エイリアンズ ~ ヘボ映画の無い世界は決して良い世界ではないと思う ~ | つれづれ映画ぐさ

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忘れ去られそうな映画を忘れ去る前に

1979年に制作、公開された『エイリアン』#1 は、リドリー・スコット監督の演出、ダン・オバノンの原案・脚本、スイスの画家H・R・ギーガーがデザインしたエイリアンの造形、俳優陣の演技等、どれを取っても素晴らしい出来で、1950年代以降しばらく鳴りを潜めていた、宇宙生物を題材にしたSFホラー復活の足掛かりを作った。更に言えば、多くの模倣作も生み出した。

 

今回紹介する『エイリアンズ』( 『 Alien 2 - Sulla Terra 』 1980年 イタリア )は、ジェームズ・キャメロンが監督した『エイリアン2』#2 と原題と邦題(ビデオ題)が逆と言う事が一部で有名?な、イタリア産のナンチャッテ続編モノであります。副題は「地球上」の意味。舞台は地球です。

 

有人宇宙船の帰還から始まる本作。冒頭での海軍出動や宇宙船内での映像は、実際の記録映像を使用しているのでしょう。この手の低予算映画では、実際のニュースフィルムなどを、本編中に起こった出来事として使用する事が多々有ります。古い映像であったり、そもそもが記録映像なので、画質が全然違っていたりするのですが、制作者サイドはその様な事は気にしません(してるのかな?)。だから我々も気にしてはいけません。そんなモンだと思ってスルーしましょう。この手の作品を鑑賞する際には、このスルーする力が大事です。それが、本作の様な低予算映画を愉しむ為のコツです。

 

閑話休題。その宇宙船の着水の瞬間を放映しようと生中継中のテレビ局では、着水する迄の間を繋ぐ為のゲストに、最近かなり深度の有る洞窟を調査したばかりの、或る学者を呼んでいた。本作の主人公テルマ(その昔、日本で発売されたビデオの字幕では、何故か「カーマ」であった。翻訳者の聞き間違えだろうか?)である。しかし、司会者が質問を始めた辺りで、テルマは突然苦しみ出し、急遽退席する事となってしまう。実は、テルマは超能力を有していて、何かの異変を感じ取っていたのだった。

 

テレビ局を後にし、再度洞窟調査に向かうテルマ達一行。途中小休止した浜辺で、またもや何かの異変を感じるテルマだった。

 

その頃、地球に帰還したロケットの中では異変が起きていた。つい数十秒前まで交信をしていた乗員達が、全員跡形も無く消え失せてしまっていたのだ。更に先程の浜辺では、脈動をする不可思議な物体に近付いた幼女が、中から飛び出した何者かに襲われ、顔面に大ケガを負わされると言う事件が発生していた。

 

この全く性質の異なる被害を、同じエイリアンが引き起こしているってのは凄くない?宇宙船内では何が起こったのだろうか?気になるけど、この後その謎が解かれる事は無いのであった。

 

そして、洞窟付近のガソリンスタンド兼雑貨屋の様な所に立ち寄った一行。この先、洞窟迄は砂漠が在るだけである。女性隊員達がトイレで調査用のスーツに着替えている間、尿意を我慢出来なかった隊員の一人バートは、建物の脇で用を足していて、壁際に綺麗な青い石が幾つも転がっているのを発見する。バートが拾ったその石こそ、エイリアンの卵であった。それとは知らず洞窟まで持ち込んでしまった事で、一行は悲劇に見舞われるのである。

 

と、まぁこんな感じで物語は進んで行きます。

 

この時点で、宇宙飛行士が跡形も無く消え去っているのは、どう言う状況なのかとか、襲った方も消えているのはテレポーテーションなの?とか、浜辺とかに転がっていた石をどう解釈すれば良いのやら等々、ツッコミ所満載な訳ですが、この辺りの事も、一応ツッコむだけツッコんだらスルーしましょう。

 

この後の展開として、洞窟内でヨダレを垂らした怪物に一人また一人と隊員達が血まつりに上げられて行くのであれば、『エイリアン』の模倣作なのだが、本作はちょっと違うのであった。

 

本家で、隊員の腹を突き破って登場した「チェストバスター」と呼ばれるエイリアンの子供みたいなのは出て来る。だいぶおもちゃじみた出来だけど、この手の「B、Ⅽ級ホラー」では当たり前の話なので、ここら辺も多めに見るのが鉄則です。

 

襲って来るのは血まみれの触手みたいな物で、具体的な姿は分かりません。その後の成長した姿がまともに描かれない辺りに、「モンスター映画」ファンは不満を覚えると思われる。しかし、逆さ吊りとなった隊員の首をその触手状の物で絞め上げ、ちぎり落としたりする凶悪さは認めて欲しい。

 

クライマックスでは、更に成長し主人公テルマを追いかけ回したりするのですが、カメラのレンズの周辺にブヨブヨした何かを張り付け、怪物の主観映像とする事で、決して本体を見せない、見せてたまるか、と言う徹底ぶり。何もかも見せる事が、決して良い結果を生む訳では無い、と言う監督の主張が窺われる様である。などと言う事は無く、予算の都合でしょう。

 

こう書いてくると、単に出来の悪いC級ホラーの様に思われるかも知れない。いや、実際そうなんだけど、本作のキモはオチに有ると思うのであります。

 

何とか洞窟を抜け出したテルマと、パートナーのロイは、無線の繋がらない乗り捨てられたパトカーや、無人となった雑貨屋を不審に思いつつも街まで帰り着き、知り合いが居るはずのボウリング場に助けを求めに行く。しかし、そこにも誰も居らず、潜んでいた怪物にロイが襲われてしまう。それは、洞窟内で殺戮を繰り広げたエイリアンの成長した姿だったのだ。我々には姿を見せてくれないんだけどね。

 

辛うじてボウリング場を脱出したテルマは、無人と化したビル街で、助けを求め、叫び続けるのであった。

 

ね、ナンカ終末感が漂ってる気がするじゃない、全く救いの無いラストが。いつの間に、大都市の人間を跡形も無く消し去ったんだ、とのツッコミは、冒頭で帰還したロケットの乗員が、ホンの一瞬と言っても良い時間で跡形も無く消え去っていたんだろ、そう言う事なんだよ、と強引に納得しましょう。この手の安物映画にあまり整合性を求めてはいけないのであります。

 

そう言や、主人公テルマの超能力設定はどうした?と言うと、洞窟内のどこかで襲われそうになっている仲間に、テレパシーで危機を知らせたり(間に合わなかったけど)、仲間が体を乗っ取られている事を見破って、中に居る「何か」に交信しようとしたりと言ったシーンで、その活躍が見られます。その際の、超能力発動で髪をなびかせるテルマのアップ、そして頭部爆発からのエイリアンの触手出現までの一連のシーンは、本作の一番の見所かも知れない。

 

この超能力設定と頭部爆発シーン、デヴィッド・クローネンバーグ監督の『スキャナーズ』#3 を彷彿させるが、本作の方が先である。超能力は、ブライアン・デ・パルマ監督の『キャリー』#4 、『フューリー』#5 から、頭部爆発はミムジー・ファーマー主演の『炎のいけにえ』#6 からのパクリではないか、などと勘ぐりましたが、どうでしょう?

 

テルマの超能力設定は、映像上の見せ場の為だけかも知れないが、一つでも何らかのインパクトが有れば良いのです。多くを求めると虚しくなるのは人生も一緒だと思うのであります。逆に、一つでもいいから良い所を見つける、その方が建設的なのではないでしょうか?

 

そうそう、良い所と言えば、本作は洞窟内で話が進みますが、セットでは無く、本物の洞窟でロケを行っています。ロケ地に選ばれたのは、南イタリアのカスッテラーナ洞窟と言う所。全体としてはかなり壮大な洞窟の様で、ロケーションを出来る限り活かそうとしている努力が窺われる、気がする。天井から下がる鍾乳石を下から見上げた所などは、劇場で観たら結構壮観かも知れない。

 

さて、それではこの様なインチキ臭い題名を持つ映画は、誰がどの様な経緯で制作したのかについて書いていきましょう。

 

本作は、監督のサム・クロムウェルことチロ・イッポリートが『エイリアン』のヒットを受け、似た様な映画を作ろうと考えた所から始まっている。

 

題名に関しては、チロ・イッポリート監督と本作の編集を手掛けたカルロ・ブログリオの二人でローマの劇場で『エイリアン』を鑑賞、広場に出た所でルチオ・フルチ監督の『サンゲリア( Zombi 2 )』#7 のポスターを見掛け、題名は『 Alien 2 』で決まりだな、などと言った感じだった様である。このイイカゲンな感じが実にイタリアン。

 

そしてストーリーも決まっていない内に制作を発表、資金を集めると言う剛腕ぶり。しかも、その金で友人達とカンヌで休暇、更に高級車も購入。これで映画を作らなかったら只の詐欺師である。 本作でのチロ・イッポリートは、プロデューサー兼監督だけではなく、脚本、制作総指揮、特殊効果まで手掛け、更にはテレビ局のディレクター役で役者も務めている。集めた資金を使い込んだからだろうな。逃げなかっただけ一応誠実と言えるのだろうか。

 

何ともイイカゲンな感じのするこの人物、舞台の興行主の息子として生まれ、1957年に10歳で子役として映画に初出演。その後しばらくは芸能界から遠ざかっていたようだが、『無防備都市』#8 、『戦火のかなた』#9 等の作品で有名なネオ・リアリズモの巨匠ロベルト・ロッセリーニ監督のテレビ映画『 Agostino d'Ippona 』#10 に(恐らく)端役で出演。この古代ローマ帝国時代末期のキリスト教の司教「聖アウグスティヌス」の後半生を描いた作品に於いて、どの様な役柄を演じたのかは筆者には分からないが、この作品を手始めに、役者として数本の映画に出演する様になる。

 

日本では『愛の妖精 アニーベル』#11 が唯一公開されている。香港在住の有閑マダム、リンダと金目当てで結婚したロクデナシ男アンジェロ役である。

 

数年の役者時代を経て、『 Napoli serenata calibro 9 』#12  で初めて脚本を手掛ける。以後、本作までの二年間(!)にプロデューサー兼脚本家として四本、脚本のみの作品を一本手掛けている。

 

ほとんどがマフィア絡みの犯罪映画だが、この内の一本が、日本でも『新ゴッドファーザー』#13 の題でビデオ発売されていた。この邦題も実にイイカゲンな感じであるが、英語題『 The New Godfathers 』の直訳である。どこの国も似たり寄ったりのイイカゲンさである。題名から想像される様なマフィアの跡目相続と言った内容では無く、麻薬の密輸絡みのゴタゴタを描いた作品である。主役の煙草密輸業者を演じたのは、マリオ・メローラっていう太った中年男。誰よ?と思って今回調べたら、イタリアでは結構な大物歌手でした。

 

こう経歴を追って来ると、割と真っ当なキャリアな気がする。

 

が、本作を発表した事に拠り、「本家」から訴訟を起こされてしまう。まぁ、当然っちゃあ当然である。しかし、「エイリアン」と言う言葉の使用は著作権の侵害には当たらない、と言う司法の判断で無罪を勝ち取れたのであった。

 

本作の題名を決めた理由となった、『サンゲリア』の原題である『 Zombi 2 』は、勿論『ゾンビ』#14 のイタリアでの公開題『 Zombi 』からのイタダキな訳です。しかし、こちらの場合は、プロデューサーが同じイタリア人のダリオ・アルジェントだから事無きを得た訳で、訴訟の多いアメリカではマズかったですな。

 

アメリカでは、極一部で短期間の劇場公開の後、様々な題で海賊版ビデオが発売されるにとどまっていたが、漸く2011年に正式にソフトが発売された。日本では発売されませんでした。残念です。

 

以上の様な訴訟問題も含め、評判の悪い本作ですが、このまま業界から消える事も無く、チロ・イッポリートは、この後も順調にキャリアを積んで行くのであります。本人もイタリア映画界も逞しいと思います。

 

本作、これと言った有名な俳優が出演している訳では無いが、『アクエリアス』#15 、『デモンズ ’95』#16 等で評価の高いミケーレ・ソアヴィ監督がマイケル・ショウ名義で出演している。まだ映画監督になる前。立ちションして問題の石を拾って来る役です。

 

音楽は、グイド&マウリツィオのデ・アンジェリス兄弟。本作ではオリヴァー・オニオンズを名乗っている。いかにもイタリアンホラーと言った大袈裟な音楽が実に良い。この兄弟、このオリヴァー・オニオンズ名義で、イタリア放映版『ドラえもん』『銀河鉄道999』のテーマソングを手掛けていたりする辺りも又凄い。

 

本作は、どう転んでも良い出来とは言えないだろう。しかし、批判ばかりでは無く、愛情を持ったツッコミを入れつつ良い所を見つける、そんな観方をするのも良いのではないかと思うのであります。

 

ヘボ映画を観ながら、心を豊かにする事も可能なのかも知れない。やたらと人を非難する事の多い、殺伐とした昨今だからこそ、そんな風に思いました。

 

#1( 『 Alien 』 1979年 アメリカ、イギリス合作 )

#2( 『 Aliens 』 1986年 アメリカ、イギリス合作 )

#3 ( 『 Scanners 』 1981年 カナダ )

#4( 『 Carrie 』 1976年 アメリカ )

#5( 『 The Fury 』 1978年 アメリカ )

#6( 『 Macchie solari 』 1975年 イタリア )

#7( 『 Zombi 2 』1979年 イタリア )

#8( 『 Roma città aperta 』 1946年 イタリア )

#9( 『 Paisà 』 1946年 イタリア )

#10( 1972年 イタリア )

#11( 『 La fine dell'innocenza 』 1976年 イタリア、イギリス合作 )

#12( 1978年 イタリア )

#13( 『 I contrabbandieri di Santa Lucia 』 1979年 イタリア )

#14( 『 Dawn of the Dead 』 1978年 アメリカ、イタリア合作 )

#15( 『 Deliria 』 1987年 イタリア )

#16( 『Dellamorte dellamore 』 1994年 イタリア、フランス、ドイツ合作 )