ジャンクマン ~廃車置き場からの成り上がり豪快人生~ | つれづれ映画ぐさ

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忘れ去られそうな映画を忘れ去る前に

1975年の初頭より、「週間少年ジャンプ」に連載された池沢さとし作「サーキットの狼」は、スーパーカーブームを日本の子供達(大人もか)に巻き起こした。日本では「サーキットの狼」の連載開始と同年に公開された『バニシング IN 60″』(『 Gone in 60 Seconds 』1974年 アメリカ )は、そのブームに乗ったと言う事も有るだろうが、何よりも、ひたすら迫力あるカーチェイスを見せる事に徹底した作品作りが受け、スマッシュヒットを飛ばす。何せ、後半40分は、ず~っとカーチェイス。余計な物語は一切省くと言う徹底ぶりである。タイトルは「バニシング イン ロクジュウ」が本来の読み方です。ニコラス・ケイジ主演の2000年の作品『60セカンズ』は、この作品のリメイクです。

 

因みに日本では1978年、さも続編の様な扱いで『新バニシング IN 60″スピードトラップ』(『 Speedtrap 』1977年 アメリカ )と言う作品が公開されている。こちらは、ジョー・ドン・ベイカー主演、アール・ベラミー監督の、どちらかと言えば、探偵モノの犯罪映画に当時流行りのカークラッシュシーンを取り入れた、と言った方が良い様な作品。車泥棒が物語のキーとなる、と言う以外は何の繋がりもない、無関係作品です。『バニシング IN 60″』同様のカーアクションを期待すると、ちょっと物足りないとは思うが、全くの別物、と分かってて観ればそれなりに面白いと思います。

 

その『バニシング IN 60″』で、制作・監督・脚本・主演・カースタントと五役をこなしたのが、H・B・ハリッキーであります。今回紹介する『ジャンクマン』(『 The Junkman 』1982年 アメリカ)でも勿論、同様に五役をこなしております。何故か『ジャンクマン』公開時は「ハリキ」表記でした。

 

1940年、ポーランド系アメリカ人の両親の下、ニューヨークに生まれた、ヘンリー・ブライト・ハリッキー。愛称は「トビー」。父親は、自動車の整備士、自動車のセールスマンを経て、自身の自動車修理工場を持つまでになった。その様な家庭環境で育ったからであろう、H・B・ハリッキーも自動車関係の仕事に就く。そして、ニューヨークからカリフォルニアに移り、違法駐車された車のレッカー移動と押収、並びに廃車置き場の経営を始める。

 

元々映画産業に興味が有ったのか、カリフォルニアに移った事が切っ掛けとなったのか、この「映画の都」を有する地で、初めて映画制作に関わる事となる。『愛欲のえじき』(『 Love Me Deadly 』1972年 アメリカ )である。この「ネクロフィリア(屍体愛好)」をテーマにした異色作に、どの様な経緯で関わる事になったのかは分からないが、制作補の仕事だけではなく、役者としてもデヴューしている。出演時間ほんの20秒程のチョイ役だが、主人公宅でのパーティ客の一人で、カーレーサーの役を演じている。カーレーサー役と言う辺り、当時既に車の運転に関して有名だったのだろうか?

 

そして『バニシング IN 60″』のヒットを経て、ハリッキーの真骨頂とも言える本作『ジャンクマン』を制作する。『バニシング ~ 』は、目立ちたがり屋の成功者が、自分を主役に映画を制作した、と言った感じだが、(素人映画なので、大抵の場合ほぼ成功しないのだが)予想以上の大成功を収めたので、調子に乗ってもう一丁と制作した本作は、今度こそ正真正銘の「THE 俺」映画。『バニシング ~ 』では、主役とは言えアウトローの役だったのに、今回は金持ちで、映画プロデューサーで、自ら危険なスタントもこなすアクションスターの役である。欲張り過ぎな気もするが、本人が当時本当にこう言う立場だったのだから仕方あるまい。作品中に登場するガレージ、廃車置き場は勿論、牧場もハリッキーの持ち物。オープニングクレジットの際に映し出される大量のおもちゃもハリッキーのコレクションである。

 

本作は冒頭から派手なカーアクションで始まる。ガルウィング(両方のドアが真上に開くタイプね)もカッコイイ、ブルックリンがパトカーとカーチェイスをした挙句、ジャンプして川に突っ込む。これは映画の撮影シーン。その後、ジェームス・ディーンのフェスティバルに参加する為に、会場に向かうハーラン(ハリッキー)を、殺し屋軍団が襲って来る。クールな女殺し屋とオッサンが車で、更に上空にはセスナが二機。ココが本作の一番の見せ場となっている。

 

内容は薄い。誰がハーランを殺そうとしているのか、何故命を狙われるのか、などは正直な話、どうでもイイ。物語上、何かしらの説明が付けば良いと言う感じである。そんなコトよりも、ひたすらカーアクションを楽しんで欲しい。ハリッキーもそう思っている筈です。まぁ、ちょっとネタばらしすると、会社の乗っ取りです。しかし、ハーラン(ハリッキー)でメシ喰ってんだから、メシの種殺しちゃ駄目だろうよ。後釜を用意してからじゃなきゃ。でも、後釜を用意させないのがハリッキー。例え映画の中の話でも、俺は一人で充分だ、ってね。

 

大昔、テレビ放映された時に、解説者だった「キンキン」こと故愛川欽也氏が、「ハリッキーは、ジェームス・ディーンに憧れていたんです。観ていると伝わって来ます」みたいな事を言っていたんだけど、ジェームス・ディーン・フェスの会場に向かうハリッキーは、殺し屋に追われながら会場に突入。ジミーの立て看板を粉々に破壊して去って行く。って、全然憧れの人物に対する扱いじゃ無いと思うのは、筆者だけではあるまい。このシーン、「俺はジミーを超えるんだ」と言う宣言だったのだろうか、と思いました。

 

ハリッキーは、ひょっとするとジミーよりも豚が好きだったのではなかろうか、と筆者は推測するのであります。何せ、子豚のコンテストに参加する途中でカーチェイスに巻き込まれた養豚家が、大した意味も無く二回も登場。更にラストにも登場、見事コンテストに優勝していた。因みに、演じたのはロナルド・ハリッキー。弟である。更に、着の身着のままで身を隠そうとしているハーラン(ハリッキー)に、娘のケリーが手渡してくれたのは豚さんの貯金箱である。豚を愛でるカーキチ、それがハリッキーの正体だったのだ(何のこっちゃ)。

 

この後、『バニシング IN 60″ デッドライン』(『 Deadline Auto Theft 』1983年 アメリカ  )を発表。これは、『バニシング ~ 』を基に、『ジャンクマン』の未使用シーンと、新たに追加撮影をしたシーンを繋いで再構築された物。微妙に新作とは言い難い代物である。冒頭のブルックリンとパトカーのカーチェイスシーンは、本作よりもだいぶ長めになっていて、本作でカットしたシーンに陽の目を見させたかったのだろうな、と感じさせる。

 

その六年後の1989年、ハリッキーは新作映画に取り組んでいた。『バニシング IN 60″』の続編である。しかし、この映画の撮影中、事故に遭い死亡してしまう。衝突した車が給水塔を倒すシーンの準備の為に、給水塔の支柱の一本に切り込みを入れた所で、支柱が軋み始め倒れてしまったのである。給水塔の下で様子を見ていたのであろうハリッキーは、下敷きとなり即死してしまう。享年48歳であった。

 

自動車関係の仕事に就く一民間人から、映画プロデューサー・映画監督・脚本家・役者・スタントマンとなり、三本の長編映画をものにし、四本目の長編映画撮影中に事故死。残した作品はごく僅かだが、カーアクション映画史に今も名を残す(と筆者は思っています)H・B・ハリッキー。その生き様は、作品同様、スピーディでダイナミックで破壊的であった。