母が亡くなりました | はるかなる回り道の途中です。

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コーヒーとチョコレートを燃料にして
脚本・演出を生業とすべく、日々精進中のものです。
なんてことないことやら、なんてこったなことなど、つらつらと。

昨年に続き、久々のブログです。

そして昨年に続き、悲しくて哀しくてかなしすぎるお知らせです。

令和2年3月29日、母潤子が逝去いたしました。
70才でした。

こんな折ですので、葬儀は親戚のみの家族葬とさせて頂きました。
このような形でのご報告になりましたこと、大変申し訳ございません。



なんか。ね。
ぜんぜん実感ないです。

厳しい病の告知があって、約1年半。
治療がうまくいってわりと元気な時もあったし、
副作用などで辛い時もありました。

それでもカフェ行ったり
おそば食べに行ったら
デパートで買い物したり
母の故郷の長崎旅行にも行きました。

それがだんだんと、厳しい状況になり

最後は痛みとの闘いで。
それでもおうちで過ごしたいと頑張っていたけれど、
いったん病院で痛みのコントロールをしようと短期入院した矢先
春の雪の中、母は逝きました。




母とわたしは、仲がめちゃくちゃいい部分もあるし、
意外とお互い明かさない部分もある、
そんな不思議な関係だった気がします。

周りが思ってるほど、「仲良し母娘」じゃ
無かったかも😅

でも、いろーんなところに一緒に行ったし、
いろーんな経験を一緒にしました。

そして
わたしが今、こうして脚本や演出の仕事ができるようになるのには、母の存在は欠かせないものでした。

それはいわゆる応援、というだけでなく、
劇団の時は衣装さんとして、いろんな服を作ってくれたこともあり。
犬!とかメイド!とか
難易度高いものもあったのに笑
めんどくさい演出家のオーダーに、低予算で応えてくれました。

もちろん、そんなことだけでなく。
たくさん。
そりゃもう思い出せないほど多くのことを
母は私にしてくれました。



というだけで。



というだけで。


ありがたいです。


おかげさまで独り身なので(°▽°)
最後は、おうちで母とともに闘うことができまして

もちろんまだまだやりたい事、話したいことは山のようにあったけど
それでもお互い最後まで頑張ったよね、と、いう気持ちです。

その思いが寂しさを帳消しにはしてくれるわけではないけれど。
なんていうか、母の強すぎる姿を目の当たりにしたあの日々の経験は、一生ものだと思います。


もちろん、私一人では無理でした。

母のお友達のみなさん
わたしの仲良しのみなさん
お仕事先の関係者の皆様
兄とか叔父とかいとことか親戚のみんな
そして
ケアマネさん 
訪問医のせんせい
訪問看護師さん
ヘルパーさん

周りの方の温かで力強い支えがあったから
なんとか頑張れました。

心から感謝申し上げます。



さて。
これからです。

この寂しさとか哀しさとかの先に
新たな未来を切り開くべく
前を向かなきゃです。

ワンコも養わなきゃだし笑
わたくし、がんばります!

あの母の娘だから、きっと大丈夫!!

まずは、このウィルス騒動をいかに乗り切るか。
そしてその先、表現者としていかに生きるか。

問われていると思うのです。

地に足つけて一歩ずつ、歩き出そうと思います。


まぁあの、しばらくはしょぼくれていることも多いと思うので、お出かけとかOKな状況になりましたら
みんな、わたしと遊んでください😭

それまでは、コーヒーとケーキで日々を乗り越えますので!



改めまして

生前のご厚誼に心より御礼申し上げます。


母は強し。

母娘で大っ好きなダウントンアビーのお城とロンドンの公園にて。二枚目白く飛ばしといたから、おこんないでね。