いきなり
こんなタイトルで
ごめんなさい。
現在、妊娠中です。
第二子
気持ちとしては
第三子を妊娠しました。
今日はそんなお話を。
海外で...
妊娠して流産をして
また
妊娠した
お話しです。
苦手な方は
本当にごめんなさい。
ここで折り返してくださいね。
私自身
ハッピー
な
気持ちよりも
前回も
そして
この妊娠期間の事も含めて
辛い、不安、苦しい
と言う時間の事なので
どこまで書くべきか
悩んだ内容となります。
なので
ごちゃごちゃとした内容で
分かりにくいかもしれません。ごめんね。
しばらくしたら
非公開にしようと思っています。
お付き合いいただける方
は
読み進めていただけますと嬉しいで。
******
さかのぼる事
2023年の夏、妊娠しました。
でも
その時は
妊娠後期流産
で
お空に帰っていってしまった赤ちゃん。
その時の検診
よく覚えています。
海外でドキドキの病院。
ひとりで電車に揺られて
片道1時間半かけて通った場所。
何度目だったかな。
4回目かなぁ。5回目かなぁ。
先生は何て言っているのか
全く分からなかったけれど、、、
でも
先生の表情で
この後に出る言葉を何となく悟った日。
その後
私の肩を
優しく
ポンポンと叩かれた時
「あぁ、ダメだったのかぁ」
と思いました。
当たり前だけれど
見た目も全然違う人たちに囲まれ
言葉の通じる人は誰もいなくて...
ここで泣いちゃダメ、、、。
とにかく早く1人にならなきゃ。
って思って
「分かりました」
って
とても聞き分けのいい人を装ったけれど
でも
辛かったなぁ。
「よくあることだからね」
と励ましてもらった気がするけれど
私にとっては
初めてのことだし
「よくあること」
で終わらせちゃうのは辛い出来事。
当時
自分の気持ちを素直に書いたメモを読み返すと
生きて産まれなければ
全部全部なかったことにされちゃうのかな。
今、私のお腹のここにいるのになぁ。
それは、悲しいなぁ。
って
こんな事が
書いてありました。
その後
は
今後のおはなし。
どうやって赤ちゃんを
お腹からお外に出すか。
結果的に
自然に出てきてくれるのを待ちました。
私は
第一子を
緊急帝王切開で産んだので
ほんの少しだけ
心残りがありました。
日本で第一子が帝王切開だと
もう一生
経膣分娩ができないからね。
とても悲しい出来事ではあったけれど
その経験をさせていただけた事は
ありがたかったです。
※ちなみに
日本なら即手術らしい。
でもこちらでは手術はしないと。
手術はママの身体に大きな負担だから
薬or自然に出てきてくれるのを待ちます。
私は赤ちゃんが自分で出てくるのを待ちたいと話すと
私の気持ちに寄り添ってくれた先生達。
時間はかかったけれど
この選択ができた事に感謝。
そして
そんな出来事から1年
2024年9月に
3度目の妊娠発覚。
ちょうどね
夫から
「そろそろ、第二子を考えない?」
なんて話がでてね。
とても不思議なことに
私もまったく同じ日に
「第二子、今なら大丈夫かな?」
と
考えていたのです。
※さらに子どもの名前がいきなり降ってきたの😂
そんな
夫婦で話をしていた9月に
妊娠が分かりました。
現在、、、妊娠37週。
正直
娘の妊娠の時は
MFICUに2ヶ月入院してからの
2ヶ月も早い32週での出産。
子宮頸管無力症
と言われていたし
ここまで妊娠継続できると
思わなかった。
娘の時が
大変だったので
私は日本で産まなくてはいけない
と思っていたけれど
ヨーロッパと日本では
先生の考え方が
全く違って、、、。
日本では
私の場合は
ハイリスク妊婦扱いで
大学病院しか受け入れNG。
妊娠11週で手術をして
長期入院を経て
子宮破裂の可能性があるから
妊娠34週前後で帝王切開
と言われました。
でもね
ヨーロッパでは、、、
あなたが
笑って暮らしているのが
1番大切よ

マインドで、、、笑
手術も入院もせず
ここまできました。
まだ
何が正解なのか分からないけれど
今のところ
私は
この国の医療
に
救われています。
これは
今週
夫が企画してくれた
マザーズdayのディナー後のお散歩写真↑
1月から4月中旬までは
極力歩かない
お家で寝たきり生活をしていたので(自主的に)、、、
夫には
娘のスクール送迎からお世話などの育児全般
そして
お料理とお掃除の家事全般
全て頑張ってくれました。
感謝してもしきれないくらい
支えてもらってます
また
ヨーロッパでの
妊娠中のことも書きたいな。
良くも悪くも
日本とね全然ちがうの。笑
今は
帝王切開でも
2泊3日出産からの退院と言われ
とても怯えています。
無事に産まれてきてくれることを
祈るばかりです。
こんな最近の出来事でした。