昨年の5月短答が終わった後、自分はどうしていたのだろうか。
17年5月…あぁ、ちょうど主人が一時帰国していたんだった。
試験日当日も主人が娘と遊んでいてくれて、終わったあとも、二人で最寄り駅にお迎えに来てくれ、その晩は主人と一杯飲みながら積もる話をしたんだった。
そして私は、ふわっと…もう一年チャレンジすると決めてしまった。
5月の出来の悪さは、試験のせいにして。
主人もそれを理解してくれて、だからふわっと決断したのだった。
資金繰りの悩みも、のちのち解決したし。
いつも思っていたのだが、短答の落ちた翌日は、実は
想像以上に…けっこう清々しい
キリキリと自分を追い込んでいた前日とはうってかわって、急に翌朝から気持ちが軽くなる。
それは往々にして、ボーダーにかすりもしなかった証拠なのだが。
そして特に5月は、「また来年もチャレンジしよう」と決めた瞬間から、まるで新しい切符でも手に入れたかのような、明るい気持ちになる。
そこには、黙々と勉強して、合格している自分を妄想して。
1ヶ月前までは「このままでは受からない」という重苦しいストレスがのしかかっていたのが、嘘のように、全部がひっくり返る。
今度は、「受かるための1年間」という新しい切符を手にするのだ。
でも今年は、簡単に切符を手にするかを迷っている。
それはキラキラしたものではなく、「お前は覚悟が出来ているのか」という試練に、絶対的に対峙している自分ではなくてはいけないから。
今までの自分は、犠牲を払っているようで、はらっていなかった。
娘も家も夫も犠牲にするつもりはないけれど…
自分を犠牲にする覚悟がなかったし、実際に、自分を犠牲にしてでも勉強を続けたわけでもなかった。
絶対に、切り替える。
18年はその決意がなかったから、家のごたごたが起きた時に、簡単に転んでしまったんだと思う。
今年の5月は、そばに夫はいないし、一時帰国まで2週間の時間が空いてしまっているので、それはちょうど自分への時間になっている。
新しい切符の行き先はどこか。
来週までじっくりじっくり自分に問うて、自分を試す。
今の強い気持ちなら続けられると思う瞬間もあれば、いやいやこの程度ではまた家のことで気をとられて折れてしまうだろうとか。
今も勉強できていなかったら、決めた後も勉強できないだろ…とか。
うん、勉強しよう。
まずはやっぱり、勉強しながら悩もう。
※タイトル見て、ついに決めたのか!と思って読み始めた方…
相変わらずのもやもやで、「ごめんなさい」です。