離婚を私の方から切り出して、それからお風呂に入って寝たのが、明け方5時。
次の日に、念のために夫に「覚えているか」と聞いたら、覚えていると。
いくつか齟齬がないかと、確認したいことを聞いて、ではあとは9月に話すということで、いったんこの件は保留状態になりました。
夫の手
夫の返答はまだ明確になっていません。
ひとまず試験が終わってから話をしようというところで止まりましたし。
ただ、離婚という法的な形をとらないまでも、今は単身赴任なわけで、離婚にしなければここに住んでいられるでしょ、と提案してきています。
とりあえずお気持ちはありがたいとして、ここは正式に綺麗にした方が私としてはすっきりしていいんじゃないかということは伝えました。
で、ここで話し合えばまたごたつくから、この先は試験後ということろです。
でもなぜ、この試験まで30日を切った直前期に、勉強をやめてほしいという言葉出たのか。
なぜ今なのか。
本人もタイミングが悪いことはわかっているでしょうし。
いや、でも夫には直前期はそれほど重要ではなかったということも考えられます。
または、今この時期はまだ夫にとっては直前期ではないのかもしれません。
私にとっての直前期は数ヶ月前で月単位ですが、夫は、試験の数日前で1週間前ぐらいの感覚なんだろうなというのは、以前から感じていました。
だから、このタイミングで、酒の勢いもあったんでしょうけれど言ったのだろうと。
それに唐突に言ったことを申し訳なく思っていれば、タイミングは悪かったとかそういう謝りの一言は出るはずの人が、一切何も言ってこないのだから、タイミングが悪かったとは思っていないのかもしれません。
私には最悪のタイミングですが。
でももし、勉強をやめろのタイミングが違って、たとえばもっと早い時期なら、もしかしたら私も「わかった、やめる」となった可能性もあったかもしれませんが、少なくともこの私の気持ちが固く向かっている試験直前期にやめろと言われても、やめるねとは言えません。
そしてまた、話してる中でいろんな事情が背景に見えてきたことで、私の中で「私たちはもうここまでかな」と思えてしまったというのも、タイミングだけが原因じゃないのかもしれません。
夫のことは今も変わらず好きです。
夫も私のことを好きでいてくれているのはわかります。
もちろん、もう男女の愛とは違う、家族の愛になってはいますが、お互いに嫌いな相手ではないことは確かに言えると思います。
一緒に暮らしていて居心地はいいです。
だから結婚相手として選んだわけですが。
ただ、私の中で「家族としてはここまで」と思ってしまいました。
たとえば・・・
私は、結婚する時にその時していた仕事、公文の教室を手放していますが、それは夫と家族になるためには必要なことだと思って、事業を譲渡すると決めました。
それまで育ててきた子どもやスタッフがかたちになってきて、大きな成果を収穫する目の前の時期になっていました。
個人事業主として、成果を出すための積み上げを時間をかけて続けてきて、その実が目の前で花咲こうとするところで手放すのは、とてつもなく大きな決断をしました。
ただ、その時も思ったのですが、夫はそのことに気づかず、私を見ていてもあまり感慨もなかったようで、普通にサラリーマンが退職するのと同じような感覚で私の話を聞いていました。
何か感慨深いものがあると思わない?、いや別に、という反応でした。
でも私にとっては、仕事か家族かという選択で、夫と家族になることを選んだわけです。
家族というのは、私にとってはそういうもので、自分中心で決めるのではなく、家族のために決める物事がある、と思ってきました。
そういう価値観をもつ私に、夫から「勉強をやめてくれ」と言われたわけです。
だから、これまでの私の価値基準からいけば、「わかったやめるね」だったと思います。
でもその瞬間、即座にNOという言葉が自分の中に出てきました。
これはもう、夫のために会計士の勉強をやめますという決断は、自分の中にはないのだなということに、気づいてしまったからです。
夫や家族のために何かをやめる自分は、もういいかな・・・そう思ったのは、次の質問をした時に、その時の夫を見て、もういいかなと思ったというのもあります。
前回の記事で離婚の話をした時、私が夫に「私を支えてほしいのだけど、その気持ちはある?」と聞いたと前回書きました。
夫からはきょとんとした顔をして考え込まれてしまいました。
別に私のことは嫌いじゃないし、むしろ好きなんだろうと感じるけど、でも私を支えるという感覚が夫の中には無だったようで、一生懸命に頭の中で言葉を探していました。
それを見た瞬間、家族のために自分が何かをやめたり捨てたりする必要はないかなと思ってしまいました。
離婚を決めたいくつかの理由の中の一つでもあります。
これはシンプルに居心地の良い同居人。
そしてまた私は最大の友達にこそなれど、夫にとって私は絶対的に必要な存在ではないことにも気づいてしまいましたし。
私は、夫の手と匂いが大好きです。
ただ隣にいるだけで、私は幸せになれます。
縁側でのんびりと老後を過ごせるなと今も思います。
でもここ数年、夫の手は私のところにこなくなりました。
別に誰か外に見知らぬ女性がいたという感じもありません。
そんな時間的資金的余裕はないのは知っています。
ただ私たち夫婦は、縁側でお茶を飲む相手ではあるものの、触れ合いもなく黙ってお茶を飲むだけの最高の関係になるには、まだそこに辿り着くには早すぎたなと思います。
あともう数十年は、手を伸ばしてふれあう仲であってもよかったのかなと思うのです。
たとえ性的な関係はなくとも、夫が私の頬を撫でてくれるぐらいの。
隣にいるだけで幸せですし、いてくれるだけでいいって本気で思います。
よく夫にはそう言ってきました。
が、でも、夫の手が私の頭を撫でてくれなくなったのは、少し寂しく思っていました。
結局、離婚でお願いしますと言った瞬間、夫の手がなくなって自分が寂しさを感じていたことにも気づいてしまいましたし、そして、自分がもっと外に出ていきたい人間だったことを思い出してしまったんです。
もう彼の手が私に触れてこないならば、私はここから離れてもいいんじゃないの。
夫の男のプライド
私はある時から、自分の人生に夫を巻き込むことを決めたのを覚えています。
私が夫の人生について寄り添うのではなく。
会計士の試験に受かるということは、夫が、私の仕事人生に寄り添ったり巻き込まれたりする側になることを意味しています。
もちろん、別々にお互いが仕事をそれぞれ両立させていくことも考えられますが、私より10歳年上の夫の年齢的なものを考えると、私の仕事に晩年は巻き込まれる確率は高くなっていきます。
私もそのことは何度か「大丈夫?」と聞いていました。
私がバリバリ仕事が忙しくて家事を頼むことも増えると思うよ、とか。
私が独立して事務所を開いた時に、一緒に開業して仕事をすることもできるよ、とか。
でもたぶん、それが夫には感覚的に受け入れられなかったんだと思います。
やっぱり夫は家事を手伝ってくれるいい夫ではあるものの、夫自身が根っからの大黒柱でいたい人間なのかもしれません。
私と対等になるのも、私の独立開業のもとで雇われるのも、本音は嫌だった。
喧嘩の原因も、ここ数ヶ月のすれ違いも・・・
夫が私から頼まれごとをされるたびに不機嫌な顔をし、無言の反発をいろいろとしていたのも、夫の本音として、自分の存在が脅かされるような気がしていたのかもしれません。
夫の無言の反発だったと思うのです。
私が試験と勉強に本格的にのめり込み始めた今年になって、顕著に、いろんなことを拒否して反発するようになっていったのも、何かに逆毛をたてて怒っているようでもありました。
といっても私の推測ですが。
念のため書きますが、夫は普通に良い男の人なので、夫が悪いわけではありません。
普通に家庭を大切にする献身的な奥さんが、夫には合っているんだと思います。
頼めば家事も手伝ってくれますし。
言わなければ動かないまでも、頼めば着実にいい仕事をしてくれます。
単に、受験勉強をする妻というものが受け入れられなかっただけ。
本人も実際にそう言っています。
私が「家事をしてくれる夫もいる」と言って夫に家事をお願いし始めた時、夫はそのことがすごく嫌だったと言ってきました。
私が夫に家事をお願いするようになった頃、夫には家事を手伝う時間がありました。(昔はハードワーカーで出張が週5にあって平日は不在みたいな時代もありましたが、当時はもう落ち着いた管理職だったので定時で家に帰ってきていました。)
でも、余裕があるけれども、とはいえ妻の受験勉強のために家事をするという感覚がわからなかったし、私から家事を頼まれるのが苦痛だったと言ったのです。
家事を手伝うのが嫌なのではなくて、家事がしたくないわけではなくて、妻から家事を頼まれ、妻が勉強をしているのを見ているのが嫌だった・・・みたいなことを言っていました。
まあ、ここが肝なんでしょうね。
夫の感覚として受け入れ難かった。
そこが一番の根幹であり、無理があったところなんですよね。
私も夫がいいよと言ってくれたので、本当にいいよだと思ってしまった。
ずれ
夫は「ず~っと我慢してきている」というのです。
受験生ではないのに、こうして日々我慢を強いられる今の生活は苦痛でしかないと。
私もため息を隠しながら「そうですよね」としか言えなくなっていました。
ものすごいギャップがあるなと。
夫にしてみれば、もう十分にずっと我慢してるのに試験には受からないし、受かる証明が示せないのに、さらにまだ直前期にこれ以上我慢するのは辛いと言われてしまいました。
とはいえまず大前提として、何から何まで、夫の言い分は悪くないと私は思っています。
問題は、私がいつまでたっても合格できないこと。
なぜ合格できないかを説明できないこと。
普通ならそこ、当然にそう思いますよね。
受験生をしている自分にとってみれば、私より遥かに我慢と忍耐とものすごい努力で勉強をしている人を他にたくさん見ているので、自分の我慢なんて米粒みたいなものだと思っています。
でもそれは受験生だからそう思うのであって、普通の人が同じように伴走させられて我慢を強いられる日々を日常にさせられるのは、苦痛なのは当然です。
しかも、いつ合格できるのかわからない終わりの見えない中で、日々我慢を強いられるのです。
それは、確かに堪忍袋の緒が切れても仕方のないことです。
分かれ道なのかもしれません。
ひとまず時間を空けて、冷静に状況を考えたいと思います。
ただ、いまのところは、離婚をすることが未来に向けての最適解だと私は思っています。