トッド・ブラウニング。本名チャールズ・アルバート・ブラウニング。1880年生まれ(一説によれば1874年)のアメリカの映画監督。
「トッド」は古英語で「狐」「トリックスター(詐欺師や手品師の意味だが、神話などの中では人類にとって有意義な発見や発明をする存在であると同時に、既成概念や社会規範を壊す存在の意味も持つ)」、ドイツ語では「死」を意味する。
十代で旅回りの一座に加わり、宣伝係や見世物の演者などを経て、Ⅾ・W・グリフィス監督に見出され映画界へ。短編のコメディ映画に50本程役者として出演した後、監督となる。因みに役者として出演もしている、グリフィス監督の超大作『イントレランス』では、「現代編」の助監督を務めている。
アメリカでは1920年代が映画の黄金時代と呼ばれている。その少し前、1913年に役者として映画界に入り、1915年に監督の仲間入りをしたブラウニング。1910年代後半には、監督としての評価も高まり、アメリカ映画黄金時代に、作品の評価は賛否両論ながらも着実に実績を重ねて行ったのである。
そして、1931年の『魔人ドラキュラ』でホラー映画史にその名を残し、翌1932年の問題作『フリークス』で映画監督としてのキャリアに止めを刺す事になるのであった。この様に書くと、『フリークス』が最後の監督作みたいだが、会社との契約上、あと三本監督をする事になっていたのと、上層部に頼み込んだ事も有り、業界を去るまでに、その後四本の監督作を残している。1939年に、最期の監督作『帽子から飛び出した死』を監督。その後数本の脚本を書くも採用される事は無く、1942年1月3日MGMを解雇され、引退する事となった。
ブラウニングは『魔人ドラキュラ』以前にも吸血鬼映画を監督している。1927年の『 London After Midnight 』である。この作品がアメリカ映画史上初の吸血鬼映画と呼ばれている。しかし、厳密に言うとこの言い方は少し正確ではない。ヨーロッパではそうでも無かったのだけれども、当時のアメリカでは、超自然的な出来事を映画で描く事に抵抗が有った様で、あくまでも現実的なオチが付けられていた為である。詳しい事は後述します。
『 London After Midnight 』は1965年8月10日、カリフォルニア州カルバーシティのMGMの倉庫の火災により、オリジナルフィルムが消失。現在までフィルムが発見されておらず、幻の映画となってしまっている。2002年、サイレント映画の保存、修復の専門家リック・シュミドリンが、残されているスチール写真をもとに45分の再構成版を作成した。音楽を付けて、それなりな感じになっているが、映像が動かないので、残念ながら満足の行く物では無い。どっかのマニアが、内緒で秘匿していそうな気もするんだけどね。世界中でヒットしたんだから、上映用フィルムだって相当数作られたと思うんだよなぁ。いつの日か世に出て来る事を願うばかりである。
『フリークス』の興行的失敗と酷評で、立場が怪しくなって来たブラウニングが、ヒット間違い無し、と企画したのが、大ヒットした『 London After Midnight 』のリメイクである。因みに、『フリークス』に関して、「興行的失敗と酷評」と前述しましたが、客の入りも地域によって極端に開きが有り、評価も見事に真っ二つだった様である。全体として見れば興行的失敗と言うのは間違い無いのだろうし、影響力を持つ団体から非難されれば、全体の評価が低くなるのも致し方ない事であろう。声の大きい者の意見が通るのである。
オリジナル版『 London After Midnight 』ではロン・チェイニーが演じていた吸血鬼役に、『魔人ドラキュラ』でドラキュラを演じたベラ・ルゴシを配し制作したリメイク作品、それが今回紹介する『古城の妖鬼』(『 Mark of the Vampire 』 1935年 アメリカ )であります。
リメイクなので、内容は『 London ~』とほぼ一緒。『 London ~ 』の事を調べると、必ずネタばらし的にオチまで書かれているので、ここでもネタばらしをしてしまいますが、『 London ~ 』と本作には本物の吸血鬼は出て来ません。殺人事件の犯人を炙り出す為に、探偵や依頼された人物が吸血鬼に化けていた、と言うのがオチ。先程、「最初の吸血鬼映画と言う呼び方は正確ではない」と書いた理由はそこである。
『魔人ドラキュラ』の前ならそれでも良かったのだろうが、「本物の」吸血鬼を描いてしまった後にそのオチでは観客も納得いくまい。一応、制作費を上回るヒットにはなり、制作会社のMGMに対して、ブラウニングは辛うじて面目を保てた形にはなった。本作の評価の大半は好意的ではあったが、「オチが竜頭蛇尾である」「取るに足りない」「ホラー映画と言うジャンルをぶち壊しにしたホラー映画として記憶に残るだろう」など、散々な評価もされている。
本作の内容に関しては、前述の通り、殺人事件の犯人捜し。ちょっと分かり辛いのが、ベラ・ルゴシ扮する吸血鬼モラ伯爵の設定だと思う。モラ伯爵は、右のこめかみから血が流れている姿で登場する。「こめかみに傷が有るから、モラ伯爵に間違い無いです」などと言うセリフは有るが、一切傷に対する説明が無いので、何のこっちゃである。実は、娘のルナと伯爵は近親相関関係にあり、伯爵は拳銃自殺した後に吸血鬼の仲間となった、と言う設定が有ったのである。ところが、撮影中にその過去を説明する場面は削られる事となる。しかし、傷だけは残されてしまったので、何でこの吸血鬼、こめかみから血を流してるの?って事になったしまったのである。
ルナをメインとした旅回りの一座が吸血鬼を演じた、ってオチな訳だけど、伯爵役を演じたベラ・ルゴシが、最後に「新作が思いついた。次回作では吸血鬼役をやるぞ」なんて言っているのは、セルフパロディとして面白いんじゃないかと思うんだけど、当時は受けなかったんだろうなぁ。『魔人ドラキュラ』からまだ四年しか経ってないからねぇ。怖い印象が拭えていない段階では、シラケる人も多かったのかもね。と、言うか当時はまだ、セルフパロディや楽屋落ちみたいなのも珍しかったのかも。この辺りも、「既成概念や社会規範を壊す存在」の名を名乗ったブラウニングらしいではないですか。
トッド・ブラウニングの作品は賛否両論になる事が多いのだが、ブラウニングが監督として活動した時期は1910年代半ばから1930年代の終わり迄である。まだまだ映画会社も、観客も批評家も、「健全」な作品を求める事が多かったのではなかろうか?ブラウニングは、そこに果敢に挑み(単に自分の趣味だった、と言う事も有るだろうが)、現実社会の闇の部分を描き出した。今も同じだとは思うが、「健全」な映画を求める人々には受け入れられ辛いであろう。
1962年のヴェネチア映画祭での上映を機に、『フリークス』が再評価される事となった背景には、1950年代後半辺りから徐々に映画の多様化が進み、様々なタイプの作品が登場する様になった事が挙げられるのではないかと思う。それともう一つ、この時期世界では、妊婦が睡眠薬サリドマイドを服用した際に、胎児に先天的な四肢欠損を及ぼす、と言う事件が問題視され出した頃だった、と言う事も挙げられるのではないだろうか。この様な事も、『フリークス』を「見せるべきではない映画」から、「ちゃんと向き合うべき作品」へと評価を変えた一因と言えるのかも知れない。
100年近く前から人間の闇を描く事に拘ったブラウニングの作品は、現代の方がより魅力的に我々の心を捉えるのではないだろうか。しかし、ロン・チェイニーとコンビを組んで撮った、キャリアとしては中期に当たる作品が、日本では全くと言って良い程観る事が出来ないのが現状である。何とかして貰いたい物である。
『フリークス』の再評価から、既に60年が過ぎた。今こそトッド・ブラウニングを真に評価する時ではないかと思うのだが。