あの世の7次元世界 菩薩界③ 「永遠の法」より

 

 

 

いつもブログをお読みいただきありがとうございます。

 

人生の「疑問」「悩み」「苦しみ」「問題」が仏法真理を知ることで解決できれば幸いです。

 

「5次元善人界」の記事がよく読まれていますので、その上の世界 「6次元光明界」、「7次元菩薩界」について、数回に分けてお伝えしていきます。

 

この3次元世界(魂の修行の場)を超えた、四次元以降の実在界の真実は。

 

 

 

地獄界の増大と悪のまん延のなかで

 

 

今、地獄界の増大と、地上世界における、生きている人たちの心の在り方の、悪のまん延に、たいへん心配を重ねています。

 

 

どうか、人々に、強くあってほしいと思うし、「目に見えない世界が本当の世界で、目に見える世界が仮の世界だ」という、実に、この世的に足場を置いている者にとっては、分かりにくいことではあろうけれども、

 

 

「この世で目が見えている者が実は見えていなくて、この世のものでないものが見えている者が、本当に目が見えている者である」という、逆説的な真理を学んでいただきたいと思います。

 

 

これさえ分かれば、すべての宗教の根本にあることが、その意味が分かると思います。

 

 

この世のあらゆる苦しみや悲しみも、来世以降の幸福のためにあるものです。ですから、この世の苦しみや悲しみを、そのまま、自分の人生と同一視してはなりません。

 

 

経験は経験―。しかし、そこから学び取ってこそ、真実は光ってくるものだということを、忘れないでいただきたいと思います。

 

 

これから、真実への戦いの時代に入っていきます。まだまだ、私の思いとはるかにかけ離れた現実が維持されております。

 

 

どこまで我慢できるかは分かりませんけれども、ただ、危機は近づいているし、現に今、起きている。

 

 

今、危機のなかを走っているのだということを、知っていただきたいと思います。

 

 

本当に尊いものを尊いものとして、尊くないものを尊くないものとして、見分けていくことを望みたいと思います。

 

 

Happy Science『地獄の法』救世主からのメッセージ より

 

 

 

 

霊界は、完全に、信仰の偏差値による輪切りの世界

 

3次元:地上界

4次元:精霊界、地獄界

--------------------------------

5次元:善人界(ここからがいわゆる天国)

6次元:光明界(各界の専門家達の世界)

7次元:菩薩界(ここからが天使の世界)

8次元:如来界

9次元:宇宙界

 

 

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Happylife-Happyhealth

今日のブログは、Happy Science『永遠の法』より ”あの世の7次元世界 菩薩界③“ をご紹介いたします。

 

 

あの世の7次元世界 菩薩界③ 「永遠の法」より

 

 

 

目次

⑦偉人の生涯

⑧仏の心の体現者として

⑨魂の違い

⑩愛を超えるもの

 

 

 

⑦偉人の生涯

 

 

ここで、私は偉人の生涯に関して触れざるをえません。人類の歴史を見ると、さまざまな偉人がいます。もちろん、それは単に宗教家だけではありません。

 

 

他の領域にも立派な方がいます。世の人びとを導く愛に生きた、愛そのもののような方がたの生涯を、深く考えてみなければならないのです。

 

 

彼らは単に男女の愛や夫婦の愛に生きたわけではありません。また、単に親子の愛に生きたわけでもありません。むしろ、その逆のなかにも愛があるということを、教えてきたのではないでしょうか。

 

 

イエスにしてもそうです。親子の愛ということで考えてみれば、彼は親不孝と思われるような行動をずいぶんとり、決してよい息子ではありませんでした。

 

 

大工の息子として生まれたのですから、よい大工、よい跡継ぎとなり、結婚をし、子供を育て、何十年ものあいだ一家を支えていけば、彼はよい息子だったでしょうが、

彼の生涯はそういうものではありませんでした。

 

 

のちの世で聖母マリアとして慕われるようになる母親に対しても、イエスはずいぶん失礼なことを言ったことがあります。

 

 

『人間の魂は天から来るのであって、人から来るのではない。したがって、ご婦人よ、あなたは肉体的には私の母であるが、魂としては私の母ではない。そのことを知りなさい』とイエスは言いました。

 

 

この世的に見れば、ずいぶんと親不孝な言い方です。

 

 

また、兄弟との仲についてもいまひとつでした。イエスには四人の兄弟がいたのですが、彼らはいわば凡人でした。イエスの家族のなかで、イエスだけが傑出した人物としてでたわけです。

 

 

彼の父であったヨセフも、ほんとうの意味ではイエスを理解しませんでしたし、イエスの兄弟たちも彼を理解しませんでした。「大工の手伝いをしないで、新興宗教のようなことをやりはじめ、訳の分からないことを言っている、つまらない兄だ」とイエスは言われていたのです。

 

 

しかし、彼はもっと高次な愛のために生きていました。全人類を救うために、彼は生きていたのです。このように、家庭愛、兄弟愛、親子の愛を超えた愛もあるのだということを知らねばなりません。

 

 

これと同じことは、ゴータマ・シッダールタ、すなわち釈尊においても言うことができます。釈迦牟尼仏の生涯を見てみると、彼は二十九歳で、居城であるカピラヴァスツを飛び出しています。

 

 

妻と子を捨て、父の願いを振り切っての出荷でした。そして、彼は山中で六年間の修行をしました。釈尊は王子であり、王家の跡を継ぐ予定になっていたのに、それを袖にして家を飛び出したのですから、この世的には大変な親不孝者です。

 

 

また、ラーフラという子供とヤショーダラーという妻がありながら、彼らを捨てて家を出て、成道するまでカピラヴァスツに帰ってこなかったのですから、男女愛、夫婦愛のこのうえない破壊者であり、親子愛の放棄者でもありました。

 

 

ただ、釈尊の真意は、親子の愛や男女の愛を否定することではなかったことは事実です。そうしたものは、より高次なものへの奉仕のために、やむをえず切らなければならなかった絆だと言えます。

 

 

王家のかなで生きていては、仏陀としての悟りを得ることもできないし、仏陀の教えを人に説くこともできない、王子でいては法を説くことができない。当時はそうした時代環境があったことを見逃してはなりません。

 

 

また、教団が確立してからは、妻子を呼びよせ、弟子の一員に加えて面倒をみている点や、釈迦族の青年たちや女性たちの多くを教団に受け入れていることも、指摘しておかなければなりません。責任感のある人だったのです。

 

 

現代や後代の人びとの努力目標としては、妻の愛や親子の愛を否定してまで道を求めねばならないというのは、もちろん酷でしょう。できるならば、家庭環境、親子のあり方、仕事、職業を充分に考え、家庭を調和しながら世を救っていくのが、普遍的なかたちとしての愛でしょう。

 

 

しかし、偉人たちのなかには、そうした例外的な愛の体現者もいるということを忘れてはなりません。そして、彼らの生涯が、「存在の愛」として、あの太陽や星のように人類の行く手を照らしていることもまた事実なのです。

 

 

こうした偉人たちの生涯に対して、人類は大いなる敬意を払う必要があります。

 

 

 

⑧仏の心の体現者として

 

 

偉人の生涯を考えてみたわけですが、結局、彼らがこの世的なる愛を無視してまで生きた、そのほんとうのよりどころはどこにあったかと言えば、より高次な愛に生きる者としての生涯の自覚であったと言えましょう。

 

 

より高次なるもののために、低次なるものを犠牲にしたということです。すなわち、人間に対する愛よりも、仏に対する愛のほうが大きく重いということなのです。

 

 

人間に心はさまざまに揺れます、さまざまに揺れる人間の心を基準として、その心に合わすべく愛に生きているのと、常に変わらない、永遠に変わらない、仏の心を基準として愛に生きているのとでは、やはり、そのあり方に違いが出てくるのではないでしょうか。

 

 

ほんとうの永遠の愛、ほんとうの不変の愛は、仏の心の体現者としての愛です。仏の心をわが心としていきるなかに、真実の愛というものはあるのです。

 

 

男女の愛、親子の愛、兄弟の愛、これらは否定されるべきものではなく、大切にしていかねばならないものです。しかし、それらは、より高次な愛、仏を愛するということへのステップ、準備として、人間に本能的に与えられているものなのです。

 

 

そこで、「仏の愛」と「仏への愛」について考えてみましょう。

 

 

仏は人類を広大無辺な愛で包んでいます。この広大無辺な愛は、愛してほしいと思って愛される、そうした愛ではありません。与えたり与えられたりするような愛ではなく、与えきりの愛です。

 

 

あの太陽が、一円のお金も取らずに、無限のエネルギーを、地球および地球に生きる動植物や人間に与えているように、仏は与えきりの世界において、ただ愛として、最大の「存在の愛」として、輝いているものなのです。

 

 

みなさんは、この仏の愛というものに気づかねばなりません。「それだけ与えられているのだ」ということに気づかねばなりません。

 

 

それだけの愛を与えきっている仏に対して感謝の念を持たなければ、仏の子とは言えないのでないでしょうか。それだけの素晴らしい愛を、毎日毎日、休みなく与えられていながら、それに対して何も感じないのは、人間として恥ずかしいことではないでしょうか。

 

 

世の多くの人びとは、無限の無償の「仏の愛」に対して、敬意を払うことが少ないようです。いや、むしろ、それに気がついていないことが多いように思います。

 

 

しかし、みなさんは、この仏の愛に気がつき、仏に愛されているという気持ちを、どこかに返していかねばならないのではないでしょうか。

 

 

人間は自分が親になると、子供のとき両親から愛されたように、子供を愛するはずです。仏というのは人類の父であり母であるのです。人類の両親なのです。

 

 

人類の両親である仏がこれだけ人類を愛しているのですから、この愛を人類はどこかに返していかねばならないのでしょうか。

 

 

すなわち、みなさんには、仏の子として生きる人間としての大いなる自覚が必要なのです。よい評判、人の優しい言葉や称賛を得たいがために愛するのではなく、仏に無限に愛されているから、みずからも愛を与えていかなくてはならないのではないでしょうか。

 

 

 

霊的な目で見てみると、人間は仏の愛を、放送局の電波を受けるアンテナのように受けているのです。それゆえに、「仏の愛をこれだけ受けているのですから、それをまたどこかに伝えていきましょう」と言っているのです。

 

 

みなさんは仏の愛を受けている以上、その愛を世の人びとに還元していかねばなりません。世の中に流していかねばなりません。上流から受けた愛を下流へと流していくのが、みなさんの義務だと言えるでしょう。

 

 

 

⑨魂の違い

 

 

ここで、魂の違いについても考えておきましょう。

 

 

人間の魂は仏の愛を受けるための器であると言えます。この器が小さいと、すぐにあふれてしまいますが、大きな器には仏の愛がたっぷりと宿るのです。

 

 

貯水池のダムさえ、満々とたたえた水が流れ落ちるときの力でもってタービンを回し、電力を起こしているではありませんか。それと同じように、人間も魂の器の大きさに合わせた “貯水池” を持っていて、たまった水の量に合わせた発電を行っているのです。

 

 

最大の貯水池を持っている魂は、九次元にいる救世主たちです。彼らは、満々と水をたたえた、他とは比較にならないほど大きな貯水池をもっているのです。

 

 

だからこそ、彼らがその貯水池から放出した水は、素晴らしい勢いでもって流れ落ち、タービンを回しているのです。かくして最大の水力発電が起き、この電力が全世界に伝わっていくのです。

 

 

このように、魂の違いによる愛の実践の差は、貯水池の水量の違いによる発電力の差と考えてもいいと思います。

 

 

また、水の落下する力を利用して水力発電を起こすのですから、貯水池が高いところにあればあるほど、つまり落下距離が長ければ長いほど、発電力も大きいということになります。

 

 

したがって、魂の高さも大切です。魂が高い境涯にあれば、すなわち、いちだんと高い人格を持っていれば、流れ落ちる水の勢いが大きくて、多くの電力を生みだすことができるのです。

 

 

それゆえ、より大きな愛を受けられる自分をつくるためには、「大きな器をつくる」「人格的な高さをつくる」— この二つに精力を注がなくてはいけないのです。

 

 

おおきな器をつくるとは、努力して、広い大きな人格を築いていくことです。包容力を大きくしていくこと、すなわち、すべてのものを包み込み、抱きしめるような大いなる包容力を築いていくこと、これが修行の一つです。

 

 

さらにいま一つの修行は、ダムを高くしていくこと、すなわち、刻苦勉励して、自分の魂を一歩一歩、仏の方向へと高めていくことであり、この作業が、悟りを求める魂修行でもあるのです。

 

 

では、悟りとは、いったい何なのでしょうか。何をもって悟りというのでしょうか。悟りとは、実は、仏法真理を吸収し、それを実践していくときに得られる「魂の糧」なのです。仏法真理の吸収と実践を通して得られる糧、経験 — これが悟りです。

 

 

したがって、みなさんは常々、仏法真理を吸収しつつ、それを実践し、行いに現して、そのなかで愛を広げていく必要があります。そして、包容力を増し、魂の高さを高めて、広大な貯水池をつくっていかなくてはならないのです。

 

 

 

⑩愛を超えるもの

 

 

七次元世界を貫く「愛」について考えてきましたが、愛というものは、ある意味では相対的に動くものです。人間と人間とのあいだに働き、人間と動植物とのあいだ働き、それらのあいだに生ずるものが愛です。それ自体での愛、そうしたものではなかなかありえないのです。

 

たとえば宝石はそれ自体で輝きを持っていますが、愛はなかなかそうはいきません。相互に通い合う愛、互いに与え合う愛――。ここに愛の本質があるようです。

 

 

といっても、相互の相対的な愛だけがほんとうの愛なのではありません。燦然と輝くダイヤモンドのように、あるいは、朝日の光を受けてキラキラと輝く水晶のように、そこにあるだけで燦然とした光を放つような愛も、やはりあるのではないでしょうか。

 

 

この愛は、人間同士の愛、人間と動植物との愛、あるいは鉱物や物体に対する愛を超えたものではないでしょうか。

 

 

愛を超えるものとは、いったい何でしょうか。これに対する答えを出さなければならないでしょう。愛をこえるもの―—それは「慈悲」です。

 

 

ダイヤモンドは燦然と輝いていますが、何かをもらいたくて輝いているわけではありません。ただ永遠に輝いているのです。

 

 

誰かから何かを与えてもらうためにではなく、ただ輝いているなかに、愛を超えた大きな愛があります。無償にて与えつづける愛、毅然として存在する愛―—この愛のことを慈悲といいます。

 

 

たとえば、山間の渓谷を歩いていると、ひと息ついたとき、岩間にツツジやスミレの花が美しい色合いで咲いていることがあります。スミレの花はなぜ美しいのでしょうか。花々が咲くのは何のためなのでしょうか。

 

 

花は、咲いているということ自体のなかに、一つの存在を埋め込んでいます。そして、存在の重大さ、価値というものを、人びとに問いかけているのではないでしょうか。

 

 

谷間のユリのように、ただ咲いている。ダイヤモンドのように、ただ光っている。ここに愛を超えるものの存在を感じます。

 

 

与え合うものではなく与えきるもの、存在自体が愛であるようなもの―—これを慈悲というのです。慈悲とは、相手の存在にかかわらず価値があるものです。

 

 

愛を超えるものとは、この慈悲なのです。

 

 

結局、慈悲とは「存在の愛」であり、存在そのものが愛となる、その人がいることだけで愛となるようなものです。

 

 

こうした存在の愛は、結局のところ、仏に近い境涯なのです。仏は、在るだけで、愛を万物に与えていくのでないでしょうか。仏が存在すること自体が万物への愛なのではないでしょうか。

 

 

存在の愛としての慈悲——これが人と人とのあいだに生ずる愛を超えるものです。だから、みなさんはこの慈悲の世界へ踏み入っていかねばならないのです。

 

 

 

Happy Science  経典『永遠の法』あの世の7次元世界 菩薩界③ より 

 

 

                            

 

 

 

仏法真理の基本的考え方

 

正しき心の探求としての「四正道」

幸福になるための四つの道

 

 

正しき心とは、身近な言葉で言えば良心のことです。

その究極が、仏の御心、創造主エル・カンターレの御心です。

 

正しき心の探求をしていくことが、本当の幸福への道なのです。

 

 

「四正道」の四つとは、「愛」「知」「反省」「発展」です。

 

 

① 「愛」とは、人から「もらう」ものではなく、相手の幸福を願って「与える」ものです。

 

与えきりの気持ちで、相手を幸福にしていく行為です。これを「与える愛」と呼びます。

 

 

② 「知」とは、「知は力なり」—— 「仏法真理」を学ぶことで悩みを解決でき、「智慧」が得られます。

 

仏法真理は、そのための最高の教科書であり、参考書でもあるのです。

 

 

  「反省」とは、人間には自由意志があり、その分、幸福感も生まれますが、間違いを犯すこともあります。

 

反省は、心の間違いを修正し、明るい未来を開く道具です。たとえて言えば、“消しゴム”のようなものです。

 

 

④ 「発展」とは、「利自即利他」—— 信仰を通して得られた、自らの幸福や成功を、周りの人へ広げていくことです。

 

この地上においても、幸福な人で満ちた世界を創ることです。

 

 

 

霊界の基本構造観

霊界は悟り(心の境涯)に応じた、多次元の階層に分かれています

 

 

3次元:地上界

4次元:精霊界、地獄界

--------------------------------

5次元:善人界(ここからがいわゆる天国)

6次元:光明界(各界の専門家達の世界)

7次元:菩薩界(ここからが天使の世界)

8次元:如来界

9次元:宇宙界

 

・霊界は、天国が圧倒的に広く、地獄はごく一部です。

 

 

四次元幽界の一部に地獄があります。そこは、悪想念の曇りによって、仏の光が射さなくなった暗黒の世界です。

 

 

ただし、地獄は、天国に対抗できるような大きな勢力ではありません。また、人間は地獄からこの世に生まれてくることはできません。

 

 

・あの世に還るときには、この世で生きた心境にふさわしい世界に還ります。

 

 

心の世界も、霊界と同じく、多次元構造をしています。私たちの心のなかに、天国があり、地獄があるのです。

 

 

その心に応じて、善い心で生きた人は天国に、悪い心で生きた人は地獄に堕ちることになります。

 

 

 

転生輪廻と守護霊

人間は、生まれ変わりを繰り返し、魂修行しています。そして、「魂の兄弟」の一人が、守護霊をしています。

 

 

・人間は、魂として ”永遠の生命” を持っています

 

 

人間の本質は霊(魂)であり、あの世が本来の住処です。

 

 

数百年に一度くらいのペースで、この世に生まれてきて、また、あの世に還っていきます。

 

 

これを「転生輪廻」といいます。

 

 

 

・転生輪廻の目的は “悟りの向上”

 

 

人間は転生のたびに、新しい環境に生まれ、新しい出会いや経験を経て、たくさんの魂の糧を得ることができます。

 

 

順境も逆境も悟りの向上のためにあるのです。

 

 

 

・あなたを幸福へと導くために守護霊が頑張ってくれています

 

 

この世の魂修行を、安全で有意義なものとするために、各人には、必ず一人、守護霊がついています。

 

 

私たちの魂は、原則、六人一組の「魂の兄弟」というグループをつくっています。そして、そのなかの一人が、守護霊を担当しているのです。

 

 

                                   

仏法真理は「真実を知ること」であなたを「幸福へ、健康へ、成功へ」導いてくれるのです。

 

 

『真実の世界、人生、幸福、健康に生きる方法』を知りたい方は、Happy Scienceの経典をご参照ください