志賀海神社に始まった神社巡り。
住吉神社まで御参りしたら区切りがつくはずでした
応神天皇の父親は、神功皇后の夫 仲哀天皇です が、
なんと!
実は住吉大神が父親説
武内宿禰が父親説 (誰)
もあるそうです
三韓征伐の際、石でお腹を冷やしてお産を遅らせたのは有名ですが、あまりにも遅すぎて別の父親説があるのだとか
(計算が合わないってやつですね)
(架空の話であれば計算もへったくれもないと思うのですが)
この武内宿禰ですが5人の天皇に仕え、2百歳以上とも、3百歳以上の寿命とも書かれ
忠臣や長寿の象徴のような人物のようで、
神託も行っていたようです。
神功皇后や応神天皇に忠実に仕える記述が出てきます。
那珂川町の裂田溝を掘っていて硬い岩盤が現れた時、
祈りによる落雷で岩が裂けたとあるのですが、
これは神功皇后から遣わされた武内宿禰によるもの
龍神から授かった満珠干珠を武内宿禰が受け取ったという伝承も
以前載せたこの写真
神功皇后の文字の横に武内大臣の文字が
下の白髪白髭の方です
(気づかなかった〰)
住吉神社の起源は那珂川町の現人神社という説もあります。
この現人神社は三韓征伐の時、
皇后の身を護り波風を鎮めた
(この皇后の身を護り波風を鎮めたのは、安曇磯良説、干珠満珠説、住吉大神説など諸々)
“神様が現世に初めて姿を現した”ことから現人神を祀ったのだとか。
その地の神田の五穀豊穣を祈り、
水を引くため裂田溝を手掛け、
武内宿禰を遣わしてます。
住吉大神(筒男命)は海の神様ですが、
星に由来する自然神説と
神格人との説があり、
どうも神格人説が有力だとか。
そうすると
筒男命=住吉大神=現人神=武内宿禰
も考えられる(根拠はありません)
更には
筒男命=綿津見大神=安曇磯良
も考えられる訳だから
武内宿禰=安曇磯良と繋がってもおかしくない
それに安曇磯良は磯武良と称するという記載も見つけました
武内宿禰と安曇磯良が別人だとしても、
安曇磯良と住吉大神は同一神の可能性があるので、
安曇磯良が応神天皇の父親の可能性も高くなってきます
色んな伝承が語り継がれる中で、混乱していったとは思うのですが、
やはり磯良と神功皇后の関係が気になります
そしてここで出て来た武内宿禰は高良大社へと繋がり
益々迷路の中に入ってしまいました
セッションメニューは こちら
申込み・ご相談は こちらから
住吉神社まで御参りしたら区切りがつくはずでした
応神天皇の父親は、神功皇后の夫 仲哀天皇です が、
なんと!
実は住吉大神が父親説
武内宿禰が父親説 (誰)
もあるそうです
三韓征伐の際、石でお腹を冷やしてお産を遅らせたのは有名ですが、あまりにも遅すぎて別の父親説があるのだとか
(計算が合わないってやつですね)
(架空の話であれば計算もへったくれもないと思うのですが)
この武内宿禰ですが5人の天皇に仕え、2百歳以上とも、3百歳以上の寿命とも書かれ
忠臣や長寿の象徴のような人物のようで、
神託も行っていたようです。
神功皇后や応神天皇に忠実に仕える記述が出てきます。
那珂川町の裂田溝を掘っていて硬い岩盤が現れた時、
祈りによる落雷で岩が裂けたとあるのですが、
これは神功皇后から遣わされた武内宿禰によるもの
龍神から授かった満珠干珠を武内宿禰が受け取ったという伝承も
以前載せたこの写真
神功皇后の文字の横に武内大臣の文字が
下の白髪白髭の方です
(気づかなかった〰)
住吉神社の起源は那珂川町の現人神社という説もあります。
この現人神社は三韓征伐の時、
皇后の身を護り波風を鎮めた
(この皇后の身を護り波風を鎮めたのは、安曇磯良説、干珠満珠説、住吉大神説など諸々)
“神様が現世に初めて姿を現した”ことから現人神を祀ったのだとか。
その地の神田の五穀豊穣を祈り、
水を引くため裂田溝を手掛け、
武内宿禰を遣わしてます。
住吉大神(筒男命)は海の神様ですが、
星に由来する自然神説と
神格人との説があり、
どうも神格人説が有力だとか。
そうすると
筒男命=住吉大神=現人神=武内宿禰
も考えられる(根拠はありません)
更には
筒男命=綿津見大神=安曇磯良
も考えられる訳だから
武内宿禰=安曇磯良と繋がってもおかしくない
それに安曇磯良は磯武良と称するという記載も見つけました
武内宿禰と安曇磯良が別人だとしても、
安曇磯良と住吉大神は同一神の可能性があるので、
安曇磯良が応神天皇の父親の可能性も高くなってきます
色んな伝承が語り継がれる中で、混乱していったとは思うのですが、
やはり磯良と神功皇后の関係が気になります
そしてここで出て来た武内宿禰は高良大社へと繋がり
益々迷路の中に入ってしまいました
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