筆者が、その人物の事を知ったのは、一枚の広告写真だった。SEIKOだったかCITIZENだったかは失念してしまったが、腕時計の宣伝広告だった。「この都会モノめ」と言う様なキャッチコピーが付けられていたと記憶している。少し斜めに構えた人物が、腕時計のバンドを咥え、口からぶら下げている図案だった。
その広告が印象に残ったのは、何よりもその人物の風貌に拠る所が大きかった。その写真では上半身しか写っていなかったが、逆三角形型のタキシードの様な物を身に着け、顔は白塗りで唇は黒く塗り、髪はあたかも月代を剃ったチョンマゲの様であった。
この時は、単に宣伝用に撮った白黒写真だと思っていた。後にこの人物写真が、実在のレコードジャケットのコラージュと知り、その人物が実際にその姿でパフォーマンスを行っていたと知った時はビックリしたものである。大体が、白黒写真だカラー写真だと言う以前に、本人がモノトーンの衣装と化粧だった。
筆者がその辺りの事を知ったのは、日本版のレコードが発売された際の事だったが、更に驚いたのは、その時点でAIDSに拠り亡くなっていたと言う事である。1983年8月6日、享年39歳であった。しかも、著名人としては最初のAIDSに拠る犠牲者だと言われている。「著名人」と言われても、日本ではあまりピンと来ないかも知れないが、当時のアメリカではそれなりに有名だったのだ。一部の人達の間だけだったかも知れないが。
その人物こそ、今回紹介するドキュメンタリー映画『ノミ・ソング』( 『 The Nomi Song 』2004年 ドイツ )の主人公クラウス・ノミであります。
では、クラウス・ノミとはどういった人物だったのか、ざっと紹介して行きましょう。
クラウス・ノミ。本名、クラウス・シュペルバー。1944年1月24日、南ドイツのバイエルン州で生まれ、ドイツ西部の工業都市エッセンで育つ。この時代の多くの少年少女と同様、クラウス少年も、エルヴィス・プレスリーに夢中になった。しかし、クラウス少年の母は「こんな不良の聴く様な音楽なんて聴かないで、ドイツ人ならオペラを聴きなさい」と、言ったかどうかは知らないが、マリア・カラスのレコードを聴かせたのだった。
「不良の音楽」は好きでも根は真面目なクラウス少年、母の言いつけ通りにマリア・カラスのレコードを聴く内に、すっかりオペラも好きになり、後の「クラウス・ノミ」となる下地が出来上がって行った。
音楽学校に通い、本格的に声楽を学ぶも、オペラ歌手としての仕事は見つけられず、パティシエになった。しかし、夢を諦めた訳では無く、ベルリン最大のオペラハウス「ベルリン・ドイツ・オペラ」劇場で案内係として働き、日々、プロの歌声を聴き勉強を積んでいた。と、同時に老舗ゲイバー「クライストカジノ」でオペラを歌っていた。
しかし、結局ドイツではオペラ歌手への夢は叶わなかった。閉塞感からか、それとも単に憧れからか、はたまた夢に向かってワンモアチャンスと言った積りだったのか、本心は本人のみぞ知る所だが、1973年、ニューヨークに渡る。多くのアーティスト志望の若者が集まるイーストヴィレッジを拠点に、ホテルでパティシエをしながら音楽への夢を持ち続けていた。
ライブデヴューは、ロックの「聖地」の一つ「マクシズ・カンザス・シティ」である。バンドメンバー達もブーイングを受けるであろうと予想していたライブ・パフォーマンスは、思いのほか絶賛された。ロック、ポップスをオペラ調のカウンターテナーで歌う白塗りメイクの男は、実力が伴っていなければ確かに大ブーイングだったであろう。しかし、新し物好き、珍し物好きの人には絶賛されたのである。その一人がデヴィッド・ボウイだった。
「マクシズ・カンザス・シティ」を度々訪れていたデヴィッド・ボウイはノミを気に入り、テレビショー「サタデー・ナイト・ライヴ」に自身が出演した際に、バックコーラスとしてノミを起用したのである。1979年の事だった。この時にボウイが着ていた、極端な逆三角形型のタキシードに影響され、後の自身のイメージとなる衣装を作っている。
この時のテレビ出演がきっかけとなり、テレビ番組に呼ばれる機会も増え、ライブは満員御礼となる程の人気を得るまでとなった。そして、1981年デヴューアルバムの発売となる。自身の名を冠した「Klaus Nomi」(邦題「オペラ・ロック」)である。このアルバムジャケットが、筆者がクラウス・ノミを知る事となった、時計の宣伝広告写真に使用されていた物である。
日本での発売はだいぶ年月が経ってからの事だった。どの様な事情で何年も経ってからの発売となったのかは不明だが、実は日本でのアルバム発売より数年前、生前に残した四本のビデオクリップを収録した「クラウス・ノミよ永遠に」と言うビデオが発売されていた。アルバムの発売後に知ったのだが、ついぞレンタルビデオ屋で見掛ける事が無かった。今では全てのビデオクリップをYouTubeで観る事が出来ます。良い時代です。
1982年には2ndアルバム「Simple Man」が発売されるが、この時点で既にHIVに感染していた。この年の12月、ミュンヘンで行われた大規模な音楽イベント「クラシック・ロック・ナハト」にウルトラヴォックスやマイク・オールドフィールド等と共に出演、バイエルン放送管弦楽団をバックにバロック時代のオペラ歌手の衣装を身に纏い(メイクはいつもと同じく白塗り)オペラを歌い上げた。このイベントはテレビで生放送もされた。故郷を離れ10年、遂にオペラの歌い手としてドイツに凱旋したのであった。しかし、病の進行を止める事は出来ず、翌1983年8月6日帰らぬ人となった。その死を看取ったのは、デヴィッド・ボウイのバックで一緒にコーラスを務めた、親友のジョーイ・アリアス只一人だったと言われている。
以上、大雑把にクラウス・ノミの人生を振り返ってみました。こう書いて来ると、奇抜ないでたちとパフォーマンスで耳目を集め、極短い期間ではあったが成功を収めた人物、所謂イロモノのイッパツ屋と言った印象である。決して間違ってはいないと思う。影響を受けたと言う人もそれなりの人数居るが、これ迄に真に追随する者は現れなかったと思う。実力を伴っていたからこそ出来た芸風だったと思うのである。正に「キング・オブ・イロモノ」と言って良いのではないだろうか。
筆者、決して馬鹿にしている訳ではありません。一度、クラウス・ノミの姿を目に、歌を耳にして頂きたい。その強烈なインパクトは忘れ難く、尚且つ中毒性も有るのである。正に唯一無二と言って良いだろう。1stアルバムは、発売当時愛聴しました。CD化された時も輸入盤買って随分聞きました。
髪型やメイク、ロボットダンスの様なステージパフォーマンスは、とにかく人の目を引く事をしようと言う発想だったのではなかろうか。結果として、それがウケた事で白塗りがイメージとして定着してしまったが、本人としては、いずれは素顔で出たいと言う気持ちは持っていなかっただろうか?テレビ出演の際の、歌を歌っている時以外の姿を見ると、かなりシャイな人物と言う印象を受けるので、メイクをする事でパフォーマーとして切り替えていたのかも知れないが。
今年2023年は没後40年になります。しかし、カウンターテナーとしての実力は認められても、いまだに奇抜なコスチュームとパフォーマンスの事ばかり取り上げられている感が有る様に思うのである。本人の人となりは置き去りにされてしまっているのではないだろうか。とは言っても、本人がその内面を語った記録が余り残されていない様なので、その辺りに関しては想像するばかりであるが。
そこで、本作の様に周辺で一緒に仕事をした人達へのインタヴューで、「クラウス・ノミとその当時の事」を振り返ろう、と言う事になるのだと思うが、そのインタヴュー内容からは、パフォーマー「クラウス・ノミ」が実はどの様な人物だったかと言う事よりも、一人のドイツ移民「クラウス・シュペルバー」の孤独が感じられる様で悲しくなってくるのである。
本作でインタヴューに応えている人達の中には、取材した記者、同じアパートに住んでいた友人や同郷の友人も含まれているが、大半は仕事上で付き合いの有った人達である。この中に「知人」ではなく「友人」である、と自信を持って言える人はどれくらい居たであろうか?「才能は有るけど奇妙な人」くらいに感じ、「宇宙人」の考える事なんて分からない、と本音で付き合う事をして来なかったのではないだろうか?そんな風に感じてしまったのである。
その死を看取ったのは親友只一人、と前述しましたが、本作でインタヴューを受けた人達は、見舞いにも行っていないのである。当時はAIDSが未知の病だったと言うのもあるが、隔離されている訳では無いのである。空気感染ではないと言う事くらいは分かっていたと思うのだが。その辺りに、周辺の人達との関係性が何となく想像出来ると思うのである。
ニューヨークのアングラシーンでは有名になっても、そこから先になかなか進めない事への焦りも有ったのだろう。フランスのRCAレコードから契約の話が来た時に、これ迄とは違う事をしようと、ライブ・パフォーマンスの内容を変え、以前のスタッフを切っていった。これはノミ本人の意向だけではなく、レコード会社側の要請も在ったのではないかと思うのだが、ぞんざいな扱いを受けた人達は裏切られたと解釈した様であった。
クラウス・ノミのテーマソングとも言える「Nomi Song」、2ndアルバムの表題曲「Simple Man」等を作詞作曲したクリスチャン・ホフマンは、レコードに自分の名前が無かった事に憤慨し、ノミの死の直前迄、一切話す事も無かったと語っていた。
他には、ノミの無軌道な性生活を語る者が居たり、「クラウス・シュペルバー」を捨て「クラウス・ノミ」となり、変わってしまったと憤りを感じている者も居た。誰もが事実を語っているのかも知れないが、表面的な「クラウス・ノミ」の部分だけを見て、内面の「クラウス・シュペルバー」にまで踏み込んで理解しようとする者は居たのだろうか?
無軌道な性生活も、本当の自分を見せず「クラウス・ノミ」の仮面を被り続けたのも、本当の自分を理解してくれる者が居ない事への寂しさからだったのではなかろうか?あくまでも、全て筆者の想像に過ぎませんが。
前述したクラウス・ノミのテーマ曲とも言える「Nomi Song」のサビは、カタカナで書き起こすと「ノーミー、ノーミー」と自身の名を連呼している様に聞こえるが、実際の詞は「know me Know me, know me now?」である。ステージに立つ様な人の自己顕示欲とも受け取れるが、「私の事」を知って欲しいと訴えている様にも感じる。そう考えると「Simple Man」と言う曲も直訳すれば「単純な男」だが、特別な訳じゃない「只の人間」である、宇宙人ではないと言っている気がしてくる。
ライブの際に、宇宙人の様だと評されるコンセプトでパフォーマンスを行うのは分かる。しかし、死後20年経て制作されたドキュメンタリー作品でも、依然として「宇宙からやって来た人物」である、と謳うのはどうなんだろう?もうちょっと「人間」クラウス・ノミに焦点を当てても良いと思うのですが。