デフ-コン4 ~集団の力は良い方向に作用して欲しい~ | つれづれ映画ぐさ

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忘れ去られそうな映画を忘れ去る前に

第二次世界大戦終結直前から、米ソを中心に続いた東西冷戦も、1989年マルタ島に於ける、ソ連のゴルバチョフ書記長とアメリカのジョージ・H・W・ブッシュ大統領の会談に於いて、終結を宣言した事で終わりを迎えた。1991年、ソ連ではエリツィンが大統領に選出され、国名を「ロシア共和国」に改称、バルト三国が独立を果たした。そして、この年の暮れにソ連は消滅した。だからと言って、世界に平和が訪れた訳でも無いのは皆さんご存じの通りである。

 

映画界では、44年続いた冷戦の間に、直接的、間接的は問わず東西冷戦を題材にした映画が数多く作られてきた。『マッドマックス2』に代表される、核戦争後の世界を描いた作品も、睨み合いの「冷戦」が軍事力を行使した「熱戦」になってしまった成れの果ての世界の話である。核兵器に対する脅威は現在でも変わらないが、この冷戦時代は、所謂「鉄のカーテン」に拠り、東西両陣営がはっきりと分断されており、ソ連を中心とした東側陣営は、西側諸国からすると謎の多い不気味な国家との印象だった。敵としての存在感が充分過ぎるほど有ったのである。

 

と、言う事で、今回紹介するのは、核戦争後の世界を舞台の映画、『デフ-コン4』 ( 『DEFCON-4』  1985年  カナダ )であります。決してサモ・ハン・キンポーの 『燃えよデブゴン4』 と間違ってはいけません。『~デブゴン4』 は 『ピックポケット!』 のテレビ放映題である。

 

本作が制作された1985年は、ソ連でゴルバチョフが書記長になった年である。世界は徐々に変わりつつあったが、冷戦終結はもう少し先の事。まだ米ソによる第三次世界大戦の危機を感じていた時代だったのである。

 

タイトルにあるデフ-コンとは、「Defense Readiness Condition」の略で防衛準備態勢の事。戦争への準備態勢を5段階に分けたアメリカ国防総省の規定で、デフコン5からデフコン1に向かって平時から非常時へと段階が進み、本作のタイトルの「4」は、情報収集の強化と警戒態勢の上昇を意味している。

 

核兵器を搭載した人工衛星に詰めている三人。主人公ハウ、女医のジョーダン、船長のウォーカー。極秘任務なのか、ハウの妻は地上から受信したビデオメッセージで、「あなたが失踪して~」とか「死んだと思う事にする」とか言っている。核ミサイル搭載してるからねぇ、やっぱり極秘なんだろうな。

 

中東のゲリラに、核ミサイルの輸送機がジャックされて、その内の一発がソ連領土に落ちる、と言うアクシデントで物語が動き出す。幸いにも不発だったが、ミサイルはソ連が回収。そう言ったゴタゴタで、核ミサイルの撃ち合いになった、って事なのかねぇ。物語は核戦争後の地球の話なので、戦争に至る細かい事情は端折ってOK、って事で。タイトルの戦争準備態勢が、下から二番目の平時に近い「4」なのは、既に戦争が終わった後の世界が舞台だからなんだね。

 

宇宙空間の人工衛星に居て、地上が破壊されていく様を、レーダーによる情報で知る事になって行く。大都市や自分の故郷が壊滅し行くのを、遥か宇宙空間で知る事になる。無情だよね。ハウの妻は、誰も聞いていないかも知れない宇宙に向かって、電波放送を飛ばし続けていた。上手くキャッチしたその内容は悲惨極まりなかった。「放射能で遺伝子が変化したウィルスによる伝染病が流行り、その病気に罹って、自分達の赤ん坊が殺された」「自分も収容所に入れられるから脱走する」など。声を拾えたのは良いけど、余り聞きたくなかった報告だよ。いたたまれないよ。取り敢えず地上の現状は分かったけど。

 

地上に戻りたいハウとジョーダン、反対するウォーカー。しかし、揉めている内に、人工衛星が地上から誘導され、地球に引き寄せられる事態に。搭載された核ミサイルを発射、自爆させるが、一発だけは不発で、積んだまま地球に落下する事になってしまう。核ミサイルを狙って、人工衛星を地球に呼び寄せた輩が居たのである。

 

人工衛星の落下地点辺りを牛耳っていたのは、軍のお偉いさんの息子、どうしようもないクソガキである。こやつが核ミサイル目当てに人工衛星を誘導したのである。集落を作り、一般人を奴隷として使っている。捕まってしまったハウ達や、数少ない反抗者は、無事に集落を逃げ出せるのであろうか?不発弾はどうなるのか?と、まぁそんな感じの内容です。

 

しかし、このクソガキや取り巻きの手下どもが、どうしようもないクズなのは当然として、そこに住んでいる奴隷の様な住民達も、捕まえてきたハウ達四人の死刑宣告で大喜びの大興奮、ってのはどうなのよ?なんか、言わされてる感は無かったけど。

 

制作、監督、脚本はポール・ドノヴァン。製作会社のサルター・ストリート・フィルムズ・インターナショナルは、ポールとマイケルのドノヴァン兄弟が1983年に設立した会社。社長は監督のポールである。第二回制作作品が本作 『デフ-コン4』 である。では、第一回制作作品はと言うと 『真夜中の処刑ゲーム』 ( 『Self Defense』 1983年  カナダ )と言う作品である。日曜洋画劇場で放映され、一部でカルト的人気を博している本作、かつて 『反撃』 と言うタイトルでビデオ発売されていた様であるが、筆者はそのビデオ、全く知りませんでした。

 

では、その 『真夜中の処刑ゲーム』 とはどう言う映画なのか。

 

1981年にカナダのハリファックスで、警察官に拠るストライキが発生した。警官がストライキ中なので、商店から商品を略奪したり、公道レースを始めたり、と警察署の周辺地区では人々が暴徒と化した。53日間続いたストライキで、暫く町は混乱状態だった様だ。事件後、警官の賃金はアップした模様である。恐らく、市民が暴動を起こした為であろう。日本ではこうはならなそうである。このストライキ事件に触発されて制作されたのが、この 『真夜中の処刑ゲーム』 である。ストライキの話ではなく、ストライキ中の或る一夜の出来事を描いている。ストライキ中なので警察が出動しないって言う設定。因みに、映画の冒頭で流れるのは、このストライキの本物のニュース映像である。

 

極右集団って感じの、町の労働者階級然としたオッサン連中が、ゲイバー(マスターがゲイってだけで、ごく普通のバーである。オネエが歌ったり踊ったりする様な店ではないです)に、各々手に手に鉄板巻き付けた角材やバールを持って押し入り、「俺達はニューオーダー(新秩序)だ」とか頭の悪い事言って、乱暴狼藉を働く。迷惑な話である。マスターは抵抗をするも殺されてしまう。こう言う連中って、自分達の行動や言葉に自己陶酔して、ドンドン行動がエスカレートして行ったりするから、実に厄介極まりない。その中のリーダー格の男は、家を出る前に、カミさんの作ったサンドウィッチが気に喰わない、ってブチ切れて、カミさんが作った陶芸品を角材でメチャメチャに壊したりしていた。キレやすくて制御が効かない性分らしいので、一度病院を受診する事をお勧めしたい。

 

結局、困ってボスを呼ぶ。このボスが何者なのかは分からないんだけど、縛り上げて座らせたお客さん達を、冷酷に次々と射殺していくのだった。最後の一人が隙を見て脱出。主人公の住むアパートの一室に逃げ込むのだった。

 

そして、アパートに立て籠もらざるを得なくなった主人公達と、暴漢達との攻防が始まるのだった。と、こんな感じ。この後の、暴漢側の本格的な軍用の銃火器に対して、主人公側のお手製の武器がどこまで通用するのかが見所。

 

今回紹介した二作に共通するのは、ごく普通の一般大衆の危うい脆さが描かれている所だと思う。『デフ-コン4』 では、一般大衆が、悪のリーダーに、虐げられても付き従っていたかと思えば、クーデターを起こしたハウにも簡単に扇動されてしまう。『真夜中の~』 では、ごく普通に町で生活している人達の中の危険思想の持ち主が、何かを切っ掛けに自分の掲げる「正義」を振りかざし暴れ出す。恐らく自分一人では遣れなくても、大勢集まったら勢いに乗って遣ってしまう。集団の力の恐ろしさを感じるのである。

 

この二本の映画から、監督のポール・ドノヴァンって案外社会派なのではないか、と勝手に想像していた。そうしたら、実際マイケル・ムーア監督がそう言う所を見込んで 『ボウリング・フォー・コロンバイン』 制作時に、ドノヴァン兄弟の会社サルター・ストリートに出資の協力を依頼。ドノヴァン兄弟はそれを受け出資。マイケルは製作者に、会社は制作会社として 『ボウリング~』 に名を連ねている。『ボウリング~』 は、アメリカの銃社会の問題を描いたドキュメンタリー作品。一般市民の銃に拠る暴力、と言う点で今回取り上げた二作品に共通する部分も在ると思う。社長でもあるポール・ドノヴァンの事を、制作に全責任を負う覚悟を持った、独立系社会派娯楽映画作家と言ったら言い過ぎであろうか?その後も順調にキャリアを重ね、近年ではテレビのヒットシリーズを手掛けたりもして頑張っているみたいである。

 

本作は、四十年近く前の映画だが、近年の世界の状況も、相変わらず差別的で暴力的である。人間は進歩しないのであろうか?筆者が生きている間に、幾らかでも良くなった世界が見られる事を願うばかりである。