参拝
本日、遅ればせながら初詣に行って参りました。
半年前と同じ、マコケと一緒に神宮へGO!
全然関係ないんですが、出掛ける前にマコケと朝マックへお出かけ。
新作メニューにか・なぁり期待して出掛けたんですが、ちょっと涙…。
…これがプラスかマイナスか、それは想像にお任せシマス…(笑
はて、ちょっと曇りでシトシト雨で心配もしたんですが、オミクジ引いたり参拝したり…さすがにもう人もまばらで、ゆっくり過ごすことが出来ました。
さて、毎年恒例オミクジ。
…。
「言葉遣いに気をつけましょう(総括)」
…色々誤解を招くそうです。いやもう、当たってるから言葉に詰まるわけですが(笑
言葉使い、態度…本当に難しいです。
最近も、就活面接で「勝ち気っぽい」と言われたばかり。
その後ラシコに聞いてみたところ、「一見勝ち気っぽいけど、よく考えるとこれといって具体的なことは出てこない」と言われ、無駄に嬉しかった(笑
が、それは私がそういうキャラ(?)でラシコに接しているからその結論に達するわけで、マコケや両親に言わせれば、やっぱり勝ち気なんだろうな。
じゃあ誰に対してもラシコに接するように接しろよという話なんですが、そんなことをしたら死んでしまいます。
すっごい痩せるとか…いや、これはこれで良いかもしれませんね(笑
なんにしても、たとえ「真実」であったとしても、全て一面的なものかなと思います。
せっかくだからオミクジの言葉をきっちり心にとめて、今年一年過ごしていきたいです。
半年前と同じ、マコケと一緒に神宮へGO!
全然関係ないんですが、出掛ける前にマコケと朝マックへお出かけ。
新作メニューにか・なぁり期待して出掛けたんですが、ちょっと涙…。
…これがプラスかマイナスか、それは想像にお任せシマス…(笑
はて、ちょっと曇りでシトシト雨で心配もしたんですが、オミクジ引いたり参拝したり…さすがにもう人もまばらで、ゆっくり過ごすことが出来ました。
さて、毎年恒例オミクジ。
…。
「言葉遣いに気をつけましょう(総括)」
…色々誤解を招くそうです。いやもう、当たってるから言葉に詰まるわけですが(笑
言葉使い、態度…本当に難しいです。
最近も、就活面接で「勝ち気っぽい」と言われたばかり。
その後ラシコに聞いてみたところ、「一見勝ち気っぽいけど、よく考えるとこれといって具体的なことは出てこない」と言われ、無駄に嬉しかった(笑
が、それは私がそういうキャラ(?)でラシコに接しているからその結論に達するわけで、マコケや両親に言わせれば、やっぱり勝ち気なんだろうな。
じゃあ誰に対してもラシコに接するように接しろよという話なんですが、そんなことをしたら死んでしまいます。
すっごい痩せるとか…いや、これはこれで良いかもしれませんね(笑
なんにしても、たとえ「真実」であったとしても、全て一面的なものかなと思います。
せっかくだからオミクジの言葉をきっちり心にとめて、今年一年過ごしていきたいです。
ひととき
少し、幸せ。
今まさに、やっと第三氷河期が過ぎて、ほんの少しだけ太陽が見えています。
今が全てではないし、またすぐ氷河期が来るとは思うのですが…それでも今、ちょっとだけ幸せ。
返事がすぐ返ってくる、ちょっと長めの返事、ほんのり優しい…それだけで、ホッとします。現金だね。
この時期に慣れると、すぐに辛くなってしまうから…期待しすぎないようにしていきたいけれど、今この瞬間は、甘ったるい空気に浮いていたいな。
たった一通、不機嫌そうなだけで、不安になってしまうのはもう習慣ですね(苦笑
明日には、また氷河期かもしれない。
そんな付き合いは、やっぱり向いていないのかもしれないけれど。
ひととき、が幸せな今を、大切にしたい。
A
この度、レポートにて授業内に扱った授業実践をめぐって自身の意見を書く…というものがあります。
いくつもの授業実践を扱ってきましたが、今回自分がテーマとして選んだ登校拒否児童…A。
彼女は、登校出来ない自分を責め、「がんばる」というセリフで自分を追いつめます。
そんな彼女は、周りへの班ノート(がんばる、で埋め尽くされたモノ)以外に、もうひとつのノートを持っていました。
それは、先生や友達、親友へ向けた…怨みと妬み、憎悪、怒り…で埋め尽くされた、彼女の日記。
些細な行き違いから、彼女はそのノートに書かれた全ての感情を、克明に記されたそれを、担任教師に突きつけ…糾弾する。あのとき、あんな時、あなたが言ったセリフの意味はなんだったのか…と。
私がAの実践を選ぶのは、彼女と自分が重なるから。酷くダブって見えるから。
私がこのブログを書き始めた理由自体、鬱々とした感情のはけ口を求めて、のこと。
ラッシーとの関わり、大学の生活…それら、諸々のこと。
このブログは、大半が「批判」や「意見」で作られている。
日記なので当たり前ですが、それでも「公開」されているという一点において、登場人物も場所も内容も…ぼかすところはぼかして、誤魔化すところは誤魔化している。
けれど、殊自らの感情面の吐露は、どうしようもなく胸にたまった部分を書いてしまうことも、ある。
そこに書かれる「言葉」は、その対象…(ラシコであったり、弁護士志望であったり、諸々)には、言えない、言わないセリフ。
逆を言えば、それらに対して簡単に向ける言葉(好き、とか)は、ここには絶対に書かない。
携帯、メールでは、それらの言葉に意味と真実が感じ「られる」けれど、この場においてそういう言葉は酷く薄っぺらく感じる。
本当にそう感じてるのか、自問自答してしまう。
かといって、携帯その他でそれらの単語を使用している時、そこまでの違和感はないし、場合によっては酷く真実味を帯びる時もある。(短期的な話ではあるけれど)
奇妙な話のようで、当たり前のようにも感じる。私にとっては。
「ここ」は、真実の場であり虚像の場で、だからこそ時折素直なことも書く。
その中途半端さが、このブログを「見直そう」と思える理由でもある。
書こう、と思える理由である。
非難と中傷が実名を伴って書かれた「過去」を、私は見直す気持ちになれない。
幻想と甘えと幼稚さが、実名を伴って書かれた「過去」も、見直す気持ちになれないのと同じように。
どちらも、酷く痛いから。いろんな意味で(苦笑
一年後の今、私には一つの予定があり。
それがAと同じ「糾弾」の道となるのか、未だわからない。
しかし、その願望があることを、否定出来ない。というより、もちろんその予定であったはずだったが、立つ鳥後を濁さず、ということで揺れているわけだ。
もう二度と会わないのだから、もう二度と思い悩むことから解放されるのだから、最期の最期に、言いたいことを言えばいいんじゃないか、とも思う。
しかし、じゃあ私の真の目的とは、糾弾によって相手を追いつめ責めることなのか。傷つけることなのか。
否、それを受け止めて欲しい、というのが本音のところで、けれどそんなことは多分不可能だろう、と見切りをつけている。
言っても言わなくても、結局変わらないのならば、そんな生産性のないことをする意味はあるのか、という奇妙な境地に至る。
それがまた、諦めとなって重なる。痛い話だ。
Aの気持ちが、流れてくる。
痛い、苦しい、こんなにがんばっていたのに、酷い、どうして気づいてくれなかったの。
泣いて、責めて、殴って、刺して。一生残るようなえぐい映像を、頭に焼き付けてやりたい。
この気持ちが晴れるまで、付き合う義務があるだろう、そして懺悔を。
否、懺悔などいらないから。
そんな目で見ないで。
責めるような目でみないで。
ゴミ見るような目で、見ないで。
許して。
酷いことをする自分を、許して。
笑って、受け止めて。
ごめんが、欲しいんじゃないの。
そのまま、受け止めて。
ワタシを受け止めて。
それがどれだけの苦しみで、幼稚なことで。ワガママであって。
人はどうやって生きていくの。
いくつもの授業実践を扱ってきましたが、今回自分がテーマとして選んだ登校拒否児童…A。
彼女は、登校出来ない自分を責め、「がんばる」というセリフで自分を追いつめます。
そんな彼女は、周りへの班ノート(がんばる、で埋め尽くされたモノ)以外に、もうひとつのノートを持っていました。
それは、先生や友達、親友へ向けた…怨みと妬み、憎悪、怒り…で埋め尽くされた、彼女の日記。
些細な行き違いから、彼女はそのノートに書かれた全ての感情を、克明に記されたそれを、担任教師に突きつけ…糾弾する。あのとき、あんな時、あなたが言ったセリフの意味はなんだったのか…と。
私がAの実践を選ぶのは、彼女と自分が重なるから。酷くダブって見えるから。
私がこのブログを書き始めた理由自体、鬱々とした感情のはけ口を求めて、のこと。
ラッシーとの関わり、大学の生活…それら、諸々のこと。
このブログは、大半が「批判」や「意見」で作られている。
日記なので当たり前ですが、それでも「公開」されているという一点において、登場人物も場所も内容も…ぼかすところはぼかして、誤魔化すところは誤魔化している。
けれど、殊自らの感情面の吐露は、どうしようもなく胸にたまった部分を書いてしまうことも、ある。
そこに書かれる「言葉」は、その対象…(ラシコであったり、弁護士志望であったり、諸々)には、言えない、言わないセリフ。
逆を言えば、それらに対して簡単に向ける言葉(好き、とか)は、ここには絶対に書かない。
携帯、メールでは、それらの言葉に意味と真実が感じ「られる」けれど、この場においてそういう言葉は酷く薄っぺらく感じる。
本当にそう感じてるのか、自問自答してしまう。
かといって、携帯その他でそれらの単語を使用している時、そこまでの違和感はないし、場合によっては酷く真実味を帯びる時もある。(短期的な話ではあるけれど)
奇妙な話のようで、当たり前のようにも感じる。私にとっては。
「ここ」は、真実の場であり虚像の場で、だからこそ時折素直なことも書く。
その中途半端さが、このブログを「見直そう」と思える理由でもある。
書こう、と思える理由である。
非難と中傷が実名を伴って書かれた「過去」を、私は見直す気持ちになれない。
幻想と甘えと幼稚さが、実名を伴って書かれた「過去」も、見直す気持ちになれないのと同じように。
どちらも、酷く痛いから。いろんな意味で(苦笑
一年後の今、私には一つの予定があり。
それがAと同じ「糾弾」の道となるのか、未だわからない。
しかし、その願望があることを、否定出来ない。というより、もちろんその予定であったはずだったが、立つ鳥後を濁さず、ということで揺れているわけだ。
もう二度と会わないのだから、もう二度と思い悩むことから解放されるのだから、最期の最期に、言いたいことを言えばいいんじゃないか、とも思う。
しかし、じゃあ私の真の目的とは、糾弾によって相手を追いつめ責めることなのか。傷つけることなのか。
否、それを受け止めて欲しい、というのが本音のところで、けれどそんなことは多分不可能だろう、と見切りをつけている。
言っても言わなくても、結局変わらないのならば、そんな生産性のないことをする意味はあるのか、という奇妙な境地に至る。
それがまた、諦めとなって重なる。痛い話だ。
Aの気持ちが、流れてくる。
痛い、苦しい、こんなにがんばっていたのに、酷い、どうして気づいてくれなかったの。
泣いて、責めて、殴って、刺して。一生残るようなえぐい映像を、頭に焼き付けてやりたい。
この気持ちが晴れるまで、付き合う義務があるだろう、そして懺悔を。
否、懺悔などいらないから。
そんな目で見ないで。
責めるような目でみないで。
ゴミ見るような目で、見ないで。
許して。
酷いことをする自分を、許して。
笑って、受け止めて。
ごめんが、欲しいんじゃないの。
そのまま、受け止めて。
ワタシを受け止めて。
それがどれだけの苦しみで、幼稚なことで。ワガママであって。
人はどうやって生きていくの。