2026年5月28日~29日、四国香川県・愛媛県へ1泊2日の旅行を楽しみます。
最初に四国村ミウゼアムです。 四国民家博物館は源平の古戦場として知られる屋島山麓の地に、四国各地から古い民家を移築復原した野外博物館です。昭和51年に開設して以来、観光スポットとして、「四国村」の愛称で多くの人々に親しまれています。自然あふれる約50,000m2の敷地には、江戸∼大正期にかけての地方色豊かな建物が配置されており、当時の生活の様子がうかがえるよう、たくさんの民具も展示されています。

四国村 香川県高松市屋島中町91 ☎ 087-843-3111

四国村エントランス「おやねさん」

おやねさんで入園料1600円を支払い入村ですが、入村する前に昼食です

四国村「わら家」で昼食 立派な茅葺き屋根のお店です

ざるうどん並み 630円
もっちりとした中に程よいコシもあります

いなりすし350円を頂きます

入口が、かずら橋になっています


ゆらゆら揺れ、足元の木の幅は結構空いていて踏み外さないように・・・本当のかずら橋より迫力があります

渡りきって振り返る

農村歌舞伎舞台・・この舞台では小豆島の地元の人々自身が役者となり、歌舞伎芝居を演じていました。
茅葺平屋建てで、廻り舞台、楽屋、チョボ(義太夫)の床、お囃し座がついています。建造年代は、落書きの内容から、江戸時代末期のものと推定されます。


猪垣・・猪垣は田畑の農作物を猪や鹿に食い荒らされるのを防いだ垣根です

旧山下家住宅

旧山下家住宅
寄棟造り茅葺、平屋建て。江戸時代における東讃岐の一般農家の典型であり、俗に「周囲(ぐるり)八間」と呼ばれた農家です


森野家住宅の風呂と便所
昔はお風呂もトイレも外にありました

順路に沿って進んでいきます。立派な石畳み広場になっています

旧河野家住宅と稲田家の土蔵
石垣は大阪城の残石で積まれています

石畳み広場に、なでうさぎ
むかしむかしのおはなしと・・四国村に一人ぼっちのうさぎが住んでいました・・・・5本指の大きな生き物はうさぎの背中を優しく撫でた後、出雲の国に行ってしまいました。うさぎはもう一度撫でてもらいたくて四国村中を探しました。それからというものうさぎは穴から飛び出し四国村の一番目立つところで撫でてもらうのを持っているそうです

稲田家の土蔵

旧河野家住宅・・この民家は、愛媛県の南、小田町の深い谷筋の奥まった急斜面に建っていました。

部屋の床はすべて竹を敷き、各部屋に「いろり」が切られ、寒い山間の住まいの特徴を示しています

竹の上にむしろが引き詰められています

土間には、和紙の原料にするコウゾを蒸す釜があります

四国村建設記念碑

富木田家砂糖しめ小屋・・砂糖しめとは、サトウキビの汁をしぼるという意味。四国村にある2つの丸いしめ小屋は、香川県内に2棟だけ残っていた大変珍しいものです

砂糖しめ小屋天井

六車家釜屋
砂糖しめ小屋で搾った生汁を煮詰める為の小屋

宮崎家砂糖しめ小屋・・二つ目の砂糖しめ小屋・・外壁は曲面にあわせた大壁づくり

砂糖しめ小屋内部・・中央には三個の石臼(車石)が置かれていました。それら石臼に取り付けられた腕木を牛が引いてまわし、回転する石臼の間にサトウキビを差し込んで汁をしぼっていたのです

楮(こうぞ)蒸し小屋・・
土佐は高級和紙の産地です。この小屋では伝統の和紙づくりが行われていました

楮蒸し小屋内部
切りそろえた楮やみつまたを束にして、釜に立て、上から桶をかぶせて蒸す。取り出して皮を剥ぎ、黒皮を取り、水に浸した白皮をモチにして、棒でたたく。最後に水に入れてすくい上げ、紙に漉く・・・和紙作りは、手のかかる作業でした

竹林を進みます・・・

散策路にあじさいが咲き始めています

灯台エリアへと・・
クダコ島灯台・鍋島灯台・江崎灯台退息所と並んでいます

鍋島灯台退息所内部

大きな錨も寄贈されていました

江崎灯台退息所内部

大久野島灯台
大久野島は周囲4kmの小さな島でガス製造の島でもあり1929年から1945年まで軍事機密として地図から消されていました

クダコ島灯台退息所から竹林を下れば・・・・

あめふらし
ここにもむかしむかしのおはなしと・・・
讃岐国は雨が降らず人々は日々水不足で困っていましたそれを見ていた神様は日本中のアメフラシを集めてこういいました
「讃岐国に雨が降るように、どうにかしておくれ」と・・・・

竹林にひっそりと石仏が佇んでいます

此の石はたたくと金属質の澄んだ音を出すことから、カンカン石と呼ばれていますと・・・

茶堂「遊庵」
瀬戸内寂聴尼によって開眼され、堂は「遊庵」と命名されました。
この堂の柱や天井板に四国霊場をめぐった遍路たちが書きのこしたとおもわれる落書があります

茶堂「遊庵」 地蔵菩薩

旧下木家住宅・・
冬の間は雪で閉ざされる剣山麓の、標高1000mのところにあった民家。安永10年(1981年)の建物で、寄棟造り茅葺、間口七間、奥行四間で「本三六」の家と呼ばれます。

どの家にも綺麗なお花が生けられています

どのお部屋にも囲炉裏があります

間取りは、オモテ、ナイショ、ニワの三間に分かれています

旧下木家住宅から染が滝・・・明治、大正期の民家の基礎に使われていた石をふんだんに用いられています。
流れる滝の音が風情を醸し出しています。

見事な石組

旧下木家住宅を見上げる

添水唐臼(そうずからうす)小屋
穀類を精米する為に水力を利用していました

一宇村の板石の猪垣

染ガ滝の横の坂道を下ります

久米通賢先生宅
江戸時代、香川県の塩の生産量は全国の半分近くを占めていました。その製塩の基盤をつくったのが久米通賢です。安永9年(1780年)、東讃岐の引田町馬宿に生まれた久米通賢は平賀源内とともに、讃岐を代表する江戸時代の科学者です

久米通賢先生宅内部・この主屋は、平屋建て寄棟造り茅葺。
解体に当たって天井裏から、測量器具、大砲の鋳型の原形などが発見されました。

久米通賢先生宅内部
長い囲炉裏が中央に・・・

旧中石家納屋

納屋内部

旧中石家住宅母屋
平家の落人村として有名な祖谷の民家。

母屋・・寒い祖谷らしく全ての部屋に「囲炉裏」があります

旧中石家住宅内部 広いです

旧中石家住宅隠居屋内部・・・隠居屋、主屋・納屋が一列に並んで建ち並ぶ様子は、傾斜が急な祖谷地方の特徴を表しており、18世紀後半の建築とみられます。

隠居屋縁側に、隠居猿が三匹

隠居部屋と主屋の間から染ガ滝の流れが見えます

染が滝

丸亀藩御用蔵(資料館)
この建物は、もともと京極藩御用の米蔵でした。墨書や、米俵の数取りに使った「玉」等の落書きなどから、江戸後期の建築であると推定されます

造り酒屋の井戸も再現

昔こんぴら街道沿いにあったアーチ橋と石蔵は角閃安山岩で古墳時代には石棺にも使われていました


三崎の義倉
義倉とは平時に稲や麦を貯蔵しておいて飢饉の際には種籾や食料の補助に支給する制度。この義倉は昭和15年まで機能していました

福井家の石蔵
明治中頃に造られたもので四国では大変珍らしく当時としては贅沢なレンガを床に張ったモダンな建物でした

赤い鉄塔、警報台
(この警報台は元護衛空母「しまね丸」のマストでした)

小豆島の石蔵と消防屯所

旧前田家土蔵
高知市布師田に明治時代に建てられた土蔵

旧前田家土蔵内部

火の見櫓と旧丸亀藩斥候番所
この建物は、香川県と愛媛県の境の三豊郡箕浦に建っていました。北側が海、南側が山という地形の箕浦には、藩政時代、2つの番所がありましたが、海側の警備にあたっていた方は残っておらず、地元民が詰めていたこの番所だけが残っています。

常夜灯とうどんキツネ

旧吉野家住宅
徳島県の太平洋に面した断崖の下、海部郡由岐町伊座利にあった「漁師の家」。切妻造り平屋建て本瓦葺きの家で、強風を防ぐ役目をしている周囲の石垣を伴っているのは、この地区の漁家の特徴です。

旧吉野家住宅 漁師の家内部

順路に沿って石畳みの流れ坂を下ります

かずら橋へと出てきました

出口は四国村「おやねさん」の2F

通路から四国村カフェ「異人館」

通路からテーブルが置かれた休憩所とわら家を・・・

「おやねさん」2Fから・・・

四国村駐車場前の、讃岐東照宮 屋島神社
長い石段が続いています。友人に待ってもらってちょっこと参拝

石段の脇にツツジが満開

石段を登り切ってもまだ石段が続いています

待ってもらっているのでズームで拝殿を
国村からすぐ近くの屋島 獅子の霊巌展望所へと・・・

東大門
獅子の霊巌展望所へは四国八十八ヶ所84番屋島寺を通らないと行けないようです

東大門からの境内

大師堂

蓑大明神

本堂・・十一面千手観音

四天門を振り返り、獅子の霊巌展望所へと・・・

屋島寺四天門を過ぎ少し進みと「れいがん茶屋」が目の前に

高松市屋島山上交流拠点施設(愛称:やしまーる)
地形の起伏に沿うようにうねうねと曲がりくねった、全長約200mの全面ガラス張り回廊型建築となっています

屋島 獅子の霊巌展望台

展望台から厄除けや開運を祈願して素焼きのお皿を投げる「かわらけ投げ」も体験できます


屋島城跡

回廊へと・・・

回廊展望スペースから、瀬戸内海や高松市街地を見渡せます。圧巻😝です
夕景や夜景の名所としても有名です

観光終了ホテルへと

大江戸温泉物語 ホテルレオマの森
香川県丸亀市綾歌町栗熊西40-1

お部屋からレオマの森を・・・


観覧車から橋まで光輝いています

食事場所からのイルミネーション
一日目無事終了で~す