初代曾祖父の88回目のお盆です・・遠忌法要のころ私たちは・・ | 50代主婦いよいよ実家じまいがやってきた

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明治の初めから4代続いた実家が、いよいよ幕を閉じようとしています。決して円満とは言えない家族でした。でも今はただ、寂しいばかりです。

 

 

       ご先祖様は今              何を思っているのだろう

 

      実家の歴史

分家 初代  曾祖父 明治6年生まれ

   2代目 祖父(若くして死去)⇒祖母

   3代目 母

   4代目 兄 ⇐ 今ここ

 

今年は 昭和10年に亡くなった初代 

曾祖父88回目のお盆です。

 

次は遠忌法要を12年後に控えていますが、

その時わたしは65歳、兄は70歳目前ですね!

実現できるかなぁ・・。

 

遠忌というのは、

五十回忌や百回忌など、故人が亡くなってから

かなりの年月が経った際に開かれる法要です。

基本的に五十回忌、百回忌、百五十回忌と、

50年感覚で遠忌は執り行なわれます。

             ~五条祭典HPより抜粋~

 

 

曾祖父の場合、次は百回忌です。

 

 

さて、

 

実家の墓所は、

曾祖父が分家の時に分け与えられた

小山の麓にあります。

 

曾祖父のお墓が最初に建てられたので

88年前からそこにあるわけです。

 

当時は珍しい高級石材で作られた

立派なものだったようで

他の親族に恥じない体裁は整えています。

 

 

でも

 

今更ですが、

実家の墓地は88年間もの間

地盤の整備が

ろくにできていなかったのではないか・・

と思うのです。

 

もちろん経済的な理由からですが。

第2次大戦も挟んでいますしね。

 

十数年前の写真を見ても

地盤が歪んできているのが

わかります。

 

今はもっとゆがみが酷くなっており、

傾きが一目で分かる程になっています。

 

今後どこかのタイミングで整備しないと

12年もたない気がしてならないのですが、

母の次にこの墓所に眠る人がいません。

さて、どうしたものか・・・。

 

 

 

それにしても、

実家の墓所が(も!?)

こうも廃れているのはなぜなのか・・

遠い過去に思いを馳せてみました。

 

 

 

曾祖父は

19歳の愛娘を流行病で亡くしています。

その悲しみ様は相当のものだったと

祖母から何度も聞かされました。

 

ひょっとしたら、

その頃からすでに実家は

経済的な苦境に

さしかかっていたのかもしれません。

 

国民皆保険などない時代、

一家に一人大病をする人が出ると

家が傾くと言われていたとか。

 

さらに

次世代の婿養子も長患いの末

働き盛りの年で亡くなり、

 

その妻である私の祖母は、

賃金労働をしたことはありません。

 

母も結婚後は仕事を辞めていますし

父は決して高給取りではありませんでした。

      兄妹ともに、親の年収に基づき

      大学で全額授業料免除が受けられるほどの

      年収でした・・・。

 

なんだか不運の連続です。

 

墓所に手が回る筈もありませんよね 汗うさぎ

 

 

そろそろ 分家となって130年!!

 

やっと実家の歴史が腑に落ちてきました。

 

 

 

ですが

 

どんなに愚かで貧しくとも 

ご先祖様に感謝し

お墓参りとお墓掃除だけは

心を込めて丁寧に執り行う

我が家でした。

 

ひょっとしたら、

 

いままで最悪の事態を

すんでのところで逃れられてきたのは

母を思うご先祖様の

取り計らいなのかもしれません。

 

      合掌

 

 

↓ 親族のお墓が近くに数カ所あるとき、

     持ち運びにとても便利ですにっこり

 

 

↓ 生花をお供えしたいときに花

 

 

 

 

↓ 遠方で頻繁にお墓参りに行けないときは

    アーティフィシャルフラワーで花

 

 

 

 

↓ お墓参りにワイドな日傘。晴雨兼用ですにっこり

 

 

↓ お盆の日は線香花火をしたくなる私ですにっこり