前回の続きです。
☆辻褄が合わない夫と、娘の諦めない心。
私は、自分の発作の事を
脳腫瘍からくるてんかん発作
のみだと思っていました。
確かに脳腫瘍があり、その大きさからてんかん発作だと思います。
しかし、同時にパニック障害であったと思いました。
離婚したお友達にパニック障害で発作が出た時の事を聞きました。
「口角が勝手に上がり下がりして、自分で抑える事が出来なくなり、息が出来なくなり意識を失いそうになった。
救急車を自分で呼ぶ為に、携帯を持っていたがうまく力が入らなかった。
そんな事が何度も、何度もあった。」
その発作は、私と同じ。
私も発作は、
頭の中がパニックになり、情報がごちゃごちゃになります。
まずは、右手の痺れから始まり、顔の右半分が痺れます。
そして、口角が勝手に上下し始め、それがどんどん大きくなっていき、痺れが喉まで到達した時、息が出来なくなります。
そして、酸素不足になり意識を失います。
しかし、意識を失っても、10分程で目が覚めます。
発作が終わると、意識を失っていても息が出来る様になる様です。
喉まで達しなければ、意識を失わずに過ごせ、
また、息が止まっている間をしのげば、倒れる事がありません。
主人と別居して、一年半以上経ちました。
最初は、しんどくて、外に出る事が怖くて、
不安で出来ませんでした。
予想外の事が起こる事に耐えれず、
「また発作が出てしまったら…」という思いが常にありました。
子供達がいるので、一緒に行って「大丈夫」という事を身体や頭に入れるリハビリの様なものをしていました。
新しい場所はいけず、また人が多い所も行けませんでした。
幸いコロナの時期だったので、お店はすいており、
知っている場所への外出が出来る様になり、
その次は知らない場所へ行く、という事をしていました。
引越し当初は、起き上がる事も出来ず、一日中寝ていました。
主人からのメールに怯え、頭がパニックになるので、
携帯やPCも見る事が出来なくなっていました。
私は療養に専念したいから、とメッセージを送り、
納得して貰えました。
その間はブログもお休みさせて頂きました。
主人に会わなくなり、心も安定し、
だんだん回復してきた時、
発作は、主人からくるストレスが大半だったのだと分かりました。
ストレスがかかる場面(病院等)では、やはり不安で不安で仕方なくなりますが、発作で倒れる事はなくなりました。
ここまでくるのに、一年半。
本当に大変な道のりでした。
しかし、子供達がいてくれたから、外にも連れて行かなくてはいけない事もあり、強制リハビリで回復出来たと思います。
そこでやっと主人と話せる様になりました。
しかし、私が主人をのけものにして、
子供達に会わせない様にしてた、
としか思っていないので、
「一年半も会わせて貰えなかった!」
と、言われました。
私は震えながら、
「私は療養していて、やっとここまで元気になったから、話せる様になった。」
と、精一杯の声で言いました。
それなのに、「元気になってよかった」なんて言われるはずもなく、
「手術しろ」
「検査もうしたん?」
「検査結果よくても、ダメなものはダメ。」
「久しぶりに電話かけてきたと思ったら、急にここの学校行きたい!とか言われても、考える時間くれへんの?」
「俺を責める様な言い方するな!」
「俺は家族皆で幸せに過ごしたいだけ。」
と、責めたてられました。
「息子が自分の習い事を辞めてまで、お姉ちゃんを行かせてあげて欲しい」
と言った事に対して、私は息子をよく言った!と感動して抱きしてたのに、主人は、
「自分の人生どう思ってるの?」
って…それは、こちらの台詞なんですけど…
と思いつつ、私が、
「息子は習い事凄く頑張ってて、先生からも評価されており、続けさせてあげて欲しい」
と言っても、
「0か100かしかないんだったら、0でお願いします。」
と、怒りながら子供の前で言い放ちました。
全く話がかみ合いません。
私は過呼吸の症状が出て、息をするのが苦しくなり、
手の震えが出てしまいました。
今思うとこれがパニック障害だと思います。
息子は、それまで一人で朝6時に自分で目覚ましをかけて起床。
塾の宿題、問題集、そろばんや他の習い事の練習をしてから学校へ行っていました。
しかし、その一言でやる気をなくしてしまい、出来なくなり、
今は心も荒れてしまいました…。
娘も、頑張っているのですが、やはり「諦め」なければいけないかもしれない、と思うと、勉強していてもムラが出てきています。
子供達の心のケアがとても大変です。
ケアしても、壊す人がいるから…。
娘は、
「お父さんとは会いたいと思うけど、
でも嫌な事を言われると思うともう話したくない。」
と、言っています。
主人は、外ではいい人です。
ママ友にもニコニコ話しかけ、子供達と遊んであげます。
また仕事も出来ます。
部署の内線番号は、ほぼ記憶しています。
会社では電話帳として、他の人から聞かれる様です。
ストレスが全くなく、鬱病の人が多発する部署で、
会社でストレス診断をすると、全くストレスなし、という驚異の結果をずっと出しています。
何故なら、嫌な事があってもすぐに忘れるのです。
寝たらなくなるそうです。
私生活では、男の人ですがこだわりがあり、
洗濯物はきっちり畳む人です。
うっかりしている事はよくあり、言われた事、
頼まれた事も忘れてしまう事がよくあります。
傘は常に忘れます。
コンビニのコピー機に、クレジットカードを忘れ、
喫茶店の机の上に、財布を忘れ、
引越しの時は、通帳、印鑑、パスポート等が入ったタンスをそのまま廃棄してしまった事もありました。
(後で業者さんが気付き、家まで持ってきて下さいました…)
そして、昔から人の心を読む事は出来ない人でした。
それで何度喧嘩、というか私が怒っても、
話し合いを避けて来ました。
寧ろ「お母さんと話してくる!」と電話をしたり、私を置いて実家へ行ったりします。
人と人の間に立つと、話をこじれさせます。
最近は、人が傷つく事を平気で言います。
一緒に喜んだり、悲しんだり、する事はありません。
辛い時に電話を掛けても、無言を貫かれました。
人の感情に寄り添う事はなく、お願いしても出来ません。
いつも私の好きなもの買って来た、と言って、
私の嫌いなものを買ってきます…。
食べ物から始まり、誕生日など、
びっくりするくらい見当違いなものを買ってくるので、
「もう買って来ないで下さい。」とお願いした位です。
すると、機嫌が悪くなり怒ってしまいました。
(一度ネックレスをアメリカで買ってきましたが、『God of child』というモチーフの大きなもの…。20代でした。)
最近は、怒りやすくなってきており、話すのも怖いのです。
しかし、マザコンでお母さんのいう事は絶対聞きます。
結婚する時も、手紙を書いていましたが、
「春は、お母さんに似ています。」
と、書いてあるのに気が付き、びっくりしました。
そして、引っ越す前は、私が育児、家事放棄していると、
実家、義実家の家族皆に言いふらしていました。
電話をかけてきて、泣きながら言ったそうです…。
「俺、〇〇会社やのに…。エリートサラリーマンやのに。」
私は主人の悪口を言った事はありませんし、特に家族には言う気もありませんでした。
私が悪いと思い込んでしまっていたから。。。
ご飯が食べれなくても、発作が出ても作っていましたが、
ある日ご飯を作る直前に発作が出てしまい、ご飯をお願いした時です。
「俺は、10年ご飯作ってないから、作れる訳ないやろ!」
と、激しく怒られました…。
10年前も作って貰っていないのですが、あまりにも怒っているので、目の前がぐらぐらしながらでも作りました。
今までは、すべて先回りして、忘れ物をチェックしたり、
こういう行動するから、こういう対策を、と考えてきました。
そして、何かあれば「自分が悪いから」と思っていました。
周りからは「優しい人、出来る人」と言われ続け、
誰にも相談出来ませんでした。
私が許せば、忘れれば、全て丸く収まってきました。
だから、それが正しいと思い込むようになりました。
そんな事をしているうちに、私は病気になってしまい、
耐える事も出来なくなってしまいました。
心が耐えれない時、病気になるんだと初めて知りました。
友達の話を聞いた時、
自分と主人の話に当てはまると思いました。
そこで診断をしてみました。
…続きます。
長くなってしまいました。
読んで下さり、ありがとうございます。
一年半前に書こうとしていたブログを掘り起こしてきて、
追記しました。
あの時は、書くだけでも発作が出る様な状態でした。
支えて下さって、本当にありがとうございます。
ブログが書けなくなった時、沢山のメッセージに支えられました。
お陰様で、ここまで回復出来たと思います。
本当にありがとうございます。
重曹とクエン酸水毎日飲み続けています。
安心安全に続けられて、美味しく有難いです。
ブログはこちら↓
☆重曹とクエン酸が神薬になる。
☆嬉しい報告!
飲みだしてから、お通じが毎日出ます!
と書かれている方もいらっしゃいました。
奇跡の桃、という名前の通り、
無農薬の桃は殆どありません。
去年この愛情込められ、育てられた桃を食べて、
あまりの美味しさに驚きました。
今年も農家さんを応援します!
そして有難く頂きます。
本物の野菜や食材が届きます。
とっても美味しいお豆腐や厚揚げ、
安心安全な卵やお肉も入っています!
(その時によって変わるみたいですので、届くのを楽しみにしていて下さい。)
素材が生き生きしていて美味しいと、
味付けは塩やお味噌、醤油等で十分だと感じます。