夫の義実家を売却する話です。
否、夫の家を売却する話です。
結婚前に建てた家=義実家
前のブログにも書きましたが、売ろうとしている家は、夫の家です。
夫が独身の時に、家を建てました。
夫のお母様は、ほぼ女手一つで子どもを育てながら仕事をしてきており、夫が大学院を卒業して会社に勤め始めたところで、お母様はご自身のお仕事はやめられました。
そして、夫が働き始めて数年のところでローンが組めるようになるタイミングで、家を建てる話を出して、土地を買い、自分の思う設計とデザインで家を建てました。
大きさとすれば、二世帯には少し小さいけれど、2階は子ども家族が住める3部屋と、1階には夫のお母様が居られる6畳二間という、1.5世帯ぐらいの家です。
所有者もローンも夫名義のものです。
30代独身で一軒家のローンを組みました。
夫のお母様にしてみれば、「さあこれでいつでもお嫁さんを迎えられるわ」といった感じだったのかもしれませんね。
でも夫は40過ぎるまで結婚はしませんでした。
結婚する前に家を建てると結婚が遠のく、とはよく言ったものです。
私は夫が40を過ぎてから出会っており、結婚の話が出てから初めて家のことを知りましたが、もう持ち家があるということに、まあ、それなりに複雑な気持ちになりました。
もともとマイホームなどには夢を抱いていないタイプでしたが、心のどこかで、「自分の思う家を建てることは無いってことになるな」とがっかりはしました。
私の周りの反応も、「家があるって安心だね」という人もいれば、「自分のイメージで家を建てられないしローンもあるしで大変だね」という人もいました。
まあ、私が結婚するのは家ではなくて目の前の男性なわけで、しょうがないか、夢は見ないようにしようと頭の中のキラキライメージをシャットアウトして割り切ることにしました。
でも、そうやって結婚の話を進めていく中で、夫に北陸への異動の辞令がでました。
この時から、つまり結婚式を終えてすぐに、夫の家に住むこともなく、赴任先である北陸の地での新婚生活が始まりました。
しかもその時期、夫のお金の管理(ローン返済やら預貯金やら保険やらの管理)をしていた夫のお母様とのやりとりで失敗をして、夫のお母様のご機嫌をそこねてしまい、夫の家を出禁になってしまいました。
夫のお母様は、一旦好きとなれば一生の友、一度嫌いとなれば延々と嫌いであり続けるタイプで、それは日頃の会話からよく伝わってきていたので、「ああもうこの家には入れないな」と覚悟をしたのを覚えています。
土下座もしましたけれどね。
私自身は悪いことは何もしていませんでしたが、何もかもが私のせいになっていたので(夫の借金も私の借金だろうと言い切ってましたし)、最後の手段として土下座をしたんですが。
ダメでした。
夫の理解
でも夫はこの土下座を機に、「もう行かなくていいよ」と。
ほぼ嫁などなかったぐらいの状態になりましたが、それでよかったと思えます。
実は、夫には借金があって。
ものすごく多額ではないものの、まあまあ飲み歩いて作った借金がありました。
しかも夫のお母様は「放っておいて問題ない」と言っていた、夫が20代の頃の夫名義の借入も、放置していたことで100万の元本が複利で数百万にふくらんでいるのを私が見つけましたし。
家のローンも「借り換えは手数料で損するだけ」と夫のお母様が言って全て書類をがっちり手放そうとしませんでした。
そういった書類関係を全部、夫の手元に移したので、それが出禁の嫁のきっかけになったわけですけれど、私(たち)からすれば夫婦としての土台と将来を左右するものばかりです。
家のローンは借換えをしてボーナスの返済はゼロにできたし、複利で膨らんだ借入金も夫の保険商品を1つ解約して補填したし、夫の飲みの借金数百万は私の預貯金で返済しました。
私の預貯金はそれでゼロになってしまったけれど。
てことで、新婚生活で夫の借金は清算したものの預貯金ゼロでスタート。
とりあえず夫と離婚しなかった自分は偉いということで私は自分を納得させました。
代償として「借金の嫁」からの「出禁の嫁」が爆誕したわけですが。
夫の借金は、「本当は全部あの子の借金なんだろ」と言い出す始末でしたし。
夫の借金やいろんな借入を清算するために動いたことも、私がお金目当てに操作していると言われましたし。
最後に「出禁の嫁」状態になりましたが、そこは夫が全てをのみこんで、良い形で私が夫のお母様と一切関わらずにすむようにしてくれました。
併せて、夫にはお姉様がお二人おり、お二方ともお母様の「借金の嫁」「金目当ての嫁」というお母様の言葉すべてを鵜呑みにして私も一旦は非難されましたが、それも夫が全部引き受けてくれました。
いや、よく考えれば、引き受けてくれないと困りますが。
金目当ての嫁??
私も夫も、それぞれ「知り合いのおばさま」を通じて紹介で出会いました。
お見合いってほどではないけれど、いちおう身上書を交わしていました。
その身上書はWordで作られていた(あとで聞いたら夫が作った)書類でしたが、そこに一筆、年収が手書きで書かれていたんですよね。
夫は書いた覚えはないと言い、その額は、夫がまだ管理職になる前の残業をバリバリにしていた時期に、一瞬だけそこに近づきそうになった額でした。
とはいえその翌年から管理職になって、ガクッと年収は落ち、しかもその書かれた額には結婚してからも一度も届いていませんし近づいてもいません。
夫も「なぜあの額が書かれたのかわからん」という額ですが、おそらく夫のお母様の頭の中では、あの額が息子の年収だと思っていることが想像できました。
その辺りの状況が見えてきて、なぜ自分が「金目当ての嫁」と言われるようになったのか、ようやく想像できました。
夫の「家や預貯金や年金をねらっている」だそうです。
いやいや、私たちの結婚式だって、夫はご祝儀分しか出していないし(というか出すための振る袖がなかったため)、足りない分の結婚式のお金は全部私が出してますから。
「あんなに派手なドレスを選んで、しかもそのドレス代だってうちの息子が出してやっているのに!」って、どこからそんな話になったのか不思議で仕方なかったです。
いちいち反論していたら、とんでもないことまでも全部私のせいになっている気がして、聞かない方がよい気がして、途中から夫に近況や細かい内容は聞かないようになりました。
さらに夫には「もう、ドレス代も結婚式の不足分も出しているっていうのも含め、一切なにも反論せず、何も言わなくていい」と釘を刺しました。
そんなことを言っても、「そうだったのね、私が勘違いしていたわ」とは世の中がひっくり返っても思ってもらえなさそうだなと気づきました。
その家は誰の家か
今のところ、我が家は2LDKの社宅で(一部自己負担)、その他には夫が単身赴任したので九州のアパート代、そして夫のお母様が住んでいる家のローンと、住居費がおそろしい額です。
しかも、夫のお母様が独りで生活できなくなったためホームに入居することになり、今ではそのホームの費用もお母様の年金では全く足りていないため預貯金を取り崩すことに。
夫のお母様は「家は息子が定年で帰ってくるまで私が守るんだ」と以前からよく言っていましたが、その前に私たち家族が破綻するのは間違いない現実です。
ということで、家を売却します。
もういいよね・・・。
夫の家は夫の物なので、私は一切口を出さないようにしてきました。
家が欲しかったら自分で建てればいい。
でも、自分で建てるだけの器量が自分にはないのだから、そこは文句言う立場にないと。
それに・・・
正直本音を言うと・・・
夫の家は夫の名義であっても、「夫のお母様の家」としか思えないんですよね。
夫も自分の家にすごい執着を持って建てたわけでもないですし。
家を建てる土地も夫のお母様が見つけてきて、設計もデザインも全部夫のお母様が決めた家だから、途中から「好きにすればいい」となったと言います。
とても考えられた設計で、施工業者も地元では有名な丁寧な仕事をする会社が作った家ですし、家の使い方も汚れがほとんどなく綺麗に住んでいます。
でも、夫の家というよりは「お母様の家だなぁ〜」って度々思ってました。
あそこは私たち家族が帰る家ではないってことです。
夫も気づいた頃には「定年後にあの家に帰るつもりはない」となっていました。
私たちは、充分、お母様のために多くを費やしてきていると思います。
入居してもらっているホームも、すごく高いわけでもないけれど安くもない、新しくて清潔感のある日当たりの良いホームを探しました。
ご飯はまずいって夫のお母様は言いますが、お母様は本当に料理が上手なので口に合わないのも仕方ないです。(私はお母様の作るえのきの味噌汁が驚くほど美味しくて大好きです。)
ヘルパーさんが気に入らない、隣の人がいじわるしてくる、いろいろありますが、不平不満が言えるだけ元気になれた証拠だと思っています。
それに、独居とはいえ、自分がもうあの家で暮らすことはできないことの悔しさと、あの家を守ってきたというプライドもあるのでしょう。
不満もその裏返しなのだろうと、聞いて、聞き流しています。
でも、もう、夫もお母様には充分にできることをしてきたと思います。
私も気にしないという方法でこの状況に合わせてきました。
なによりも、私たちの老後のお金は全くありません。
娘の教育資金だって積み立てられていません。
なので、そろそろ、解放されてもいいですよね。
家の中のものを片付ける
土日の週末に、夫の家に行って家のものを片付けてきました。
残しておく物を分別するためです。
夫のお母様の洋服、家族の写真などの思い出の品、お仏壇の中のもの。
それらは私たちの家の近くにトランクルームを借りて、置いておくつもりです。
そういえば、何やら大きな壺が2つありました。
もしかしたら、壺といえばそういう壺なのかもしれません。
他には、和裁の得意な方だったので(今はリウマチで指が痛くて和裁も洋裁もミシンもできません)、大量の布と端切れと糸がボタンが出てきました。
外出の洋服はほぼご自身で縫って作っいていたので、セットアップがたくさんありました。
とても仕事が丁寧で、交友関係もとても広い方なんです。
そういうところは素直に尊敬していました。
ただ、家の中の家財道具は、家の大きさに反してそれほど多くはありません。
最初は質素倹約家かと思いましたが、どうやら、家を建てたあとは家の中のものをそろえる資金はなかったみたいで、夫も家財道具には興味がなく、ソファや大きな家具はありません。
テレビも一人暮らしサイズが1台。
いつもアンバランスな家だと感じていましたが、片付ける段になってあらためて思いました。
見て見える外側が重要な人なのかもしれません。
お墓もがんばって買ったそうですが、土台はあっても、墓石の塔の部分がありません。
そこまで手が回らなかったそうです。
女手一つで戦後によく子どもを育て上げたと本当に尊敬していますが、家だけが大きいことに、いつも随所で違和感は感じていました。
嫌味に聞こえるかもしれませんが、私にはない感覚だなぁと思っていました。
そうは言っても、私はよそ様ですし。
当のお母様は、息子が海外に赴任していたことは喜ばしく誇らしげだったようですし、良い年収で良い立場で仕事ができている、立派な息子だと自負していますから。
人の価値観など、自分の物差しではかることはできないなと思います。
お母様の中で満足している思いがあるのならば、それでよしとしましょうと。
夫も、お母様の中のプライドを、あえて本当の現実を見せて傷つけるつもりもないですし、私もわざわざ怒りをぶつけるような気もありません。
わたしは・・・自分の満足のために、自分のための自分の人生を歩まねば。
自分の行きたいところには、自分の足で行く。
誰がどうとか、誰かからどうされたからとか、そういうのはいらない。
って、思っていてもね〜!
久しぶりに夫の家に行って、いろいろ片付けている間に、いろんな思いが出てきました。
思い出した感情、振り返ってみて少し変化していた感情、いろいろ。
大切な物は夫に片付けてもらって、自分は余計なものには手は出さずに、雑事を片付けていたつもりでも、やっぱり感化されちゃいました。
逆に、夫の方がサバサバと片付けていたぐらい。
私も合わせてサラッとしていたつもりだけど、自分の家に帰ってきたら疲れが出ました。
さてと。
ここで言葉を使って想いを降ろしたので。
自分のペースに戻ります。
* また再来週も二人で片付けに行くのですが、その時は乱されないようにしたいです
戻れ、戻れ。