2015年3月26日~27日 四国八十八ヶ所参拝をメインに、ちょっと観光に春休みを利用して孫と行ってきました。一日目は大歩危小歩危舟下りとかずら橋観光です。
大歩危小歩危・・・吉野川が四国山脈を横切るところ結晶片岩が水蝕されてできた渓谷(約8km)は大股で歩いても小股で歩いても危険と言われていつことからこの名前が付いたと言われています。
一日目は大歩危小歩危の舟下りです。 レストランまんなか駐車場から遊覧船乗り場を見下ろす
切り立った崖下の渓谷を往復30分ほど遊覧します。レストラン大歩危峡まんなかが発着点
レストランまんなか”窓から旗を振って見送ってくれています。
船が出発場所辺りからしばらくは岩が下流に向って傾いています。
大歩危峡の渓谷を悠々と遊覧ですが、まだ冬の景色です。桜は蕾かたしです。
レストランまんなか”からすぐの所に妖怪屋敷、ちょっと寄って見る事に・・・
店内にノビアガリ ここまでの妖怪を見て怖くなったようで妖怪屋敷入園拒否。4月から中学生になるのに大丈夫か?
かずら橋途中に平家屋敷(西岡家住宅・三好市重要文化財)の案内板を見つけ寄って見る事に・・・見学500円
平家屋敷の祖先である堀川内記は安徳帝の御典医として宮中に仕えていたが、平家の都落ちの時、安徳帝を供奉じて屋島に落ちのびた、平家滅亡の後、残党と共に祖谷に入山した内記は祖谷の山野に薬草の豊富な事に驚き、秘薬を採集し当地で医を開業していたが、蜂須賀入国の時、反旗を翻し戦い負傷者の治療に当った、祖谷軍が敗れ堀川家も罰せられたが、後に赦されて、当地西岡名主となり、性を西岡と改め、西岡内記と名し西岡家の当主となった。
土蔵・・木造瓦葺き、切妻造り、2階建てで、上から火が入らないように屋根を上に乗せた状態なっており火入らずの蔵と言われていた。この時代に屋根瓦は祖谷地方に珍しく、前戸は三重になり外戸は土で出来ている。
主屋は木造茅葺、寄棟造り、平屋建てで、幕末から明治時代に宮大工が3年の歳月を掛けて造られたといわれています。「コビラ玄関という珍しい造りがあり部屋には壁、押し入れがなく、戸を外すと一室とまります。
屋内には、平家由来の宝物や当地の歴史を物語る資料が展示されています。
昔の建物そのままで、囲炉も火を通したままで情緒が漂よっています。
平家屋敷から、かずら橋の道中は、一つ一つ積み上げた石垣と畑が急斜面に広がり、懐かしい原風景を見ながらの走行となりました。
平家一族の哀話を秘める、秘境“祖谷”にあるかずら橋。シラクチカズラ(重さ約5トン)で作られたもので、長さ45m・幅2m・水面上14m。 昔は深山渓谷地帯の唯一の交通施設であった。3年毎に架替えが行われる。(国指定重要有形民俗文化財指定) 料金大人550円 子供350円 渡れるのは一回きりです。
手を離して歩く事が出来ません 横のツルをしっかり持って進みます。
琵琶の滝・・・かずら橋を渡り左手に少し歩いた所にある、高さ約50mから白糸を引くように落下する。平家の落人たちがここで都を偲んで琵琶を奏で慰めあったという伝説から、その名が付いたと言われています。
祖谷川の清流に、その影を映した悠然たる姿は一年を通し自然と調和した、美しい景観を生み出しています。
八十八ヶ所 2寺参拝し、今晩宿泊の国民休暇村瀬戸内東予 到着
国民休暇村駐車場から、燧灘と石鎚山を望む
伊予牛の鉄板焼きと、海鮮料理のバイキング予約です。 12000円
デザートも種類豊富です。
ちょっと外に・・・夜景を
山頂に雪が残る石鎚山
ホテル9時出発 八十八ヶ所 お寺参拝です 朱印五時まで・・昨日2寺 今日は9寺参拝することが出来ました。 帰路は、しまなみ海道から山陽自動車道 10時帰宅 走行距離約800km