【お通夜の流れ】家族葬で母を見送りました | 50代主婦いよいよ実家じまいがやってきた

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明治の初めから4代続いた実家が、いよいよ幕を閉じようとしています。決して円満とは言えない家族でした。でも今はただ、寂しいばかりです。

こんにちは。ちょびにっこりです。


☝️

前回の葬儀費用に引き続き


小さなお葬式を通して利用した

葬儀場で行った


通夜〜葬儀〜火葬〜初七日までの

流れをご紹介します。



喪主です。



参列者は通夜4人、葬儀5人、

(火葬収骨4人)



司会は担当の男性。

参列者の背後、葬儀場の1番後ろで

マイクを使わず

よく響いて落ち着きのある声で

しめやかに司会進行して下さいました.



親族控室

 件 

親族の通夜の夜の宿泊室

式場と襖を隔てた隣にありました.


畳10畳 

奥にお風呂とトイレ(独立型)

簡単なキッチン


とても新しく清潔で快適でした。




お通夜

5月7日 夜遅くに亡くなった

母のお通夜は


2日後の9日木曜日18時から

執り行われました。



【準備】

私たち兄妹は、

午後2時にセレモニーホールに入り

担当の男性と以下の事を

再確認しました。

兄が

母が亡くなった翌日

葬儀会社と細かい打ち合わせを

すでに済ませていました。

⚠️

私も

LINEビデオ通話で

打ち合わせに参加した事を

先ほど思い出しましたニコニコ



*葬儀費用

*お布施

*葬儀の流れ、時間ぐり

*参列者

*お花や弔電

*お弁当の数



葬儀費用とお布施、火葬費のために

現金75万円

(母の預金から予め引き落としておいたもの)

所持していましたので


親族控室の金庫に入れ

鍵は私が管理しました。



【お通夜前】

17時半ごろ

お世話になった特養の

施設長さんと理事長さんが

お香典を持って

母と最期のお別れに

来てくださいました🥹


しばらくして

父の弟さんがいらっしゃいました。


77歳

体調を崩しておられて

足取りが危なく


思わず身体を支えて

靴を脱ぐのを手伝ってしまいました。


ひょっとして

伯父さんとお会いできるのも

これで最後なのではないか…


と言う思いが頭をよぎり

寂しくなりました。



次に

兄嫁さんがいらっしゃいました。


小学校の先生らしい

キビキビした印象の女性でした。



最後に

住職、副住職が到着され

お通夜が始まりました。



席は

祭壇に向かって右端に

喪主の兄。


その他の参列者には

特に指定された席はなかったので


自然と

兄、兄嫁、父の弟、私

と言う並びになりました。



お布施を出すタイミング

お焼香のタイミングなど


何もかも

司会の方がお声かけしてくださり


喪主の挨拶もなく


ゆっくりと

母を送り出すことができました。

にっこり




お通夜は

30分程度で終了しました。




夜20時ごろ

娘が到着しました。


大学の授業を終えてから

新幹線に乗り、やってきました!



娘と兄と3人で

はま寿司のテイクアウト

(3000円くらい)をとって


親族控室で頂きました☺️



改めて気づいたのですが


兄と娘は

血族なんですよね‼️

😳



今まで

あまりにも交流が無かったので

他人のような気がしていました!


でも


二人、

なんだか波長が合っていました。


他愛ない話にたくさん笑って

とても和やかな時間を

過ごすことができました。




晩年の母は、兄に対して


ショボーンどうして

妹(ちょび)と姪(ちょび娘)を

大切にしてやらないのか。


と、よく嘆いていましたので

きっと喜んでくれたでしょうおねがい



ちなみに

その頃の兄は

反抗期おじさんでしたので

母の言葉も、私たちのことも、

完全にムシでした😅



兄にとって私は

父親・母親側の人間として

一括りだったんでしょうね。


私も

両親から

娘としては迷惑を被っていても、


孫である私の娘をかわいがってくれれば

お返しに優しくしていましたし


私の娘の前では

お互いに仲良く振る舞うよう

頑張っていましたので


私の心の奥の悩みに

気付けやしませんよね😅




そんな私たち3人の間のもつれた糸を

丁寧に解いていくような

お通夜の夜でした。






   

20歳の娘に

ふくさを

用意しました

にっこり

今までは

私が娘のお念珠を

持ち運んでいました


いつの間にか

娘も

すっかり大きくなりました