とても久しぶりの更新が、このような内容ですみません。
ツイッターやFacebookに書くには、ちょっとパーソナルで長すぎるので、
気が向いた方だけ、そっとお読みいただければと思い、久しぶりにブログを書いております。
2019年6月16日、かねてより病気療養中でした父が亡くなりました。79歳でした。
生前のご厚誼を深謝し、謹んでご通知申し上げます。
その日は、父の日でした。
そんな静かな主張しなくてもいいじゃん!忘れないから!と、思わず苦笑した娘です。
3年前に手術した癌の再発でした。再発が分かってからも、割と元気で、治療を受けながら、普通の生活をしていたのですが、
今年の3月末から体調が優れず、4月に入院してから、おうちに戻ることはありませんでした。
でも、父は最後まであきらめることなく、「体力が回復したらまた治療を受けて治す」と気丈に、病と闘いました。
主治医の先生も、その気持ちを汲んで下さり、いろいろな治療を施してくださいました。
そして父は、「痛い」と口にすることは多少はあったけれど、泣き言は一切言いませんでした。
怖い、とか、もういやだ、とか、本当は思っていたかもしれない。
でも、言わなかった。
酒飲みで、頑固な父を「尊敬します」とか言ったことないけど(笑)
その姿は、本当に尊敬すべきものだったなぁ、と、今は思います。今はね(笑)
最後の二か月は、病院に行って顔を見せるぐらいしかできなかったけれど、
それでも、なんかこう、「家族共闘だぜ!」みたいな心持でした。
父はもちろん、母も、兄も、叔母も、そして私も、頑張ったよ。
ねぇ、お父さん。
とはいえ、父と可愛げのない娘の日々は、全然ドラマチックじゃなくて(笑)
父の手を握って「ありがとう……」とか、全然言わなかった(;・∀・)
毎日行ってやっていたことと言えば、足つぼマッサージ。もうね、私今、めちゃくちゃうまいです。足つぼ。
希望者居たらやってあげたいぐらいww
あと、父とは全く趣味が合わないので会話がないから、
知らない野球とか車とかの話題を、事前に新聞とかで勉強して、病院で話していました。
(でも、上原投手をバッターだと思ってたりして、バカにされた)
そんな感じだから、
たぶん、私が最後に父にかけた言葉は「んじゃ、あとでまたきまーす」だったと思います。
でも別に、それでいいなぁ、と思ってます。それが、私と父の関係っぽくて。
うん。ねぇ。すみません、こんな娘で。
そして先週、ドタバタしながら、家族葬も終え、遅まきながらも各方面へのご連絡をさせて頂き、
今更ながら、父がこれまでの人生で携わらせて頂いた方々の多さに、驚いていたりします。
私が知っていたのは、父としての姿だけで。
同級生だったり、上司だったり部下だったり、飲み友達だったり。
いろんな姿の父があるのだなぁと知り、すごく、嬉しい気持ちです。
本当に皆様、ありがとうございます。
ようやく、少しずつ日常を取り戻し。
まぁ、普通にご飯食べて仕事して、なんならお洋服買ったりして。
なんでもない一日を過ごしているようではありますが、
なんか急に、思い出して泣いたりはします。
まだね。(そりゃそうだ)
ふと、歩いている時とか、買い物の最中とか。
さっきも、爪切ってる最中に突然こみあげてしまい。
女優さんのように美しい泣き方ならいいんだけど、
私の涙はたいてい、鼻水フライング型なので、
できるだけ人前は避けたいです(笑)
自分の泣きタイミングがつかめなくて、しばらく苦労しそう(;'∀')
それから。大切なことを一つ。
母も少し体調崩していたりで、ここのところずーっとワタワタしていまして。
周りの方には、ご迷惑をお掛けしっぱなしでおります。
それでも、本当に、本当になんか、驚くほど、皆様が心優しく、
温かく接して下さり、お力を貸してくださっていること、
心から、感謝申し上げます。
そんなに優しくされたら、ほれちゃうぞ!って方が多すぎて、
なんなら恋多き女になりそうです。
たぶんなりませんけど。(なったらいい?)
と、ついふざけがちな私ですが、
本当に、皆さま、ありがとうございます。
皆様がいてくださるから、こうして今、立っていられます。
さて。
そんなわけで、そろそろ差し迫った締め切りやら、溜め込んだ家事やらと、戦わねばなりません。
父の強さをちょっとでも見習って
泣き言言わずに、日々を強く過ごしていこうと思います。
たまに、まだ泣くけどね。
ではお父さん、また会う日まで。
お疲れ様でした!!
父の日の前日、病室に届けたお花。