恐怖の足跡 ビギニング ~そういや、楽しい夢っていつ以来見て無かったかな?~ | つれづれ映画ぐさ

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忘れ去られそうな映画を忘れ去る前に

全ての人は夢を見る。見ない人は「神の意識にほかならない」(by マモー)の域に達したルパン三世くらいであろう。夢と言っても様々で、楽しい夢も有れば、殆ど日常を再現した様な夢も有ったりするけど、うなされて起きる様な夢は嫌だよね。

 

「悪夢」を英語で言うと「nightmare(ナイトメア)」。眠っている人の胸の上に乗っかる悪魔を「メア」と言う。「メア」に乗っかられた人はうなされたとか。そりゃそうだ、重いモンな。そこから「悪夢」の事を英語では「ナイトメア」と言うそうな。恐怖で飛び起きる様な夢って感じ。大ヒットホラー映画『エルム街の悪夢』( 原題『 A Nightmare on Elm Street 』)シリーズは正にそう。このシリーズでは悪夢を見た人は、ほぼ起きる事が出来なかったけどね。

 

も一つ似た言葉に「bad dream」が有ります。ほぼ同じ様な感じで使われるみたいだけど、うなされる程では無くて「いや~、ナンカ嫌な夢見ちゃったなぁ」って感じで、寝覚めが悪い様な夢って感じになるんじゃないかと勝手に解釈しております。直訳すると「悪い夢」。なんかイイ日本語有ったかなぁ?

 

そんな、「イイ感じではない」夢が題材となっているのが今回紹介する『恐怖の足跡 ビギニング』(『 Dementia 』 1955年 アメリカ )であります。

 

とあるホテルの一室。一人の女性「The Gamin」(因みに本作、登場人物の役名に人名は付けられていない。役柄を役名にしているだけである。「The Gamin」とは、元はフランス語で「子供」を意味し、英語では「浮浪児」「いたずらっ子」の意味である)がベッドで眠っている。

 

「ガミン」は夢にうなされている。夢の中、砂浜の「ガミン」は、徐々に波打ち際に近づいて行く。すると、突然の大波に襲われる。そこで、ハッと目が醒める。これは怖いね。筆者は泳ぎが苦手なので尚更ですよ。

 

気を落ち着けようと煙草を一服し、立ち上がり、備え付けのドレッサーの引き出し開ける。そこに飛び出しナイフを見つけ、初めて安堵した様子を見せる。上着を引っ掛け、ナイフを忍ばせ階段を降りて行く「ガミン」。階下では、ⅮⅤ男を警官が連行していく所だった。警官が立ち去るまで階段で身を隠した後、ホテルの外へ出ると、小人の新聞売りが居た。受け取った新聞の一面には「謎の刺殺事件」の文字。それを見た「ガミン」は不敵な笑みを浮かべ、新聞を投げ捨てる。

 

夜の街を歩いていると、酔っぱらいのホームレスに絡まれる。そこに通り掛かったパトカーの刑事が、ホームレスを滅多打ちにする。その様子を見て、笑いながら立ち去る「ガミン」に声を掛けてきたのは、いかにも夜の街の男と言った感じの伊達男。そこに停まった一台の車。後部座席には金持ちそうな太った中年男が座っている。二人の男は何やら交渉をしていたが、「ガミン」は金持ち男の横に座らされる。ナイトクラブなど、何軒かの店に連れて行かれた後、移動中の車中で「ガミン」は、幻覚に襲われる。

 

ここ迄の一連の出来事も、映像を観ている限りは、現実離れをしていて、夢の中の様な感じなのだが、ここからは更に明確に夢の世界に入って行く。夢の中の夢である。

 

墓地に佇む「ガミン」の許へ、顔の部分が黒くなっている正体不明の男がランプを提げて現れる。案内役の様である。案内された父の墓石の前で「ガミン」が見せられるのは、自分に暴力を振るう飲んだくれの父の姿。父は先程ホームレスを滅多打ちにしていた刑事と同じ人物である。次いで見せられるのは、浮気がバレても全く悪びれる事も無い母親を、父が撃ち殺す場面である。そして、その父の背中にナイフを突き立てて殺す「ガミン」。そこで「ガミン」は我に返るが、相変わらず金持ちの中年男が隣に座る車の中であった。ここは本編中の明確な夢のシーンである。この後も「ガミン」は、まだまだ夢とも現実ともつかぬ夜の町を、父の顔をした刑事に追いかけられながら、彷徨うのであった。

 

この「ガミン」に関して、ここ迄描かれて来た事から、どの様な事が有ったのか、事実なのか夢の中の設定かは取り敢えず置いといて、想像してみる事にしましょう。まず、どうやら連続刺殺犯らしいって事。微妙なのが、父親が浮気をした母親を撃ち殺し、その父親を自分が刺殺した事。それでちょっと、夢分析なんぞトント分からん筆者ではありますが、頑張って分析してみたいと思います。

 

その1。「ガミン」が実際に連続刺殺犯だった場合。父親殺しが引き金になった。墓地でのシーンは、実際の事件の夢バージョン。

 

その2。連続刺殺犯と言うのが夢だった場合。実際の父親殺しがその様な夢を見させているパターン。もしくは、それこそ殺したい位に物凄く父親を恨んでいた場合は、その事を夢に見て、更にその事で連続刺殺犯になる夢を見ていると言う二重に夢を見ているパターン。

 

いずれにしても、自分を追い掛けて来る刑事が、父親と同じ顔をした人物と言うのがポイントだと思われる。罪の意識かも知れないし、恐怖の対象なのかも知れない。

 

などと分析めいた事をしてみようとしましたが、素人なのでサッパリでした。

 

本作、監督のジョン・パーカーの秘書エイドリアン・バレットが実際に見た夢を基に映像化した物だとか。当初は10分程度の物を想定していたのが、色々とアイディアを付け足して行く内に50分強にまで長くなっていったらしい。最初から商業作品として制作する積りだった訳では無く、あくまでも素人作品と言う事で、大々的に公開する積りも無かったのだろう。主役の「ガミン」を演じたのは、夢を見た当人エイドリアン・バレットである。

 

先程、本作の事を「素人作品」と表現したのは、出来の事では無く、実際に監督のジョン・パーカーがずぶの素人だったから。撮影当時28歳の映画好きの青年が、趣味が興じて監督してみました、と言う作品だからである。しかし、その映像はずぶの素人の作品とは思えない程しっかりしていたりするのである。「ガミン」が、人気の無い夜の町を追っ手から逃げるシーンは、「フィルムノワール」か戦前の「ドイツ表現主義映画」か、と言った趣で、監督の映画青年っぷりが伝わって来るのである。

 

そんな本作の撮影を担当したのは、ウィリアム・C・トンプソンなる人物。1910年代の半ばからカメラマンとして活躍していたベテランである。本作の数年後に、最低映画として名高い『プラン9・フロム・アウタースペース』の撮影を担当しているのはご愛敬。映画産業の興った初期からの業界人だが、低予算映画に多く関わって来た人の様で、ナンカ好感が持てます。

 

本作は、1953年に完成するも検閲に引っ掛かり、1955年に漸くニューヨークで限定的に公開されたとか。父親は映画館チェーンの経営者だった割に、息子の撮った映画を自身が所有する映画館で掛けようとはしなかったのだろうか?ひょっとすると、ニューヨークで上映したのが、所有する劇場だったりしたのだろうか?入りが悪かったから拡大公開しなかったとかね。

 

そして、その二年後『 Daughter of Horror 』と改題され公開された際には、アメリカでは後に有名なテレビ司会者となるエド・マクマホンによるナレーションが付けられた。元々の『 Dementia 』には、ナレーションどころかセリフすら一切無かったのである。だから余計に「悪夢」を見ている感じが強く、観客であるこちらも、何だかフワフワした感覚になるのである。

 

正直な話、このナレーションは要らなかったんじゃないかねぇ。なんか大仰で空々しいし。盛んに「Daughter of Horror!」とか言ってて白々しいって。安っぽいでしょ「恐怖の娘!」って。

 

日本で発売された廉価版DVDは『 Daughter of Horror 』が基になっている。実際の所、『恐怖の娘』ってタイトルで発売されても「ウ~ン」と首を捻っちゃうんだけど、『恐怖の足跡 ビギニング』ってタイトルはどうなんだ、と。『恐怖の足跡』とは何にも関係無いしね。繋がりが有るとすれば、どちらの監督も商業作品は一作のみ、ってトコか。

 

オリジナルタイトルの『 Dementia 』はカッコイイと思う。この「Dementia(ディメンシア)」と言う言葉、昔だと「痴呆」今なら「認知症」と訳されるんだけど、他にも「狂気、精神異常」と言う意味が有って、そっちの方が内容に合ってるね。

 

海外では、オリジナルと改題版の二作をカップリングしたソフトも過去には発売されている。ナレーションの有無だけでも雰囲気がだいぶ違うのだが、実はオチも微妙に違っているのである。ここはぜひ観較べる為にも、両方収録したソフトを日本でも発売して頂きたい。売れなそうだから無理かな。

 

悪い夢、怖い夢を見てしまう理由の一つとして、ストレスが挙げられるそうです。みんな、今夜はストレス発散して、イイ夢見ろよ!