あの世の7次元世界 菩薩界② 「永遠の法」より

 

 

 

いつもブログをお読みいただきありがとうございます。

 

人生の「疑問」「悩み」「苦しみ」「問題」が仏法真理を知ることで解決できれば幸いです。

 

「5次元善人界」の記事がよく読まれていますので、その上の世界 「6次元光明界」、「7次元菩薩界」について、数回に分けてお伝えしていきます。

 

この3次元世界(魂の修行の場)を超えた、四次元以降の実在界の真実は。

 

 

 

地獄界の増大と悪のまん延のなかで

 

 

今、地獄界の増大と、地上世界における、生きている人たちの心の在り方の、悪のまん延に、たいへん心配を重ねています。

 

 

どうか、人々に、強くあってほしいと思うし、「目に見えない世界が本当の世界で、目に見える世界が仮の世界だ」という、実に、この世的に足場を置いている者にとっては、分かりにくいことではあろうけれども、

 

 

「この世で目が見えている者が実は見えていなくて、この世のものでないものが見えている者が、本当に目が見えている者である」という、逆説的な真理を学んでいただきたいと思います。

 

 

これさえ分かれば、すべての宗教の根本にあることが、その意味が分かると思います。

 

 

この世のあらゆる苦しみや悲しみも、来世以降の幸福のためにあるものです。ですから、この世の苦しみや悲しみを、そのまま、自分の人生と同一視してはなりません。

 

 

経験は経験―。しかし、そこから学び取ってこそ、真実は光ってくるものだということを、忘れないでいただきたいと思います。

 

 

これから、真実への戦いの時代に入っていきます。まだまだ、私の思いとはるかにかけ離れた現実が維持されております。

 

 

どこまで我慢できるかは分かりませんけれども、ただ、危機は近づいているし、現に今、起きている。

 

 

今、危機のなかを走っているのだということを、知っていただきたいと思います。

 

 

本当に尊いものを尊いものとして、尊くないものを尊くないものとして、見分けていくことを望みたいと思います。

 

 

Happy Science『地獄の法』救世主からのメッセージ より

 

 

 

 

霊界は、完全に、信仰の偏差値による輪切りの世界

 

3次元:地上界

4次元:精霊界、地獄界

--------------------------------

5次元:善人界(ここからがいわゆる天国)

6次元:光明界(各界の専門家達の世界)

7次元:菩薩界(ここからが天使の世界)

8次元:如来界

9次元:宇宙界

 

 

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Happylife-Happyhealth

今日のブログは、Happy Science『永遠の法』より ”あの世の7次元世界 菩薩界②“ をご紹介いたします。

 

 

あの世の7次元世界 菩薩界② 「永遠の法」より

 

 

 

目次

④永遠の愛

⑤誰がために愛するのか

⑥救いの本質

 

 

 

④永遠の愛

 

 

男女の愛、あるいは夫婦の愛においては、排他性や独占欲が伴うことに言及しました。では、「こうした独占欲は自己保存欲なのか。こうした愛は許せないのか」ということについて考えてみましょう。

 

 

「万人を等しく愛することが人間の本質であるから、すべての人と平等に接しなければいけない」という考えも一方にはあるだろうと思います。

 

 

しかし、たとえば、妻が八方美人であって、夫に対しても他の男性に対しても平等に接するという事態は、何を意味するのでしょうか。あるいは、夫が、妻にも妻以外の女性にも平等に接するということは、何を意味するのでしょうか。

 

 

これは夫婦の共同生活の崩壊を意味するのです。

 

 

男女が共同生活をするというのは一つのルールです。なぜそうしたルールがあるかといえば、共同生活をすることによって、子供つくり、養い、家庭を築き上げていくことを計画しているからです。

 

 

もし、家庭が必要でなく、男女の存在理由は生物学的に子供を遺すことだけであって、かつてのプラトンが理想したように、国家が責任を持って子供を養い育てることが正しい姿であるならば、それこそ子供を遺すこと以外には男女の生き方がないことになってしまいます。

 

 

しかしながら、仏の心は、そうしたところにあるのではありません。仏は「一人の男と一人の女が協力して子供をつくり、何十年かに、わたって家庭を育んでいくところに、おおいなる収穫あり」と見ているのです。

 

 

すなわち、男女の愛にある排他性、他人を排除するような思い、あるいは独占性は、一見、自己保存欲、自我我欲のように見えますが、これは、もっと高度なもの、すなわち、大いなる家庭愛、家庭の幸せをもたらすために奉仕している最小限度の必要悪であると言えるのです。

 

 

狭い心のように見えるけれども、狭い心と見えしものが、さらに高次なものを生み出すために働いているのだと言えます。

 

 

したがって、男女のあいだにおける独占欲は必ずしも悪いものだとは言えません。ただ、これが過剰になって、相手を縛り、相手を人間として尊重しないくらいにまでなったとき、すなわち、その嫉妬が異常になったときには、不幸を生み出すことも事実です。

 

 

「男女のあいだにおいては、健全なる嫉妬心、すなわち、共同生活を守る範囲での、行き過ぎない、ほどほどの嫉妬心があることは許容されている」と考えていいと思います。

 

 

ただし、異常に敏感で、相手を責めさいなむような嫉妬心にまでなったときには、必ずや不幸を生むことになるでしょう。

 

 

男女の愛というものを考えてきました。これは、仏が、仏のほんとうの心は愛にあることを教えるため、人間の男女に、恋愛をさせ、結婚をさせ、夫婦愛を実らせ、さらには親としての愛を実現させることによって、愛の教育をしているということなのです。

 

 

しかし、男女の愛から生み出される夫婦愛、さらには親子愛というものは、永遠不滅のものかといえば、必ずしもそうとは言えません。

 

 

これは、ある程度、本能的なものであることも事実です。また、偶然という言葉はふさわしくないかもしれませんが、たまたまそうした巡り合わせになったために、お互いを愛するようになったという場合もありうると思います。

 

 

仏は、男女に結婚をさせ、子供つくらせ、家庭をはぐくむようにさせているわけです

そうではなく、男女の愛というものは、ほんとうの愛に目覚めるためのきっかけとして用意されているのではないでしょうか。

 

 

どのようにエゴイスティック(利己的)な生き方をしている人であっても、異性を快く思う気持ちを持っているはずです。また、少なくとも自分の子供に対しては、快い思いを持っているはずです。

 

 

異性や肉親への愛というものは、永遠の愛を知るための一つのきっかけであり、「こうした最低限の愛を契機として、さらに高次な愛に目覚めなさい」というのが、仏のほんとうの心なのです。このことについて、人間は心を向けていかねばなりません。

 

 

 

⑤誰がために愛するのか

 

 

愛について、いろいろと考えてきましたが、次に、「誰がために愛するのか」という問題、すなわち、「いったい誰のために愛するのか」という問題について考えてみましょう。

 

 

人間は子供の時代から、「他人からの愛を与えられるのは善いことで、愛を与えられないのは悪いことだ」ということを、本能的に嗅ぎわけていきます。しかし、誰もが愛をもらうばかりだったならば、供給する側がいなくなってしまいます。

 

 

愛について需要ばかりで供給がなければ、世の中から愛が干からびてしまいます。

 

 

食糧の自給さえままならぬ世の中ですから、すべての人が愛されることばかりを願って、愛する人がいなければ、愛は需要だけあって供給がなくなります。そうすると、愛に飢えた人があちらこちらにも出てくるのです。

 

 

愛は男女のあいだや家庭にだけあるものではありません。社会に出ると、他人とのあいだにも愛は成立します。愛という言葉を称すること、冠することが不適当だとしても、少なくとも、「他人によく思われるか思われないじゃ」ということはありうると思うのです。

 

 

人からよく思われている人は、やはり愛されていると言えましょう。また、人をよく思う人、すなわち、人をよしと見て、その人の面倒をみ、親切にし、優しくする人は、やはり愛を与えていると言えるのではないでしょうか。

 

 

この地上世界の人びとの姿を霊的な目で見てみると、砂漠のなかを歩いている旅人のように見えます。あそこにも、ここにも、喉が渇いた旅人たちがさまよっています。「喉が渇いた。喉が渇いた」と言って、日照りのなか、砂漠を歩いているのです。

 

 

彼らはお互いに愛することができれば、その渇きをいやすことができるのに、他人に与えることをせずに、もらうことばかりを考えているため、渇きをいやすことができないのです。

 

 

こうした現状をよく考えてみると、そこに、「誰がために愛するのか」という質問に対する答えが出てくるはずです。

 

 

「情けは人のためならず」という言葉を聞いたことがあるでしょう。

 

 

「情けは人のためならず」とは、「情けというものは、回りまわって自分に戻ってくる」という意味です。同じように、愛というものも、回りまわって、やがて自分に戻ってくるものなのです。

 

 

みなさんは愛の経済学というものについて考えてみてはいかがでしょうか。

 

 

たとえば、農家は野菜や米をつくると、それを市場に売りに出します。その結果として貨幣が与えられます。この貨幣でもって、車など自分に必要なものが買えます。そうすると、車をつくった人は、農家の人の持っていた貨幣を手に入れることができ、この貨幣でもって野菜や米を買うことができるのです。

 

 

このように、すべてが循環しています。経済においては、貨幣を媒介として、各人の働きがつくり出す価値、労働の価値が、常に循環しているものなのです。

 

 

愛も同じです。あなたが与えた愛は、他人を通して、自分自身に戻ってくるのです。与えた分だけ与えられる―これは一つの法則なのです。

 

 

米をつくった分だけの代価が与えられるように、あるいは、働きに応じた賃金が与えられるように、他人に対して愛を与えた人には、愛が同じだけ返ってくるのです。

 

 

それは、この3次元においては、目に見える姿とはならないかもしれませんが、霊的に見ると、まさしくそのとおりなのです。愛を与えた者には愛が返ってくるのです。

 

 

これは、多くの愛を与えれば与えるほど、愛の収入が増えてくるということでもあります。

 

 

したがって、上段階の霊、光の指導霊たちは多くの人たちを愛しているので、彼らが与えられる愛もまた大きいということになります。

 

 

では、彼らに与えられる愛は、いったいどこから来るのでしょうか。

 

 

彼らによって愛された人びとからの称賛でしょうか。確かにそれもあります。しかし、それだけではありません。

 

 

彼らが与えた愛の代価、その対価は、実は仏から来るのです。仏から大いなる恵として来るのです。

 

 

 

⑥救いの本質

 

ここで、少し話を変えて、救いの本質について考えてみましょう。

 

 

7次元の世界は愛の世界であると述べました。そして、愛には、家庭内の愛、親子の愛、男女の愛など、さまざまなものがあるという話もしてきました。

 

 

それでは、7次元にいる人たちの愛とは、主としてどのような愛なのでしょうか。7次元の愛は、いま述べたような本能的な愛、つまり、親子の愛、男女の愛といったものではないことを、はっきりしているのです。

 

 

7次元の菩薩たちが肉体を持って地上にいるとき、彼らの働きの中心は何かといえば、自分と必ずしも関係のない人びとを愛していくことです。

 

 

すなわち、仏の心をみずからの心として、世の人びとを悟らせ、救済していくことが、菩薩たちの地上での人生であり、また、あの世に還ってからの仕事でもあるのです。

 

 

他力門では「救い」ということを非常に重視しています。人を救う、あるいは救われるということを重視しています。

 

 

では、救いの本質とは何かについて考えていきましょう。

 

 

私は先ほど、「霊的な目で地上界を見渡してみると、蜃気楼がユラユラと立っているような、熱気にあふれた暑い砂漠のなかで、疲れ果てた旅人たちが、あそこにもここにも、うごめいていて、水を求め、オアシスを求めて、さまよっている姿が見える」と述べました。

 

 

3次元の人間たちがそうした人びとであるならば、彼らにとっての救いとは何でしょうか。

 

 

結局のところ、「救いの本質とは、彼らの喉の渇きを潤すものではないのか。それが救いの本質なのではないか」—こうしたところに考えが落ち着いていくのです。

 

 

そうすると、彼らの渇きを潤すための水とは何でしょう。

 

 

いまから二千年の昔、イエス・キリストは、喉が渇いたとき、羊番の娘のところへ行って、一杯の水を乞いました。そして、水をもらい喉を潤したあと、彼は次のように説きました。

 

 

「あなたがたは水で喉を潤すことができるけれども、水で潤した喉はまた渇くであろう。しかしながら、私の与えた『生命の言葉』によって渇きをいやされた者は、決して渇くことがない」

 

 

まさしく、そのとおりです。そして、そこに救いの本質があるのです。

 

 

キリストの言った「生命の言葉」とは、結局、人間の魂を永遠の生命へ導く、真実の教えのことです。すなわち、仏法真理です。

 

 

仏法真理のために生きる人間は永遠の生命を持っているのであり、そのため、迷うことなく、渇くことがないのです。

 

 

「このように生きなさい」という仏法真理の言葉を与えられて、立ち上がった旅人は数知れません。

 

 

すなわち、ほんとうの愛とは何か。ほんとうの救いとは何かといえば、その本質にある者は、人びとを目覚めさせるための仏法真理の言葉であり、人びとを悟らしめるための一喝なのです。

 

 

結局、菩薩たちの活動の本質、仏法真理を宣べ伝えて、人の心を渇きから守る、救うということにあるのです。

 

 

 

Happy Science  経典『永遠の法』あの世の7次元世界 菩薩界② より 

 

 

                            

 

 

 

仏法真理の基本的考え方

 

正しき心の探求としての「四正道」

幸福になるための四つの道

 

 

正しき心とは、身近な言葉で言えば良心のことです。

その究極が、仏の御心、創造主エル・カンターレの御心です。

 

正しき心の探求をしていくことが、本当の幸福への道なのです。

 

 

「四正道」の四つとは、「愛」「知」「反省」「発展」です。

 

 

① 「愛」とは、人から「もらう」ものではなく、相手の幸福を願って「与える」ものです。

 

 

与えきりの気持ちで、相手を幸福にしていく行為です。これを「与える愛」と呼びます。

 

 

② 「知」とは、「知は力なり」—— 「仏法真理」を学ぶことで悩みを解決でき、「智慧」が得られます。

 

 

仏法真理は、そのための最高の教科書であり、参考書でもあるのです。

 

 

③  「反省」とは、人間には自由意志があり、その分、幸福感も生まれますが、間違いを犯すこともあります。

 

 

反省は、心の間違いを修正し、明るい未来を開く道具です。たとえて言えば、“消しゴム”のようなものです。

 

 

④ 「発展」とは、「利自即利他」—— 信仰を通して得られた、自らの幸福や成功を、周りの人へ広げていくことです。

 

 

この地上においても、幸福な人で満ちた世界を創ることです。

 

 

 

霊界の基本構造観

霊界は悟り(心の境涯)に応じた、多次元の階層に分かれています

 

 

3次元:地上界

4次元:精霊界、地獄界

--------------------------------

5次元:善人界(ここからがいわゆる天国)

6次元:光明界(各界の専門家達の世界)

7次元:菩薩界(ここからが天使の世界)

8次元:如来界

9次元:宇宙界

 

・霊界は、天国が圧倒的に広く、地獄はごく一部です。

 

 

四次元幽界の一部に地獄があります。そこは、悪想念の曇りによって、仏の光が射さなくなった暗黒の世界です。

 

 

ただし、地獄は、天国に対抗できるような大きな勢力ではありません。また、人間は地獄からこの世に生まれてくることはできません。

 

 

・あの世に還るときには、この世で生きた心境にふさわしい世界に還ります。

 

 

心の世界も、霊界と同じく、多次元構造をしています。私たちの心のなかに、天国があり、地獄があるのです。

 

 

その心に応じて、善い心で生きた人は天国に、悪い心で生きた人は地獄に堕ちることになります。

 

 

 

転生輪廻と守護霊

人間は、生まれ変わりを繰り返し、魂修行しています。そして、「魂の兄弟」の一人が、守護霊をしています。

 

 

・人間は、魂として ”永遠の生命” を持っています

 

 

人間の本質は霊(魂)であり、あの世が本来の住処です。

 

 

数百年に一度くらいのペースで、この世に生まれてきて、また、あの世に還っていきます。

 

 

これを「転生輪廻」といいます。

 

 

 

・転生輪廻の目的は “悟りの向上”

 

 

人間は転生のたびに、新しい環境に生まれ、新しい出会いや経験を経て、たくさんの魂の糧を得ることができます。

 

 

順境も逆境も悟りの向上のためにあるのです。

 

 

 

・あなたを幸福へと導くために守護霊が頑張ってくれています

 

 

この世の魂修行を、安全で有意義なものとするために、各人には、必ず一人、守護霊がついています。

 

 

私たちの魂は、原則、六人一組の「魂の兄弟」というグループをつくっています。そして、そのなかの一人が、守護霊を担当しているのです。

 

 

                                   

仏法真理は「真実を知ること」であなたを「幸福へ、健康へ、成功へ」導いてくれるのです。

 

 

『真実の世界、人生、幸福、健康に生きる方法』を知りたい方は、Happy Scienceの経典をご参照ください