恐怖の足跡 ~これも一種のアイデンティティ・クライシス~ | つれづれ映画ぐさ

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忘れ去られそうな映画を忘れ去る前に

女性三人組の乗った車が信号で停まる。その左にもう一台の車が停まる。こちらは男性二人組だ。助手席の男が直ぐ右隣に居る車のドライバーに声を掛ける。「レースをしないか?」   腕に自信の有るこの女性ドライバーは、助手席に座る二人の友人の不安気な顔も気にせず、勝負を受けて立つ。信号が青になった途端、猛然と走り出す二台の車。暫く続いたデッドヒートだったが、それもやがて終わりを告げる事となる。橋の上でのせめぎ合いに拠り、女性陣の車が下を流れる濁った川に転落してしまったのである。事故から三時間、警察や地元民の必死の捜索にもかかわらず、転落した車は引き上げられずにいた。誰もが諦めかけたその時、助手席に座っていたメアリーが、只一人川から上がって来た。奇跡の生還であった。

 

と、この様に始まるのが、今回紹介する作品『恐怖の足跡』(『 Carnival of Souls 』 1962年 アメリカ )であります。もはや欧米では、すっかりカルトホラーの古典的作品としての地位を築いた感もある本作。アメリカでは、テレビの深夜枠で繰り返し放映された事で、徐々に人気と知名度が上がり、カルトムービーとなって行ったと言う経緯が有るらしい。その後も、レンタルビデオブームの頃に、様々な会社からビデオが発売され、より多くの人の目に留まる様になって行ったとか。「様々な会社から」と言うのは、本作、初っ端からパブリックドメインとなってしまったから。つまり最初っから「著作権切れ」。著作権マークが付けられていなかったからだそうです。

 

日本では、1962年に劇場公開された様だが、その後はテレビ放映ってされた事有ったのかなぁ?ちょっとそこ迄は分からないんだけど、ビデオは遂に発売されず仕舞いだった。筆者がまだ子供だった頃に、タイトルは失念してしまったが、ホラー映画関係の本でタイトルとスチール写真でその存在を知り「観たいなぁ」と思っていたのだが、DVDの発売迄は観れずにいたのであった。

 

日本では、カルトムービーブームにも乗りはぐった事で、相変わらずホラー映画ファンの間だけで知名度と人気が高い状態なのかも知れないが、トコロがドッコイ、一度観たら、その何とも言えない、作品が持つ雰囲気に魅了される人も多いと思われる。否、思いたい。『ゾンビ』の監督ジョージ・A・ロメロも、1997年のインタヴューで、処女作『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』に影響を与えた作品である、と言っていたらしい。本人が言ったんだからそうだろう。実際、似た様な感じのシーンも有るし。

 

本編のストーリーをもうちょっと進めさせて頂きます。

 

この後、主人公メアリーは、別の土地の教会でオルガン奏者として働く事となり、事故現場である地元を去る事となった。夜道を車で移動中、ふと助手席側の窓を見ると、青ざめた顔の男の姿が浮かんでいる。やがてその姿は消えるが、正面を見れば同じ男が立っている。慌ててハンドルを切り、路肩の車中から、視線を道路に戻すと男の姿は消えていた。移った先の土地でもその男の幻影に付き纏われる事となり、道中で見掛けた廃墟となった遊園地の事も、なぜか魅入られた様に気に掛かるメアリー。更には、周囲の音が消え、自分の存在を誰も気が付いてくれない様な現象も起こるようになっていく。男の正体は?どうして廃遊園地に魅かれるのか?自分が存在していない様な現象が起こるのは何故なのか?

 

と、言う具合にメアリーの心情はキリキリと締め上げられて行くのであります。

 

本作、ホラー映画と言うよりは怪談映画と言った方が良い趣きである。「幽霊屋敷」モノとかとはまた違う、底知れぬ不気味さが有ると思う。

 

ここからはネタバレになってしまうんだけど、本稿冒頭、本編のオープニング部分を紹介した部分で書いた通り、メアリーが生還するのは事故から「三時間後」なのであります。更に、自分が透明人間になったかの如く、全く無視されてしまったりするのである。決してイジメられている訳では無く、自分自身の存在を疑う様な状態だったりするのである。こう書くと、どう言う事なのか察しの良い人なら気が付いてしまうのではないでしょうか。

 

本作はテレビ版『トワイライトゾーン』の初期のエピソード「ヒッチハイカー」が元ネタと言われている。このテレビ版エピソードを知っている人が聞けば、「成程!そう言う事か」となるかも知れませんが、あいにく『トワイライトゾーン』の「ヒッチハイカー」を知っている人の方が少ないでしょう。ハッキリ言ってしまえば、要するに「主人公は最初から死んじゃってます」パターンです。今となれば、過去色々な作品の意外性の有るオチとして使われていると思われるが、この当時だと案外物珍しかったのではなかろうか?

 

では、この映画を撮った、ハーク・ハーヴェイと言う監督はどの様な人物だったのかを紹介致しましょう。

 

1924年アメリカはコロラドに生まれたハーク・ハーヴェイ。高校卒業後、第二次世界大戦中に海軍で勤務。除隊後は、カンザス州ローレンスに在るカンザス大学で演劇を専攻する。卒業後もカンザス大学に残り、演劇を指導しながら、地元ローレンスの映画制作会社セントロンで、役者としても働き始める。セントロンは、1947年から1994年迄続いた、教育映画や産業映画を専門とする大手の制作会社である。ハーク・ハーヴェイは1952年にセントロンのスタッフとなり、以後30年以上にわたり教育映画、産業映画等を、四百本以上も監督したと言う。『恐怖の足跡』はその監督人生で唯一の劇場用長編映画である。本人としては、『恐怖の足跡』の監督と認識される事は仕方ないとして、「何故、それ一本しか監督しなかったのか?」と問われる事に関しては心外だそうである。本来の分野でちゃんと活躍し、業績も残しているからである。

 

でも何故、現在これ程評価を得ている作品を物にしているのに劇場用に監督した映画がコレ一本キリだったのだろうか?

 

ここから先は、あくまでも筆者の憶測を交えての話になりますが、本人達も低予算ながら、その出来にはそれなりの自信は有ったと思う。こと映像に関しては、監督も制作もプロ集団だからだ。しかし商業映画に関しては素人であった。売り込み方を知らなかったのではなかろうか?

 

セントロンと言う会社は、企業や公官庁等からの依頼を受けて映像を制作する立場だったと思われる。制作した作品を売り込む必要が無かったのではなかろうか?出来上がった作品は、低予算ながらも高尚な雰囲気も有る作品となっていたが、買い付けた配給会社に拠り、ドライブインシアター向けに、ロン・チェイニー・Jr主演の『死神の使者』と同時上映と言う、単なる低予算ホラーと言う扱いで公開されてしまった。作品も制作陣も哀れである。

 

実際の所、初公開当時は殆ど評価をされなかった様である。しかも、フィルムに著作権マークを付け忘れると言うミスをしてしまう。この辺りも商業映画素人故だったのではないだろうか。初公開された後、幾らテレビ放映されても、ビデオ発売されても、権利を持たないハーク・ハーヴェイには、恐らく1セントも入って来なかったのではなかろうか。こんな事になれば、二度とそちら方面に手を伸ばそうとしなかったとしてもおかしくは無いと思う。本作が褒められれば褒められる程、複雑な気持ちだったのではないだろうか。

 

しかし、晩年になって権利を買い戻したのは、やはり思い入れが有ったのだろう。配給会社に拠り二本立て用に78分にカットされた本作だったが、1989年に84分のディレクターズカット版を制作した。このディレクターズカット版は、各国の映画祭で上映されるも、どういった事情かは分からないが、この時もお金は入って来なかったとか。そう言った星のもとに有る作品なのだろうか?

 

本作に関して筆者は、最初の方で「底知れぬ不気味さ」と評したんだけど、それは、主人公メアリーが体験する恐怖が、「自分がこの世に存在していないのではないか?」と言う理由だからである。本作は、「アッと驚く」オチが売りと言うよりも、オチを知っていた方が怖いのではないか、と言う気がするのね。「いつの間にかこの世の者では無くなっている自分」って事で、メアリーを自分に置き換えて観た方が、おっかないんじゃないかなぁ、と。

 

もしくは少し見方を変えて、怪談話ではなく、より現実的な話として、「自分と言う存在」を否定される恐怖と考えてはどうだろう。「自分は意味の無い存在なんだ」とか「生きる値打ちは無いんだ」と言う考えを持つ事って、物凄くキツイ事じゃないですか。そう言う「負の感情」を抱いたり、抱かせられる事自体が、恐怖の根源ではないかと思うんだよね。

 

本作のオチは、「アッと驚く」意外なオチと言うよりも、どうにもやるせないオチだと感じたのですが、それが悪いとは全く思いません。映画の出来としては、色々と考えさせられる事も有るし、映像的にも優れているし、間違いなく一級品だと筆者は断言致します。