実家や母の話が出来た家族葬。

 

これが

本来の弔いの形なのかもね・・

 

本家の従姉妹さんが

しみじみ仰っていました。




収骨からの流れ

 

骨上げ(収骨)にかかった時間は

30分程度。

 

兄、本家の従姉妹さん、娘、私

 

この4人で

母のお骨を拾いました。


 

収骨が完了した後、ロビーに移動。

喪主の兄が火葬費72000円

現金で支払い

⚠️後日火葬費葬祭費8万円が

     役所から支給されます。

 

9時半から始まった葬儀は


お昼の1時半前に

全ての行程を終えました。

 


約4時間でしたが

参列者が少ないからか

ゆったりと時が流れたような気がします。

にっこり

 

 

骨上げ前の私の心の中・・

 

火葬待ちの昼食時間に

 

初代の曾祖父が

有り余る程の親の財産で裕福に暮らし

 

領地の民に心を配った人徳のある慈善家


要するに、

親の財産で他人に善意を尽くし

世間体を整えまくった一方で、

家庭をないがしろにしたお殿様的男

 

…だったと言う事実を知り

 真顔


火葬炉に向かって歩く途中

 

私は

祖母と母が哀れで仕方なくなりました。

 😢


そんな気持ちを抱え

収骨の時を迎えました。

 

 

 

母に敬意を抱いた瞬間

 

ところが


骨になった母を見た途端、

 

今までの色んな感情が

吹き飛ぶほどの衝撃を受け

 

私は思わず、母に、


「あっぱれ!」


と言いたくなりました。



まさに、


最後の細胞の一つが

息絶えるまで生き続けた!

 

私の目には

そんな勇姿に見えました。

 

「母親」の強さを感じたのかもしれません。

 

 

骨がしっかり残っていた

父や義父の時とは全く違った感情が

湧き上がりました。

 

 


お骨上げ


母の骨は原形を留めないほど

焼き尽くされていて

 

腕や足の骨にはストローのように

空洞が出来ていました。

 

また、

CVポートや

点滴を施した場所だと思うのですが、

 

二カ所ほど

綺麗なピンク色に色づいた

骨のかけらもあります。


もはや

骨を崩す必要もない程で


だからこそ

静粛な骨上げになりました。

 


 

まずは

喪主の兄と私が二人で

脚の骨を拾いました。

 

それから

娘と、本家の従姉妹さん。

 

この二人、

初対面だというのに

何だか同じ波長をしていて


やはり親族なんだと

しみじみ感じ入りました。

 

 

娘は従姉妹さんと


何やら母の骨の様子を話しながら

 

竹のはしで挟んだ骨を

360度まじまじと眺め(観察?)

 

二人で殆どの骨を

骨壺に収めていきました。



 

そうそう❗️


 

こんなに焼けてしまっているのに

 

胸椎と腰椎が

太くしっかり残っていたことに

驚いていました。


 びっくりあんぐりびっくりマークえ、これすごい!



この強い背骨が

最期まで母の内臓を辛抱強く支え

命を守り続けていたのでしょう。

 


母の粘り強さの源を

目の当たりにした気がしました。

 

 



小柄な母を納める小さな骨壺に

形のある骨は殆ど全て収まったのでは

と思います。

 




最後に兄と

母の喉仏を納めました。



 

そして

頭の骨で蓋をして収骨を終えました。

 


 

お母ちゃんは

最後の最後まで生き尽くしたんだね。

 

私が呟くと

 


兄も

 

本当に、その通りだなあ…。

 

と感慨深げに答えてくれました。

 

 

 

 

骨上げを終えると

本家の従姉妹さんは退席され

 

兄と、娘と、私

 

三人で初七日法要のため


すぐに

母が檀家になっていたお寺に

向かいました。

 

骨壺は娘が抱えてくれました。

 ニコ





歩きやすいパンプスだと

ストレスフリーです

にっこり