弟リーの最後の「仕事」を手伝う為に、半ば引退していた中年ギャングのロイは、宝石店への強盗計画に加わった。だが、メンバーの一人であるスキップの裏切りに遭い、リーともう一人のメンバーのモンタナを殺され、「獲物」を独り占めされてしまう。ロイは殺された弟達の復讐の為にスキップを追い詰めていく。
と、この様な内容が、今回紹介する『バッド・デイズ』(『 City of Industry 』1997年 アメリカ )であります。渋みの有るプロのギャングが、銃をぶっ放すばかりの若僧に翻弄されつつも、キッチリと追い詰めて行く様とタフネスさは、非常にカッコ良く、こう在りたい物である、とすっかり中年となった筆者の心に響くものが有ります。決してギャングになりたいとか、若僧と遣り合いたいとかではないです。羨ましいのは、タフな肉体と諦めない心です。
そのタフでシブカッコイイ中年ギャングのロイを演じたのはハーヴェイ・カイテル。説明の必要も無い位にすっかり「名優」としての地位を得たハーヴェイ・カイテルだが、1992年の『レザボア・ドッグス』までは、地味な脇役と言った役柄の多い役者だった。本作制作時は、ノリに乗っている時期で、文芸作品からB級アクション映画まで、年に何回もその顔を拝む様な「出ずっぱり」状態だった。幅を広げようと様々な役柄を演じていた時期だったが、本作の様にイメージ通りの「ギャング役」もしっかりと演じ切ってくれる辺りに好感が持てる。筆者も大好きな役者の一人です。
裏切り者のスキップにスティーブン・ドーフ。子供向け(?)のホラー映画『ザ・ゲート』(『 The Gate 』1987年 )で、主役の少年を演じて役者デヴュー。その後も順調にキャリアを重ね、本作に次いでウェズリー・スナイプスが吸血鬼ハンターを演じた『ブレイド』(『 Blade 』1998年 )でも敵役。本作でのスキップ同様、クソ生意気な若僧を演じていた。
弟リー役にティモシー・ハットン。数本のテレビドラマに出演した後、ロバート・レッドフォードの初監督作『普通の人々』(『 Ordinary People 』1980年 )で劇場用作品デヴュー。初主演作『タップス』(『 Taps 』1981年 )では、トム・クルーズ、ショーン・ペン等と共に士官学校の生徒を演じた。筆者としては、ジョージ・A・ロメロ監督の『ダーク・ハーフ』(『 The Dark Half 』1993年 )での、主役のボーモントと邪悪な存在のスタークの二役をこなす演技派ぶりが印象に残っている。
物語後半のキーパーソンとなるレイチェル役は『X-メン』(『 X-Men 』2000年 )シリーズでお馴染みのファムケ・ヤンセン。『007/ゴールデンアイ』(『 GoldenEye 』1995年 )の殺し屋役で注目され、本作の翌年には変種巨大タコ映画『ザ・グリード』(『 Deep Rising 』1998年 )に出演。タコ映画で美女と言う事で、筆者としては、或るシーンに期待していたのだが、ファムケ・ヤンセンが巨大なタコの触手に絡まれる事は無かった。実に残念であった。
他には、『チャーリーズ・エンジェル』(『 Charlie's Angels 』2000年 )シリーズ、『キル・ビル Vol.1』(『 Kill Bill: Vol. 1 』2003年 )等のルーシー・リューが、スキップの情婦の一人のストリッパー役で出演。名優エリオット・グールドが、高利貸しのハーヴェイとしてノンクレジットで出演していたりする。
監督はイギリス人のジョン・アーヴィン。1963年に『 Gala Day 』と言う短編ドキュメンタリー作品でキャリアをスタート。1960年代から70年代に掛けて、様々なドキュメンタリー作品やテレビドラマを監督し高評価を得た後、『戦争の犬たち』(『 The Dogs of War 』1980年 )で劇場用映画デヴュー。他には、癌に罹ったジョッキーと、骨折した競走馬の復活劇『チャンピオンズ』(『 Champions 』1984年 )、シュワルツェネッガー主演の『ゴリラ』(『 Raw Deal 』1986年 )、リアルタッチの戦争映画『ハンバーガー・ヒル』(『 Hamburger Hill 』1987年 )等と、多彩なラインナップである。海外ではそれなりに評価の高い監督だが、日本での評価はイマイチな気がする。ネルソン・マンデラの若き日の闘争を描いた、2016年の最新作『 Mandela's Gun 』も好評のようである。日本でも公開して欲しい所だが、無理かな?せめてソフトは発売して欲しい。
原題の「City of Industry」とは、カリフォルニア州ロサンゼルス郡に有る都市の名前。文字通りの「産業都市」で、雇用人口は6万人から7万人にも上るが、住人は300人にも満たないとか。本作、別にこの街が舞台と言う訳でもない。どちらかと言えば工場街と言った意味合いくらいな気がする。
情の欠片も無い様なスキップと、危険を顧みず敵討ちを果たそうとするロイ。堅気の生活を望んだ所で、到底堅気にはなれないであろう二人が対決する舞台としては、生活臭の無い殺伐とした工場街がピッタリなのかも知れない。二人の対決の決まり方も余りにもリアルで、この辺りがドキュメンタリーを得意としたジョン・アーヴィン監督らしさなのだろう。
本作、日本の映画情報サイトを見ると、『賭博師ボブ』(『 Bob le flambeur 』1956年 フランス )のリメイクと紹介されている。『賭博師ボブ』とは、『恐るべき子供たち』(『 Les enfants terribles 』1950年 )、『いぬ』(『 Le doulos 』1962年 )、『サムライ』(『 Le Samouraï 』1967年 』)、『影の軍隊』(『 L'armée des ombres 』1969年 )、『仁義』(『 Le cercle rouge 』1970年 )等の代表作を持ち、ヌーヴェル・ヴァーグの監督達だけではなく、世界中の映画制作者に影響を与えた、ジャン=ピエール・メルヴィルの長編四本目の監督作品である。
ではその『賭博師ボブ』とは、どの様な内容なのか、ざっと紹介致します。
かつて大きな事件を起こした事も有る中年ギャングのボブ。ギャンブラーとしての顔も持ち、決して陽の当たる時間迄は寝ずに、夜の間は賭場を渡り歩く暮らしを送っていた。凄腕のギャンブラーだったボブも、今や勝負勘も鈍り、勝負にも負けがちだったが、気前の良さは以前と変わらず、と言った調子だったので、すっかり手持ちの資金も少なくなって来ていた。そこへ持ち掛けられたのが、カジノの金の強奪計画だった。客としてカジノに入り込んでいたボブは「コトが済むまで賭け事はしない」と言う仲間との約束を破り、賭けをはじめてしまう。はたして、強奪計画の行方や如何に、と言った様な内容です。
冒頭に書いた本作の内容と較べても、共通しているのは半ば引退した様な中年ギャングが主人公、ってトコ位だと思う。本作の主人公ロイがギャンブルに嵌っている訳でもないし、ボブがメンバーの若僧に裏切られる訳でもない。正直、リメイク?って感じである。
では、何故『賭博師ボブ』のリメイクと言われているのか?それは、日本での劇場公開当時のプレスシートに書かれているからである。本作の脚本はテレビシリーズ『マイアミ・バイス』等を手掛けたケン・ソラーツ。プロデューサーのエブゼン・コーラーはチェコスロバキア出身。プレスシートに拠れば、この「フィルム・ノワールのジャンルに熱い思いを抱く二人が、『賭博師ボブ』のリメイクの構想を固めた」云々、と書かれている。構想はしたものの、いざ話を考えて行く内に内容が変わって行ったのではなかろうか?そんな風に感じるのである。
しかし、冒頭の本作の内容紹介を読んで、凄く似ている別の映画を思い出した方もいらっしゃるのではないでしょうか?
本作、1992年の深作欣二監督作品『いつかギラギラする日』と内容が良く似ているのである。『いつかギラギラする日』は、三人の中年ギャングが、話しを持ちかけて来た生意気な若僧の裏切りに遭い、二人が殺され、金も持ち逃げされ、残された主人公が若僧を追い詰めて行く、と言う内容である。似てるでしょ。
主人公役のショーケンこと萩原健一達中年組と、生意気な若僧役の木村一八とのジェネレーションギャップと、中年を舐めんなよ、と言うのがテーマの様な映画であったが、本作でもその辺りは描かれていた。
元々は『賭博師ボブ』のリメイク作品として企画されたのかもしれないが、この日本の映画を観てパクッ…イヤ参考にして、当初から主役に、と考えていたハーヴェイ・カイテルに向いていそうな内容に変更したのではあるまいか?本作を観て、筆者はその様に感じたのである。
そして、日本での公開に際し、『いつか~』と内容がそっくりな事をマズイと感じ、『賭博師ボブ』のリメイクと言い張ったのではあるまいか?と、更に想像を逞しくしたのであった。と、言うのも、海外の情報サイトを見ても、『賭博師ボブ』のリメイクと言う記述が見当たらないからである。
タランティーノ監督は、パクリ疑惑を指摘された時「良い監督はオマージュなんて捧げない。パクるものだ」みたいな事言って開き直ってましたよ。もし、筆者の妄想通りだったとした場合、「敬愛する深作監督には大いに影響を受けました」とか言っときゃ良かったと思うのである。勿論、内容が似ているのは単なる偶然かも知れないけどね。
しかし、パクリだろうが何だろうが、筆者はこの映画、大好きです。