人喰い半魚人 ~継続する事は大成するよりも幸せかも知れない~ | つれづれ映画ぐさ

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忘れ去られそうな映画を忘れ去る前に

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1975年の『ジョーズ』の大ヒットにより、映画界では動物パニック物ブームが起こった。巨大化したり、群れをなしたりして、ありとあらゆる生き物が人類に襲い掛かった。そのブームも1980年に入る頃にはほぼ終息していく。当たり前だが、似た様な映画が量産されたので飽きられたのである。「動物」「オカルト」に押され、鳴りを潜めていた「モンスター」映画だったが、1970年代の終わり頃から1980年代の初頭に掛けてドラキュラ、狼男、ゾンビ、宇宙生物等の、主に1930年代から1950年代に掛けて活躍したモンスター達が復活してくる。半魚人もまた然り。ロジャー・コーマン制作の『モンスター・パニック』である。その、機を見るに敏なコーマン先生に先駆けて半魚人を復活させた自主制作映画が、今回紹介する『人喰い半魚人』(『 Spawn of the Slithis 』 1978年 アメリカ )であります。

 

原題の意味は何でしょうかね?「Spawn」は辞書を引くと一番最初に出て来るのが「水生動物の卵」ですね。「Slithis」は造語でしょう。辞書引いても出て来ません。「スリティス」とか本編中で言ってます。作中の説明では「20年前に起きた原子炉の放射能漏れの事故で、隣接する湾の海底の泥が汚染された。その汚染された泥は、バクテリア等を吸収し新たな有機体となった泥だった。その突然変異した放射性の泥を「Slithis」と名付けた」だそうです。カタカナで「スリティス」と書いても全く何の事やらなんだけど、英語の語源は何だろう?「Slime」(スライム=泥やヘドロなどのドロドロした物)プラス何かだろうか?筆者の英語力ではイマイチ分かりません。

 

冒頭、フリスビーで遊んでいる少年二人。取れずに遠くまで飛んで行ってしまったフリスビーを探しに行った少年は、無残な二匹の犬の死骸を発見する。その後、寝ていた夫婦が侵入した何者かに、やはり無残な殺され方をすると言う事件が起こる。高校でジャーナリズムを教えている主人公は興味を憶え、現場となった家に入り、警官に直ちに出て行く様に言われるも、床に在った泥状の物質を採取してくる。その泥状の物質を、友人の科学者に分析して貰った所、先程説明した「スリティス」に似ているとの結果となったのである。

 

この物質の存在は、放射能事故の隠蔽の為に公表される事は無かったが、最初の研究者の一人が、放射能に拠る生命体の実験を続けていた。その科学者は、今回の「スリティス」は、20年前の物よりも複雑な生き物に変異している可能性を示唆し、実験室では再現は出来なかったので、事件現場の近くに有る施設からの放射能漏れの可能性が有ると指摘した。更に「スリティス」は、取り込んだ物の特性を自身に取り込む事が出来る事から、進化の可能性も無限かも知れない、とも。

 

凄いね。今迄の、放射能を浴びて巨大化しましたって言う怪獣や、太古の生物の生き残りとは一味違うね。新たに生まれた生命体だからね。

 

「半魚人」と言えばユニバーサルが生んだオリジナルモンスター『大アマゾンの半魚人』のギルマン君の姿がスタンダード。造形が完璧なので、以後、その影響下から抜け出るのはかなり難しい事に。『ウルトラQ』『ウルトラマン』の海底原人ラゴンも正にギルマン系。細身でスタイルが良い。それに比べると本作のスリティス君は、かなりマッチョ。肩から腕にかけての太い事ったら。魚を喰っても腕が生えるとは思えないので、きっとかなりのマッチョマンを取り込んだと言う事なのだろう。何せ、喰った相手の特性を取り込むらしいですから。

 

殺戮を繰り返す怪物は、水門を通って外洋から湾に入って来ているのではないかと推測し、水門を(勝手に)閉めて湾内にスリティス君を閉じ込める作戦に出る主人公達。漁船に乗って港で待ち受ける水上班四人と、車で待機している陸上班二人の二組に分かれてスリティス君を待ち受ける。

 

まずスリティス君が登場するのは陸上。運転手は慌てて車を出そうとするもエンジンが掛からない。ここはお約束通り。そこへ襲い掛かるマッチョなスリティス君、流石に暴れっぷりは凄いぜ。バンバン、ガンガン車ブッ叩いて、ドアなんか取れちゃいますから。やっとエンジンが掛かって、発進させたらバック。駐車してた車の側面にぶつけて土手から落っことしちゃうし、更に慌てて前進させたモンだから、そのまま海にドボン。同乗者は、海にドボンの前に、乱暴な運転で車から振り落とされていた。ものの見事なまでの一人上手ぶりが実に微笑ましい。スリティス君も眼が点であった事だろう。だもんだから、さっきまで物凄い勢いで車を攻撃してたのに、車を失った二人を無視して、水上組を襲いに行くのだった。きっと、慌てぶりがあまりにイタかったんで、見ないふりをしてくれたんだね。

 

そして、主人公組の停泊中の漁船に乗り込んで大暴れするスリティス君。この辺りの攻防は、結構血まみれ。勿論、稚拙なメイクなんだけど、出来の良し悪しは置いといて、そう言う演出をするって辺りに、本作の監督がどう言った作品に影響を受けたかが窺える気がする。

 

人間の女性を気に入って攫おうとする『大アマゾンの半魚人』(1954年)よりも、生首片手にぶら下げて町の人々の前に登場する『ピエドラス・ブランカスの怪物』(1959年)の方が影響が強そうに感じる。

 

公開時には入場者に「スリティス・サバイバル・キット」なる物を無料で配ったそうである。スチール写真や、ファンクラブ(最初っからそんなのを立ち上げたのか)への入会申込書みたいなセットだったらしい。その事を、自作の公開時に何かとアトラクション的な事を仕掛けたウィリアム・キャッスル監督に例える人もいるが、どちらかと言えば、主にドライブインシアターを中心にヒットを飛ばした、元祖スプラッター映画監督ハーシェル・ゴードン・ルイスが、『血の祝祭日』(1963年)で、入場者にゲロ袋を配った事の方に影響を受けているのではないだろうか。本作も、ドライブインシアター(だと思う)を中心に、それなりのヒットを飛ばし、実際にマニアックなファンを掴んだらしい。

 

そんな下世話な映画が好きな(勝手な想像)本作の監督、スティーブン・トラクスラー(1945年生まれ)。監督作は本作とその約20年後にテレビ用作品を監督しただけだが、制作補としてニコラス・ケイジ主演の『ウインドトーカーズ』(2002年)他、プロダクション・マネージャーとしてケヴィン・コスナー主演の『ウォーターワールド』(1995年)等のメジャー作品の制作に携わっている。

 

殆どのスタッフが本作限りか、他には二、三本の映画に携わっただけなのだが、もう一人その後メジャーな活躍をした人物が居る。ミミ・レダーである。後に、『ピースメーカー』(1997年)『ディープ・インパクト』(1998年)『ペイ・フォワード 可能の王国』(2000年)と大作、話題作の監督をする事になるミミ・レダーが、業界入りしてまだ間もない頃に、スクリプト・スーパーバイザーとして参加している。今でもまだまだ現役よ。因みに「スクリプト・スーパーバイザー」と言うのは、カットが変わったら急にテーブルの上の飲み物の位置が変わってた、などと言う事が無い様に、シーン毎の小道具の位置なんかを記録しておく人の事です。

 

そしてもう一人、B級映画ファンならその名を覚えていた方が良いだろう、と言う人が撮影監督として参加している。ロバート・カラミコと言う人である。ヘボ映画としてお馴染みの『死霊の盆踊り』で撮影監督デヴュー。以前紹介した『 The astro-zombies 』のテッド・Ⅴ・マイケルズ監督の『ザ・ブラック・クランズマン』、1970年代から1980年代に掛けて特殊メイクの第一人者として大活躍したリック・ベイカーのデヴュー作『吸盤男オクトマン』、ヘボブラックスプロイテーション映画として有名な『ブラッケンシュタイン』等と言う、少し特殊な映画ファンにはお馴染みのタイトルがラインナップに連なるのだが、『ドーベルマン・ギャング』『ドーベルマン・ギャング2』や、トビー・フーパー監督の二作目『悪魔の沼』の撮影も手掛けていたりするのであった。ソノ手の映画が好きな人ならビビッと来るでしょ?

 

本作に関わったスタッフ・キャストの多くは、憧れた世界に一度でも関われると言う事で友人として手伝った人だったのかも知れない。あるいは本作を機にプロの道へ、との気持ちで関わった人も居たのかも知れない。しかし、先程書いた様に殆どのスタッフ・キャストは、この後映画産業に関わっては居なそうである。若い頃の経験を、単に「青春の想い出」にしてしまうか、一生涯の物に出来るか、それをその時に見極めるのはまず不可能だろう。ただ「一念岩をも通す」と言う言葉が在るのも事実である。「継続は力なり」の言葉も在る。一つの事を遣り続ければ、どんな形であれ何かしらの結果は伴って来るのかも、と思ったり。それは人脈の様な直接活かせる物かも知れないし、自信の様な精神的な物かも知れない。そう言う事って、若い頃には余りピンと来ないモンだけど、中年になると色々と感じる物が有るのよ。筆者も、何か一つでも真剣に続けてくれば良かったなぁ、なんて事を痛感して反省しております。