アクセルを踏む | 子育てしながら◆公認会計士試験◆

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前回の記事では、長い長い話にお付き合いくださり、

本当にありがとうございます。

 

思った以上のアクセスがあり、若干、悩んでいます。

このままオープンでいいのか。

 

特定の企業名も含まれていますし、実際、自分が公認会計士の受験生であるという意識があったので、合格した時のことを考え、こういったことは書かない方がいいと思っていました。

 

会計士の倫理観としては、言ってはいけないことがズラリですプンプン

 

なので、今は会計士でも何でもありませんが、期間限定にして一週間ほど…つまり、主人の一時帰国の後に私の受験についても話をするので、その後でクローズドとします。

 

 

 

あらためて自分でも読み返しました。

 

青臭いなぁと思いました。

 

青臭い正義感が見えますし、突拍子もなく、なにを一人でほざいているのかと思っています。

 

歳を重ねると、やってやれることと、青臭いことはくっきりと別物に見えてくるので、こういった青臭い気持ちになることは、これから歳を重ねるほど、あまり考えなくなるものだと思います。

 

20代の頃は、自分の見聞きする組織はどこも歪んでいたり腐っていたりして、大人の世界は世知辛いなあと思うことばかりで、未来に希望をなかなか持つことが出来なくなっていました。

 

たぶん、どんなに大義名分に立派な組織でも、どこか必ずひずみは存在していると、それは今でも思います。

 

かといって、それをピーチクパーチク批判するのも性に合いません。

 

嫌だなと思うのならば、黙って小さな歯車なりにあがくか、潔くその場を離れるかのどちらかです。

 

ですから、私は結婚という契機に、フランチャイズ契約から離れました。

 

離れたので、もうそこに正義感を振りかざす必要もなくなりましたし、青臭く、何かを変える力が自分にあるかないか、自らにその器量が備わっているかと言えば、そのようなものはないことも、知っています。

 

自分にそのような力がないのに、関わろうとするのは愚かです。

 

でも…なんでしょう。

 

でも、私はこういう気持ちこそ、ずっと保ち続けたいと思うのです。

 

なにか大きな刀を持って、バッサリ切るのではなく、自分が今までに得て身につけてきた知識を力にして、一つ一つ解決の道を見つけるという作業は、年齢や経験を身につけた者こそができることかと。

 

何もできないかもしれないけれど、何か少しでも貢献し、変わる原動力になればという気持ちは、歳とともに丸くなったとしても、持ち続けたいものだと思うようになってきました。特に最近。

 

 

それに、この業界(このビジネス)はもっと良くなるべきです。

 

小さな資本で、地元地域に貢献できる事業を考えた時に、フランチャイズ契約は切っても切れないです。

 

関わる人が小さな単位なので、なおさら守るべきところだと思います。

 

なにも攻撃的に改革を声高に叫ぶのではなく、一つ一つ歪みや不均衡なところを改善するだけで、だいぶ変わると思うんですよね。

 

そういう気持ちで、前回の記事を書きました。

 

 

 

 

実は今、私は積極的に気持ちのアクセルを踏むようにしています。

 

というのも、あるWeb上の記事で、羽生善治さんの話を読んだのがきっかけで、これがものすごく私の心を射たので、ちょっと最後にもう少しそのことを書きます。

 

 

 

昨年は母の躁鬱で自分が振り回され、自分が疲れ切ってしまったあと、完全に勉強が止まったことは、何度か書きましたが、その後も、復活と言いながらも、気持ちが動かなくて、毎日1~2時間の勉強がやっとという日が続いていました。

 

「もう自分の気持ちはアガらないのかも」

 

20代の頃は、自分でも猪突猛進タイプだと思っていたのに、今は何をしても気持ちがあがらなくて、苦しんでいました。

 

そういう中で、守るべきものを守ろうという気持ちがどんどん強くなって、最後は「家族優先」「娘優先」と言い切るまでに。

 

それは、私の母親・妻としての当然の責務ですが、それで「会計士受験が合格できるほど甘い世界なんだろうか」とも思っていました。

 

 

 

そんな時に出会ったのが、羽生善治さんの言葉です。

 

クルマでいえば、「意識的に少しアクセルを強めに踏む」ようにリスクをとるように心がけています。経験を積むと、どんな局面でも「これさえやっておけば、無難に収まる」といったやり方を人は自然に覚えていきます。それを避けるために、少し思い切ったことをやるのです。ベテランは黙っていても無意識にブレーキを踏みますから、少しアクセルを強めに踏んだとしても、結果的にちょうどいいくらいのリスクをとっているといえるのです。

 

 

 

心にずしんと響きました。

 

それで少し調べてみると、羽生さんはいろいろな取材で、似たような同じようなことを何回も繰り返して話していることに気づきました。

 

チャンスを掴むときというのは若さの勢いというのがけっこう大事で、ときには危ない橋を渡ることも必要です。

一方で、将棋ではピンチをしのがなければならないときもあります。ピンチをしのぐときというのは、それまで積み重ねてきた経験が問われることが多いと考えています。

ただし、ここが難しいところなのですが、経験が必ずしもプラスにはならないこともあるのです。多くのことを経験したからといって、過去のケースと今のケースが同一であるわけではないので、過去のやり方をそっくり真似てしまうと、無難なやり方を選んでしまうことになりかねません。そのあたりのバランスには気を付ける必要があります。

 

 

 

羽生善治さんは、戦術の達人です。

 

将棋の世界で、毎日毎日、ヒリヒリした勝負の空気の中で生きている人の言葉は、すごく重く響きました。

 

 

 

私に2018年に欠けていたことが、まさにこれだったと。

 

母や娘、家を守るということが重なって、私は自分の経験からそこに対応していくうちに、どんどんとブレーキを無意識に踏んでいました。

 

ハッとして後ろを振りかえった時には、自分がどうやって今まで受験生としての気持ちをキープしていたのか、分からなくなっていたんです。

 

 

そこの気づいたのが、5月に入ってすぐの頃。

 

なんとか止まっていたブレーキの足を離して、アクセルを心の中に探し回って、いろいろ吹かしてみて、短答まであがいていました。

 

 

 

たぶん、アクセルは見つけたと思います。

 

今、その火を自分の中で大切に観察しています。

 

本当に、この気持ちは「本物」なのか。

 

 

 

そうしていたら、土曜日の日に久しぶりに主人とSkypeで話し込む時間が出来たんですけれど、真っ先に

 

「覚悟」はできているの?

 

そう問われました。

 

 

まさに、私がずっと心の中で練っていた「覚悟」という言葉。

 

同じ言葉を使ってきたのでびっくりしました。

 

それに、何かを察しているようで、相変わらず怖い人です。

 

 

 

その日は、そのままだいぶ話し込みましたが、まだ結論は出していません。結論を出すには、まだ情報不足なので。

 

 

 

結論は、主人の一時帰国で。

 

それまでの間、私はもう少し、いや、もっともっと「覚悟」というものを自分に問うておかねばと思っています。

 

 

 

遅々として進まない話しです。

申し訳ございません。