キング・オブ・ジプシー ~謎めく民族の大都会での暮らしぶり その2~ | つれづれ映画ぐさ

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忘れ去られそうな映画を忘れ去る前に

では、前回に引き続き、ダラダラと『キング・オブ・ジプシー』について書き連ねて参りたいと思います。

 

本編のあらすじや、「ジプシー」と「ロマ」の二つの言葉の違いについての筆者なりの見解なんぞを「その1」で書いております。まだお読みでない方は、宜しければ、そちらからお読みいただけると幸甚でございます。

 

今回は、所謂「ジプシー」と呼ばれる人達がどの様な人々なのかと言う所から、かいつまんで極々簡単に説明させて頂こうと思います。

 

まず、各国で生活をしている彼等の起源はどこにあるのか?彼等独自の言葉である「ロマニ語」から、言語学的には北部インドだろうと言われてはいるが、使用しない集団も多々存在するらしい。奴隷とされる事や迫害から逃れる為に、独自の言葉の使用を止め、出自を隠し地域社会に溶け込もうとした事で、徐々に忘れられていったと言われている。

 

日本の辞書には「ジプシー」と言えば、「黄褐色又はオリーブ色の肌で黒髪が身体的特徴」と記述される事が多かったが、その外見的特徴に合致しない人々も多々存在している。各地を追われる内に、混血化が進んだものと見られている。この様な事を挙げて行くと、どうも単一民族とも言えない様な感じである。しかし、「らしい」とか「~の様である」とかあやふやな記述が多いね、どうも。

 

それは、この「ロマニ語」には文字が無く、自分達の歴史を書き残して来ていない、と言う事にも起因していると思われる。北部インドが元々住んでいた所だとして、そこを出立した理由が不明なのだが、どこの土地に行っても、例え最初は歓迎ムードになったとしても、最終的には余所者は追われる身となってしまったのだろう。放浪を余儀なくされる身では、各国の異なる文字を憶えるのも困難であろう。中には、前述の通り、出自を隠し地域に溶け込んだ集団も多々在った様で、そうなると、例え独自の文字文化を持っていたとしても、消えてしまったのではなかろうか?

 

11世紀には既に、バルカン半島(イタリアと黒海の中間の出っ張り部分。ボスニア・ヘルツェゴビナやコソボなどが在るのがココ)と言う他民族な地域にジプシーと思われる人々が住み着き、各地域に根付いた生活をしていたらしい。この時点では、流れ着いたけども、別段放浪生活をしていた訳でも無さそう。

 

しかし、14世紀後半になると、バルカン半島が政治的に大混乱状態に陥ってしまい、結果として、15~16世紀に掛けてのこの地域では数多くの貧民や流民を生みだす事となってしまう。折角落ち着いた生活をしていたジプシーも、様々な民族と共に再び流民生活に舞い戻ってしまうのだった。

 

この各種民族入り混じっての大移動生活に拠り混血化が進み、外見的特徴の多様さを生み出したと思われるのである。その様な、グローバル化が進んだ流民達の流入は、まだまだ排他的だった地域社会の権力者から排斥対象となってしまうのだった。現代でも、移民や難民に対して排他的な声が聞かれる訳だから、15~16世紀では猶の事。捕まれば極刑に処されてしまうのである。となれば、生き延びる為には、なるべく規制の厳しくない地域に移動し、そこでも取り締まりが有るとなれば、また別の地域、国へ移動すると言う事を繰り返す事となるのだった。「ジプシー」=「非定住生活」は、元々の性質と言うよりも、必要に迫られたからだったのだろうと思う。

 

中世ならいざ知らず、近現代でも差別され続けている理由は、実は案外ハッキリしている。ドイツのハインリッヒ・グレルマンと言う18世紀の人物が、初めて「ジプシー」に関する学術書を上梓した。しかしその中身は、自身が持つ「ジプシーは劣等民族である」と言うイメージを、読者にも植え付けようと言う感じの物で、根拠が薄く問題の多い理論を展開した、学術書と言うにはちょっとイタダケナイ物だった様である。しかも、この本、だいぶ売れたらしいです。

 

この18世紀末に発表された書物の内容がすっかり浸透してしまったのは、研究者が居なかった為に否定される事も無かったからと言う話で、学者センセイ達の怠慢なのではないですか?しかも、この書物の中で展開された人種理論が、ナチスドイツの絶滅政策の根拠にもなって行ったと言う事で、実にタチが悪い話である。

 

この様に放浪生活を余儀なくされた彼等が、官憲から不当に弾圧され続ければ、国や法と言う物を信用しなくなり、利用出来る制度は徹底して利用しようと思っても不思議ではないだろう。例えその方法が詐欺紛いだったとしても。「ジプシー」は悪事を働く、と言うイメージも持たれるが、そんな扱いを受けりゃねぇ。反逆もしたくなるってモンでしょう。勿論、悪事を容認する訳では無いですが。

 

目を付けられない様に、なるべく目立たずに地域社会に溶け込もうとしたジプシー達も居れば、逆に自己主張の強いジプシーも居る。その代表格が「ヴラフ系ロマ」と呼ばれるジプシー集団で、前回の「その1」で「ロマ」と言う呼称について書いた時に出て来たジプシー集団である。アメリカのジプシーで圧倒的に多いのが、この「ヴラフ系ロマ」である。

 

では、主にヨーロッパに居たジプシーが、どの様にアメリカに渡って来たのだろうか?

 

アメリカのジプシー人口は50万人とも100万人とも言われている。正確な人数が分からない辺りが如何にもジプシーらしい。アメリカには、18世紀初頭には既に入植していたと言う話だが、本格的に大人数が移住してくるのは、移動手段の発達と運賃の低価格化が進んだ19世紀になってからの事である。

 

バルカン半島に住んでいたジプシーは、現在はルーマニアとなった、ワラキアとモルドバで奴隷となっていた。アメリカの奴隷解放宣言の翌年の1864年に、この地でも奴隷制が終焉を迎えた。その事で、ヴラフ系ロマと言う部族集団が中心となり、「カルデラリの大侵攻」と呼ばれる、ジプシーの大移動が始まる。因みに「カルデラリ」とは、ヴラフ系ロマの集団名の事で、ジプシーの伝統的職業の一つである銅細工師を意味する。ジプシーは各集団の事を職業名で呼んだそうである。

 

ヴラフ系ロマが、他の地域から移住したジプシーと違い、目立つ様な事を控えない(ファッション、生活様式等を同化させない)のは、奴隷生活が長かったからではないかと言われている。ガッジョ(非ジプシーを指すロマニ語)とは、確実に一線を引く傾向に有るのが、このヴラフ系ロマであり、正に本作の主人公ステパノヴィッチ一族である。近世のジプシーのイメージ(「オフィッサ」と呼ばれる怪しげな雰囲気の店で占いをする女性や、ジプシー特有のファッション)が、このヴラフ系ロマと言う部族の特徴なのである。

 

因みに、荷馬車で放浪生活を送る牧歌的なジプシー像は、19世紀のイギリスの作家ジョージ・ボローが定着させたイメージだそうである。このボロー、「俺、長い事ジプシーと一緒に生活を共にしたんだよね」などと喧伝していたお陰で、そんな人が書いた本なんだから、「ジプシーは牧歌的な生活を送っている」と言うのは本当の事なんだろう、と思い込まれてしまった様である。ところが実際には、ボローがジプシーと長年生活を共にした事は無かったらしい。その様な牧歌的な生活を送っている人が全く居ないとは言わないが、極一部と思った方が良さそうである。

 

と、言う事で大雑把ではありますが(これでもね)、所謂「ジプシー」と呼ばれる人達に関して、ダラダラと書き連ねさせて頂きました。尚、本稿のジプシーに関する知識の多くは、水谷驍氏の書籍「ジプシー 歴史・社会・文化」から多くを参考とさせて頂きました。有難うございます。

 

では最後に、本作のスタッフ、キャストを紹介致しましょう。

 

主人公デイブを演じたのはエリック・ロバーツ。『プリティ・ウーマン』のジュリア・ロバーツの兄である。本作で映画初出演にして初主演。日本での公開当時、映画評論家の吉田真由美氏が、そのイケメンぶりを大絶賛していました。暫くは順調にキャリアを重ねていたが、今一つ伸び悩み1989年の『ベスト・オブ・ザ・ベスト』で本格的な格闘技映画に出演。それ迄は、どちらかと言えば線の細いイケメンだったのが、マッチョでワイルドな感じに変化。以降、主にB級作品への出演が多いが、出てる出てる。600本を超える出演数は充分誇って良いだろう。クリストファー・ノーラン監督の『ダークナイト』ではマフィアのボスの一人を演じていた。

 

妹チタ役にブルック・シールズ。1980年『青い珊瑚礁』、1981年『エンドレス・ラブ』と立て続けに公開され、一躍人気スターに。1978年制作でありながらも日本未公開だった本作が、1983年に(都内では新宿のシネマスクエアとうきゅう単館だったが)公開される運びとなったのは、このブルック人気のお陰であろう。前年の1982年には、カネボウのテレビCM(CMソングは一風堂の「すみれ September Love」だった)も放送され人気絶頂であった。本作のパンフレットの表紙は、主役を差し置いてブルック・シールズ単体の写真である所からも、その人気が窺える。そう言えば今上天皇も皇太子時代に、ブルック・シールズのファンだって言ってましたね。

 

祖父である「キング」ザルコにはスターリング・ヘイドン。『ゴッドファーザー』では悪徳警官を演じていた。

 

祖母のクイーン・レイチェル役にシェリー・ウィンタース。『ポセイドン・アドベンチャー』では、若い頃に水泳部だったと言う理由で、皆の為に潜水してロープを張り、挙句心臓発作をおこしてしまうと言う涙物の演技を体を張って演じていた。『テンタクルズ』では、ヨットレースに出場したものの連絡が取れない甥っ子の為に、「私は昔、水泳部だったのよ」とか言って、海に飛び込んじゃうんじゃないかと思ってハラハラしましたよ。

 

母のローズ役はスーザン・サランドン。元夫であるクリス・サランドンは、『狼たちの午後』でアル・パチーノのゲイの妻を女装で演じた人。スーザン・サランドンは『プリティ・ベビー』でもブルック・シールズの母親役を演じていた。リドリー・スコット監督の『テルマ&ルイーズ』のルイーズ役も印象的。

 

監督・脚本はフランク・ピアソン。同じく監督・脚本を担当した1976年のバーブラ・ストライサンド主演の『スター誕生』では全米の各映画賞を受賞しまくった。脚本のみを担当した1975年の『狼たちの午後』ではアカデミー脚本賞を受賞している。

 

プロデューサーのフェデリコ・デ・ラウレンティスは、本作の製作総指揮ディノ・デ・ラウレンティスの息子。そのディノは、本作の原作者ピーター・マーズの前二作『バラキ』『セルピコ』でもプロデューサー。

 

撮影監督はスウェーデン出身のスヴェン・ニクヴィスト。イングマール・ベルイマン監督の諸作品の撮影監督として有名だけど、そのキャリアを見れば、もうびっくりする位の名作が並ぶ凄い人。前述のルイ・マル監督の『プリティ・ベビー』でもブルック・シールズと一緒に仕事をしてます。

 

メイク担当のジャネット・デ・ロッシは『サンゲリア』だ『地獄の謝肉祭』だと、グロい映画のメイクをやっていたりするかと思えば、本作やベルナルド・ベルトリッチ監督の『1900年』なんてのも担当している。こちらも又凄い人である。

 

と、これだけのスタッフ、キャストが揃い映画の出来も決して悪くは無いと思うし、デヴィッド・グリスマンの手掛けたジプシー音楽も素晴らしいのに、見事に忘れ去られている気がする本作。公開から半世紀近く経つも、日本でもアメリカでも存在感が薄いのは、「ジプシーを犯罪者として扱う映画はポリコレ的にアウト」みたいな思考停止状態だからなのだろうか?差別問題の根源は無知だと思う。犯罪の様な事実は事実として受け止めて、その背景を知る事が重要だと思うんだけどねぇ。