本日は、2月28日の活動報告をさせて頂きます。
この日2月28日の福島・被災地はとても暖かく、富岡町の「桜のトンネル」は、桜の蕾がまた少し膨らみ、「蕗の薹」は花を咲かせ、春を感じる1日でした
暖かくなってもこの時期は寒暖の差が激しく、更に東北の冬は長くて厳しく福島・被災地はGWまで雪が降る事もあるほどなので気が抜けません。
今回は夕方から、この活動をして知り合った大切な同志の「イノウエさん」と待ち合わせがあり、その後に2月14日と21日に保護した「シフォンちゃん」&「ラスク君」を保護するにあたって私有地に捕獲器を設置させて下さったご協力者さまにお礼のご挨拶に伺う予定がありました。
そのため活動時間がいつもより若干減ってしまうので、早朝から大急ぎで給餌をしていきました。
今回も応援ご支援ご協力をして下さっている
「皆さま」のお陰で
福島・被災地 (福島第一原発20キロ圏内) と
夏井川氾濫決壊エリア (台風19号の被災地) の
全ての給餌ポイントに「美味しいご飯」を届け
"あの子達"の命を繋ぐ事が出来ました、ありがとうございます
もうすぐ3.11でしたから
報道やマスコミの関係者が来ているはずと思っていたのですが…
この日に出逢った取材撮影クルーは1組だけでした
どこの局か伺ったところ、NHKでした
ただ今回の取材撮影されたものは福島県のみ放送されるそうです
福島原発事故は
福島県だけの問題ではないのに
あの日から10年も経ってしまい風化されてしまったからなのか
以前に比べると報道マスコミが福島・被災地を取り上げなくなり
まるで福島原発事故が無かったか
復興を遂げたと勘違いされてしまっているのではと感じてなりません
未だ未だ閉鎖された場所が多く残り
復興にはほど遠いのに
▲この先は、帰還困難区域
許可書がなければ、ここの住民でも立ち入れません
▲帰還困難区域から先ほどのゲートを撮影
この先にあるゲート外は避難解除エリアで、ゲートは命の境界線となります
▲帰還困難区域の民家も復興の一環の家屋の解体が進んでいますが
未だそのままの家々が多く残っています
▲カレンダーは2011年3月…あの日から時が止まったまま
福島・被災地(福島第一原発20キロ圏内)は
原発事故で人が消えただけでなく
人々の記憶から消え去られてしまったのなら
2度も殺された町になってしまう
風化させては、忘れてはいけない
福島原発事故を無かった事にしてはいけない
そのためには、私が福島・被災地に通っている限りは
福島第一原発20キロ圏内の今をお伝えするよう努力しています
夕方になり「イノウエさん」と待ち合わせ場所の「双葉駅」に行きました。
「イノウエさん」とは、福島被災動物救護活動がご縁で福島原発事故があった2011年3月からの付き合いです。
まさか双葉駅で
待ち合わせする日が来るなんて
※2011年4月に閉鎖されてしまった警戒区域で活動していた時は
行政が被災動物救護活動を認めていなかったので
被災地で誰かと待ち合わせするなんてなかなか出来ず
ましたや人目に付く目立つ場所でなんてとんでもない事でした
名古屋在住でなかなか会えない「イノウエさん」とそんな会話をしながら
昨年2020年に亡骸を9年掛かってやっと埋葬してあげられた
「ふたばちゃん」と「ととちゃん」の2匹のお墓を一緒にまわりました
「ふたばちゃん」と「ととちゃん」のお墓は、今回も荒らされずに無事でした。
※この2にゃんは、今まで苦しんできた分これからは安心て眠り成仏できるよう、私が福島・被災地に通っている限り毎回お墓参りは欠かすことなく見守ると誓った子達です。
◆ふたばちゃんのお墓◆
◆ととちゃんのお墓◆
よかったね
私以外の人に手を合わせてもらえたのは初めてでしたから
「ふたばちゃん」も「ととちゃん」も喜んでいたと思います
「イノウエさん」と久しぶりに再会しただけでも嬉しかったのに
この日は、それだけに留まらず
その後、2箇所で
福島原発事故とご縁ある、被災者さんとお会いすることが出来ました
1箇所目 (お一人目) は
福島原発事故の写真では必ず登場するといっても過言ではない
この標語があった場所で
この標語を作った「大沼氏」に会いました
▲画像中央が「大沼氏」で、左端の写っているのは「イノウエさん」
原子力明るい未来のエネルギー
この有名な標語を「大沼氏」が作った当初は小学生でした
安心安全と言われていた福島原発が
その後こんなことになるなんて思ってもいなかったそうです
今は、原発事故の恐ろしさを後世に語り継ぐために
活動をされていらっしゃいます
▲看板撤去の反対の意思表示と署名集めなどされていましたが
看板は撤去されてしまいました
その後、撤去した看板を
双葉町に出来た
東日本大震災・原子力災害「伝承館」に
展示するよう要請し続けていますが、未だその声は届かずです
いつか、その声が届き
「伝承館」に、この看板が展示されることを
私も願いますし
「皆さま」も機会ががありましたら
この看板の展示をして欲しいと要請していただけると
大きな力となると思いますのでご協力をよろしくお願いいたします
2箇所目 (2組目)は
浪江町の住民で被災者さんである「赤間さんご夫妻」
「赤間さんご夫妻」は、福島原発事故後に閉鎖された警戒区域に
彷徨う被災動物が可哀想だからと保護をし
保護した猫さんや犬さんのために自宅をシェルターにして
現在も活動を続けていらっしゃる被災者さんです
原発事故当初は、被災者さん達は自身が生きていくだけでも大変でパニックだったので仕方がないかと思いますが
その地の住民である被災者さんが立ち上がってくださったのは稀なケースです
※注意※
「赤間さんご夫妻」の名前や画像を使い支援を募っている方で
その集まった支援金を「赤間さんご夫妻」に渡していない人達がいるようなので
もし「赤間さんご夫妻」にご支援をして下さる場合は
直接ご支援をされる事をお勧めします
で、今回は、猫さんのシェルターの一部ですが
お邪魔させていただきました
シェルター内は、きれいに整理整頓され、どの子も生き生きとしていました
浪江町は、ブリーダーをしている方がいたので
他の町よりも長毛の猫さんが多いのが特徴で
ここで全ての子はご紹介出来ませんが、どの子も里親さま募集中です
もし長毛さんを家族に迎えようとされている方がいらっしゃいましたら
「赤間さんご夫妻」のシェルターの猫さんの里親になるご検討を
「赤間さんご夫妻」のシェルターを後にし「イノウエさん」ともお別れした後に、「シフォンちゃん」&「ラスク君」を保護するために私有地を使わせてくださったお宅にお礼に伺いました。(撮影はNG)
その後また活動の続きをし、全ての作業を終えたのは夜で
明るくて大きな満月が、綺麗でした
▲活動車のライトをハイビームで点灯時
▲ライトと消灯
人が消えた町は、寂しく恐ろしい程に真っ暗で
この日は、3.11が近いせいか
犠牲になった魂がいつもよりも多く彷徨っているように感じました
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
◆SOS◆
"あの子達"を救う活動に関わるご支援のお願い
昨年の年末から3月7日までの間に8匹保護し
その初期医療費だけでも高額になっていますが
未だこれからも「医療費」が発生しますし、
未だ保護出来ていない子達を保護出来た場合は、更に「医療費」が…
個人で活動しているためご支援で賄えない場合は不足分は私自身が負担するため、本当に本当に厳しい状況で破産してしまいます
どうか、保護した子達に
十分な医療処置を施し健康に幸せにしてあげられるよう
未だ保護出来ていない子達を
保護して十分な医療処置を施してあげられるよう
ご支援のご協力を宜しくお願い致します。
◆里親さま募集中の猫さん情報は、コチラをご覧ください。
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