魔鬼雨 ~雨は恵みをもたらし、時に災害を招き、たまに魔を討つ?~ | つれづれ映画ぐさ

つれづれ映画ぐさ

忘れ去られそうな映画を忘れ去る前に

「人間が溶ける」事を主題とした、「溶けモノ」とでも言う(言わないか)作品が在る。調べた訳では無いので、世界中でソノ手のモノが何本作られたのか知らないが、在る事は在る。タイトルもその物ズバリな『溶解人間』(1977年)や、『吐きだめの悪魔』(1987年)の二作品は、スキモノの間では有名な作品だが、先の二本に先駆けた「溶けモノ」が、今回紹介する作品『魔鬼雨』(『 The Devil's Rain 』 1975年  アメリカ・メキシコ合作 )であります。タイトルは「まきう」と読みます。造語でしょう。勿論、広辞苑には載っていません。しかし、映画紹介ブログでこんな事を言ってしまっては身も蓋も無いが、一番怖い「溶けモノ」は「ゲゲゲの鬼太郎」第二期の「足跡の怪」だと思う。筆者も子供の頃テレビで観て、「これは凄いわ」と思いました。

 

閑話休題。本作、冒頭から人が溶けます。嵐の中、物語の中心となる一家の父親が、溶けます。息子のマークに「レッドストーンに居るコービスに本を返すんだ」とか言ってるけど、何の事やらです。この時点では、何で溶けたのかは全く不明。イヤ、最後迄観ても不明かも。でも、イイのだ。この手の映画では、掴みが大事なのである。

 

母親は、床下に隠してあった古めかしい本と、お守りのメダルを取り出し、コービスに渡す様マークに頼むも、何故か拒否るマーク。車のクラクションで外におびき出されたわずかの隙に、一緒に居た爺さんは逆さ吊りにされる、母親は居なくなる、部屋は荒らされると散々である。怪我した爺さんを置き去りにして、ライフル片手にレッドストーンに向かうマーク。早速現れるコービス。凄い早業で家を荒らしたり、人を連れ去ったり、逆さ吊りにしたり出来る割に、探し物は下手な様である。それだけの事が出来るのなら、お守りのメダルくらいどうにかして、本を奪う事は出来ないモンだろうか?と思いました。

 

この後、真っ赤な司祭服に着替えたコービスが何やら儀式を始める。必死でメダルを握りしめ祈りを捧げるマーク。そこに母親登場。両目が無くなり、すっかりコービスの仲間となっていた。教会の外に逃げ出すも捕まってしまうマーク。ここ迄の展開は、おかしな点も多々有るが、勢いが有って、後半のクライマックスです、って見せられてもおかしくないのだが、あくまでも冒頭です。

 

マークには、大学で超能力の研究をしている、トムと言う弟がいる。妻のジュリーは過去視(ポストコグニション)の能力を持っている。この能力、過去の出来事を描く為だけの設定で、別に無くても良い様な気がするんですけど。普通に回想シーンで過去を描けば良かったんじゃ…。何か、ミステリアスな要素を追加したかったのだろうか?

 

この後、囚われの家族を取り返そうと乗り込んだトムとジュリー夫婦(ハンナ・バーベラのアニメみたいな名前)達と邪教集団との微妙な攻防が有り、とうとう原題のデビルズレインの登場であります。山羊の角をかたどった、中央がガラスになっている壺のがその正体。タロットカードの悪魔でお馴染み、バフォメットを模している、って事だろう。中には人の魂が閉じ込められ、雨に打たれて苦しんでいる。どうやら、地獄に落とされた者がここに入れられ、現世に生きている者と魂の交換で甦って来る仕組みらしい。

 

壺を壊されクライマックス。いよいよ、大勢の人達がドロドロに溶けて行くシーンの始まり。屋根が壊れ、大雨が降り注ぎ、信徒達は次々に溶けて行く。ネタばらしになっちゃうけど、劇場公開当時の宣材写真でも、ココを前面に押し出して、最大の見せ場を惜しみなく晒していたからイイでしょう。

 

この溶けるシーン、今観ても結構インパクトのあるシーンとなっている。子供が観たらトラウマになりそうである。そんな特殊メイクを担当したのは、エリスとトムのバーマン兄弟。トム・バーマンは『血のバレンタイン』(1981年)で、殺人シーンの特殊メイクでやり過ぎて、当時、日本での劇場公開版以外はカットが施されてしまった事も有った。六年前の本作でも、そのヤバさが垣間見られる。

 

監督はロバート・フュースト。代表作はヴィンセント・プライス主演の『怪人ドクター・ファイブス』と、その続編。その二作のヒットでアメリカに招かれ、本作の監督に起用されたとの事。一部で人気の『女子大生・恐怖のサイクリングバカンス』を撮ったのもこの人。本作、全米公開時にはかなりヒットした様で、当時のチラシには「75年8月の “バラエティ” 紙によれば「ジョーズ」につぐ興行成績を上げている」そうである。しかし、批評家からは酷評されてしまう。制作資金をマフィアが供給していた、とも言われており、悪いイメージが付いてしまったのか、ロバート・フューストは、この後はテレビの仕事ばかりになってしまう。劇場用作品としては、『 Three Dangerous Ladies 』と言う、日本未公開のオムニバスホラーの一話と、ソフトコアポルノの様な『聖女アフロディーテ』の二本のみ。イギリスでは人気テレビシリーズ『おしゃれ㊙探偵』の監督をしていたりして、評価されていたんだろうになぁ。ちょっと可哀想な人である。

 

マーク役のウィリアム・シャトナーは、テレビシリーズの「スタートレック」のカーク船長で人気を博したが、番組終了後は低迷し、劇場版『スタートレック』でカーク船長に復活するまでは、主に低予算のB級映画で活躍。本作出演時は、ちょうどキャリアのどん底の頃である。

 

実質的な主人公トム役のトム・スケリットは『エイリアン』で船長役を演じていた人。

 

母親役のアイダ・ルピノは1930年代から活躍するベテラン。テレビドラマ『ミステリーゾーン』の第4話「スクリーンの中に消えた女」に主演。更に、第145話「生きている仮面」では監督を担当している。こちらは監督のみ。アイダ・ルピノは、1950年代から監督もする様になり、初期は劇場用作品を、後は主にテレビドラマのエピソードを監督する様に。結構な本数を監督している。

 

邪教の司祭コービス役はアーネスト・ボーグナイン。前回紹介した『未来元年・破壊都市』では出番が少なかったが、今回は出ずっぱり。そのアクの強いご面相で、完全に主役を喰っているが、本人曰く「ギャラは支払われなかった」とか。映画、テレビドラマ問わず、かなりの作品に出演したが、意外なトコでは、最晩年(2012年、95歳で逝去)に、アメリカの人気アニメ『スポンジ・ボブ』に「マーメイドマン」役で15回ほどゲスト出演している。

 

本作は、ジョン・トラボルタの劇場用作品初出演作。邪教の信徒役なのでメイクが施されていて分かり辛いけど、割れたあごで確認出来ます。信徒の中では目立つ行動を取る、唯一と言っても良い存在なので、そうと知っていれば分かり易いです。エンドロールでは9番目にクレジットされている位目立ってます(素顔以外)。

 

本作には、当時サタン教会の開祖にして司祭長だった、アントン・ラヴェイがテクニカル・アドバイザーとして参加、教会内のデザインなどを手掛ている。掲げられているシンボルマークは、まんまサタン教会のシンボルマークである。しかも教団のナンバー2として出演もしている。仮面で顏が半分隠れてるけど、あのあごひげの男がそうだろう。パイプオルガンが得意だったらしいので、劇中で弾いているのは本人か?とも思ったが、弾いてはいないな。本物じゃないだろうしね。

 

このアントン・ラヴェイの考えは、悪魔を崇拝し世の滅亡を願う様な物では無く、神も悪魔も信じていない、反宗教的なものと言った感じ。戒律で縛る宗教への不信や、信者が必ずしも清く正しい行いをしていない事への疑問から、従来の宗教を否定する事を始めた様で、どちらかと言えば人間と言う存在そのものを肯定する感じかなぁ。欲望が有るから人間である、みたいな。サタニズムだ、オカルティズムだって言うと、何ともオッカナイ感じではあるが、案外真面目な印象を受けるんだけどね。

 

まぁ、いずれにせよ、当時有名なサタニストが協力したって事が、オカルトブームの中で宣伝効果を挙げたのは間違いないだろう。アントン・ラヴェイは、他にも田舎町を無人のリンカーンが襲う、当時流行りの「オカルト」+「カークラッシュ」モノを合体させた『ザ・カー』(1977年)でもアドバイザーとして関わっている。ケネス・アンガー監督の『我が悪魔の兄弟の呪文』(1969年)では、本人そのものの様な役で出演。これが、映画絡みでは一番重要かも?

 

映画の出来に関しては、そこそこと言った所だが、オチも実に良いと思うし、何よりも「溶ける」トコと、ボーグナインさんを堪能して欲しい。そんな映画です。