読み終わりました。

じわじわと感動が全身に広がっていくのを

ゆっくりと楽しんでいます。


やり遂げましたな、前野さん。

今回、バッタ研究の詳細が明かされ、

その道のりの途方もなさに度肝を抜かれました。

全く思い通りにいかない自然現象を

知恵と素手(ローテク)で捕まえにいったのですね。

若い頃、

徹夜と仮眠を繰り返し、

精神的にもプレッシャーを抱えながら

仕事をしていた私は、

バッタ研究の体力的な苛酷さが

自分のことのように理解できてしまいました。

若い頃の無理は、年を取ってから出てくるので、

前野さん、どうぞ気をつけてくださいね!


彼の著書の(彼自身の)魅力は、

自分の好奇心に忠実であること、

それを実行する勇気があること、

そして、

なにより人間的な愛らしさだなあと思います。

最終章にサラッと

愛らしさの極意が書かれていましたが、

どれも共感するものばかり。

私ももっと早くにそのことに気づけていたら

また違う人生になったのかしら??


ご自身の婚活が上手くいくことを

心より祈念しています。

頑張れ❤

NHKBSドラマ『舟を編む』が、

残り最終話となり、

いよいよ名作の予感。


小説『舟を編む』は、

辞書作りに情熱を燃やす人たちの奮闘を

長いスパンで描いた

いわば大河ドラマのような物語。


ひとつの辞書を真ん中に

たくさんの人々の人生が行き来し、

思いが積み重ねられていくさまを描く。

読み終えたあと

言葉をもっと大切にしたい、と思った。


ただ、確かにこうも思った。

もっと読んでいたいなあ、この本。

もう終わっちゃった。


プロデューサーも

同じことを思ったのかどうかは知らないけれど、

ドラマは、岸辺さん目線に切り口を変え、

小説とは異なる

新たなエピソードや設定を加えながら進行する。

原作と違う、と思われるかもしれないけれど、

これは小説『舟を編む』の肝、本質を 

伝えるために必要な設定だと思う。


小説やマンガを原作にした

ドラマや映画を作るとき、

2次元そのまんまには、映像化できない。

小説、マンガ、ドラマ、映画…

どれも得意な表現分野が違うから。


原作の持つ核の部分を

表現の特性に合わせて

最も効果的な形で見せられたとき、

原作ありの作品が

原作と別の新しい作品として

生まれてくるのだと思う。

それが原作ありの作品を作る醍醐味、だと思うし、

名作の条件だと思うなあ。

(原作へのリスペクトってこういうことだと思う)


ドラマ『舟を編む』は、本当にいいですね。

言葉の選び方ひとつで、

人を傷つけもするし、すれ違ってもしまうけど、

言葉があるからこそ

人と人とがつながることができる。

「なんて」という言葉を巡るやりとりや気づき、

親子の気持ちの行き違いなどのエピソードを

ひとつひとつ重ねながら、

言葉の大切さを描くと同時に、

電子辞書やコロナ禍の状況を入れ、

言葉を巡る状況が、

動いて変化していく様も見せている。

脚本家の方はもちろん、

『舟を編む』ドラマ班、素晴らしい!



最終回、楽しみにしています!

じんわりとあたたかい気持ちになる話だった。


私の近所に「くま」が引っ越してくる。

引っ越しそばを配る、少々昔気質な「くま」。

「くま」にさそわれて散歩に出る。

夜、

私は「くま」とのあれこれを振り返り、

悪くない1日だったと思う。


はてさて、この話は、何を伝えたかったのか?


「くま」が近所に越してきて、

一緒に散歩に行き、会話するなんてことは、

普通はない。

夢のお話かな?とも思うが、

相手が「くま」だということ以外は、

ありふれた日常だ。

「くま」は、

ひらがなで「くま」と表記されていることもあり、

何かのメタファーかもしれない。

ところが最後に

「熊」の神様が出てくるので、

やはり「くま」は「熊」らしい。


「くま」と書いてあると、

プーさんのような、ぬいぐるみのような

くまを思い浮かべる。

「熊」と書かれると

獣のリアルな熊を思い浮かべる。

日本語はすごいと思う。

どう表記するかで、

伝えたいイメージを表現できる。


私と「熊」は、

お互いに楽しい1日だったと思っているようだ。

心が通い合っている。

現実の世界では、まあ、ないだろうなあ。


ないが、

相手が「熊」であること以外は

余りに自然な物語なので、

そんなこともあるのではないか?と思ってしまう。


うん?もしかしたら、あったかもしれない。

そういえば、あったような気もする??


自分とは世界の異なる誰か、何か、と

交流し、心を通わせる出来事。

背景の異なる2人が、理解し合うこと。

簡単そうで難しい。

だから

通じ合えたらしい、と感じたとき、

心がじんわりあたたかくなる。

奇跡みたいだと思う。


そんな奇跡みたいなことが

ありふれた日常の中にある。


そんな日々を信じられることに

思わず、ありがとう、と言いたくなる。


神様、ありがとう、と。





息子の現代文の課題を聞き、

こっそり私も感想文を書いてみた。

今どきの中学では、

川上弘美が題材となり、

解釈をクラスで議論するらしい。

私もこんな授業を受けてみたかったなあ。