こんばんは。原田綾子です。
(初めてここにお越しになられた方へ。私のプロフィールです。)
最近、出逢った方たちや
読者さまからメッセージ頂き
この仕事に就くまでのことを聞かれることも多かったので
改めて、簡単に私の職歴?を書いてみたいと思います。
そんなことを書いてみようと思ったのも
久しぶりに23歳、社会人一年目に買った時計をして
次女に
「この時計ね、ママが働いて初めて買った時計なの」
と話して、いろいろ思い出したから。
いろんなブランド物の時計より、
なによりこの時計が一番気に入っている。
だいぶ傷ついてしまっているけど、
deepBlueのフェイスとシルバーの組み合わせが
たまらなく好き。
多少の傷はあるけれど、
その傷も大切な宝物。
大学四年の現役時代、
埼玉県の教員採用試験は
高倍率で受からなかった。
(受験者1800人中、採用80名だったから・・
また当時、埼玉県は理数系の問題が多く
私は文系だったから・・と言い訳をする)
社会人として初の仕事は
小学校の普通学級にいた
肢体不自由の女の子の介助員。
手足が不自由だったので、車椅子を押し、
1日付きっ切りで女の子と関わった。
期限付きで退職。
その後、Roverに勤務。
国道沿いのディーラーに飛び込み、
どれだけ車が好きか熱く語り、
ここで働きたいと話したら、
「キミ面白いね!採用決定!」
と、特別に採用してもらった。笑
幹部候補生として勉強してみないか?と
どっさりとテキストを渡され私は悩んだ。
私が本当にやりたいことは・・・
本当は・・・
教・・・員。
その後、縁あって
銀座の弁護士事務所に
秘書として勤務することになった。
人生初のラッシュ通勤。
新しい世界にワクワクしたが、
毎日裁判で使う資料作りと霞ヶ関を往復。
なにか物足りなかった。
私がやりたいことはこれじゃない。
本当は・・・
学校の・・・
そんなとき、
当時付き合っていた会社員の彼が
(中学教諭志望。当時採用試験倍率60倍)
夢を諦めず、自分を売りに教育委員会回りをし始めた。
しかも全国各地。
そんな姿に勇気をもらい
弁護士事務所をたった数ヶ月で辞め
毎日、各市町村の教育委員会を回った。
なんども門前払いをくらった。
でも諦めない。
教師になりたい!
真夏に車で教委回り。
白いブラウスは汗まみれだった。
手応えのない反応。
でも何故か楽しかった。
1%の望みでもかけてみたい!
夢にワクワクした。
ある日、学校教育課課長に
「佐藤さん(旧姓)しつこいよ!
何度来ても無駄だよ!
今いっぱいで採用枠は無いよ!」
と言われた。
わたしは心の中で
こっそりガッツポーズをした。
名前を覚えてもらった。
きっともうすぐ採用される!
2週間後、
病休代替で1カ月限定で担任をやらないかと話がきた。
飛び上がって喜んだ。
結局時期は延び、半年勤務した。
やりがいを感じ、すっかり仕事にハマった。
次に勤務した学校は
荒れていて有名な学校だった。
担任した学級は前年度、荒れて
担任は退職してしまったクラスの持ち上がり。
苦労したが、子どもたちはどんどん変化し
素晴らしいクラスに育った。
その後も、また他市の荒れた学級を担任した。
ここでもよい経験をし、
子どもに無限の可能性があることを知った。
同時に、子どもへの関わり方で、
子どもがこんなにも変化することを知り、
働きながら教員採用試験を受けた。
1日仕事を終え、ヘトヘトになり
家に着いてから必死で勉強した。
絶対に受かりたい!
そう思ったら次々と奇跡が起きた。
(このことについては潜在意識の面白い
出来事の連続だったので、いつか別記事に書きます)
夢叶って合格し、本採用となり、初任研を受け、
結婚し、出産し、いろいろあって・・・
公立小学校教員を退職した。
そして、まだ長女が3歳の頃↓
「起業だっ!」と、
川越駅内のスタバで
ある女性社長が書いた本を読みながら起業を決めた。
右も左もわからず、でも、わからないことは
わかる人に聞きに行けばいい。
とにかく行動をした。
今すべきことを手帳に書き全部やっていった。
これが今のわたしの原点。
どんなときも不恰好に試行錯誤する私を
見守ってくれていた時計。
それがSEIKO ルキア。
なんだか商品宣伝みたいだけど。笑
deepBlueのフェイスを見ると、あの頃が懐かしく蘇る。
うつパニックがひどかった頃、
カメラだけが友達時代。笑
大学卒業しても、何か未来が見えず
フラフラと仕事も長く続かず
こんなんじゃだめだよね。
友達たちは生き生きと仕事をしているのに
私は一体何をしているのか・・・
と落ち込んだ時期もあった。
この時計は、そんなモヤモヤ時期も
一緒に過ごしてくれた。
高倍率だし、どうせ
小学校教員なんてなれないと諦めて
Roverで車に囲まれて働いてた時も
法律事務所で弁護士秘書してた時も
一緒に通勤ラッシュを乗り越えた相棒。
やっと天職と思える
小学校教員となり日々奔走していた時も
一緒に子どもたちの賑やかな声を聴きながら
時を刻んでくれていた時計。
今ではあの頃、
1ミリも想像もしなかった仕事をし、
1ミリも想像しなかった場所にいる。
安心安全安定の小さな狭い世界から
起業を決めたときは
広くて先の見えない大海原へ放り出されたような
そんな気分になったけど
先が見えない広い世界に
ものすごくワクワクした。
先が見えないからこそ
面白い。
目の前には
無限の可能性が広がっていた。
こう思えるようになったのも
アドラー心理学と潜在意識を学んでいたから。
この広い海でなんでも自由に
自分のやりたいことを経験し
挑戦し
自分も楽しんで
誰かのお役に立てたら最高だと
そう思い
たくさんの人に出会った。
怖いとか、不安とか
そんなこと思い暇もないくらい
今できることをただただひたすらやってきた。
それは、苦労でもなく
怖さも含めて楽しかったのだ。
ただ目の前のこと「今」に集中して
心を込めて仕事をしていたら
どんどん仕事が舞い込むようになった。
当時は、呼ばれればどこまででも行った。
北海道でも
九州でも。
いろんな経験がしたかった。
講座講演はもちろん
ものづくりも
八ヶ岳勇気づけ親子キャンプも
子ども向け勇気づけ講座も
全国あちこちで開催した。
学会発表も4回、させていただいた。
中学生にも勇気づけのメッセージを届けた。
会社のパーティーも。
本も何冊か出させていただき
翻訳本も中国、韓国、ベトナム、台湾から
出版され
1冊の本がどれだけ多くの方の力に支えられ
作られているかを知って驚いた。
知らないことを知ること、
できなかったことができるようになること
なんて面白くて素敵なことなのだろう。
そう思って、
やりたいことは全部やってきた。
だって、私たち人間は
地球に
「遊び(学び)に来た」のだから。
だから、もし
心は不安を感じていたとしても
魂はどこまでも果てしない成長を求めて
いろんな体験をしたがっている。
いろんな人と出会い、学び、感動し
ともに世の中をよりよくしていくために。
秘書時代、弁護士と裁判の話をしてた時も
真夏にクーラーの無い小学校の教室の小さな机で
教員採用試験を受けた時も
汗と土にまみれながら学校で
子どもたちと遊んだり、授業をしてた時も
結婚しても、子どもができても
心理学のセミナー三昧の頃も
ビジネスの勉強をしまくった頃も
ずーっと一緒にいてくれた存在。
今も、子育てと仕事に奔走する私を
笑いながら見守ってくれているだろう。
そして思う。
職を転々とし、回り道をしている自分が
当時はなんだか後ろめたかった。
でも、回り道したからこそ
見えてたものも多々あった。
ふだん気づかないことに気づいたり
あのまま教員になっていたら
知らないことも沢山あった。
きっと、これでよかったのだ。
いや、これがよかったのだ。ね。
全て順調だった。
どれが欠けても今の私は居ない。
これからも
やりたいことを全部やって生きていく。
仕事だけじゃない。趣味も。
子育ても。
この時計は
きっとこれからも人生のパートナー。
昔からの友人のような
私を勇気づけてくれる存在。
物や思い出も、自分を
勇気づけてくれる。
これからも
地球を遊び(学び)尽くそう!
試行錯誤しながら魂を磨いて
微力ながらも社会貢献できたらと思っています。
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2万9200部となりました。
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原田綾子(もと埼玉県公立小教員、17歳11歳姉妹の母)
小学生から過呼吸、高校で摂食障害ウツ、 大学時代パニック障害でボロボロだった私がアドラー心理学と潜在意識を味方につけて すっかり健康に全国で講座講演する様に。
私の紹介動画(YouTube約1分半)です。子ども時代~現在まで。
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